もしかしたら、すれ違うことすらなかったかもしれない人。この時、この場所、このタイミングでなければ、一生。

「ミョウジ、こっちこっち」

暗闇の中、かすかな月明かりに照らされた木兎くんが手招きする。駆け寄って、体育館裏のコンクリートに二人で腰を下ろした。さっきまであんなに騒がしかったのが嘘のように静まり返った体育館は、もう電気も消えてしまってる。きっとみんなさっさとお風呂に入って寝てしまっているんだろう。昼間のハードな練習を思えば当然のことだ。それなのに、私の隣の人はなぜこんなに元気なのか。

「木兎くん眠くない?」
「全然。むしろ目ぇ冴えてる」
「すごいね。昼間あんだけ動いてて」
「ミョウジは眠くねえの?」
「うん大丈夫」
「こんな時間に連れ出してるのバレたらそっちの主将に怒られそうだな」
「澤村はもう寝てるよたぶん」

三年の夏、初めての遠征。木兎くんと出会ったのはその時だった。やたらと行く先々に現れて、やたらと話しかけられて、やたらとフレンドリー。困ってたら誰よりも早く駆けつけてくれる。他校なのに。変な人だな、面白いけど。ただそれだけだったはずが、いつの間にこんなことになっていたんだろう。
夏の合宿を皮切りに東京遠征をすることが多くなり、そのおかげで定期的に木兎くんに会えた。会えない時は電話とメール。東京と宮城は遠い。だけどあまり距離を感じないのは、木兎くんの性格のおかげだろうか。

「前から思ってたんだけどさー烏野ってマネージャーと部員が妙に仲良くねえ?」
「えーそう?」
「そう。仲良い」
「それを言うなら梟谷だって仲良しだよね」
「お?妬く?」
「というか羨ましい」
「言っとくけど俺は妬いてるからな!」

距離を詰めて手を握られる。いつまでも慣れない私を見て笑うなんて、意地が悪い。誤魔化すように目を逸らして腕時計を見ると、隣から木兎くんが覗き込んできた。

「時間気になんの?」
「木兎くんはそろそろ寝なきゃでしょ」
「俺のこととか気にしなくていーのに」
「こっちも潔子と仁花ちゃんがまだ起きてるかもしれないし」
「そうだなあ。んじゃそろそろ帰さねえとなー」

そう言いながら、手を握る力が強くなる。矛盾。

「俺あいさつしよっか?ナマエさんを遅くまで連れ出してスンマセン!って」
「正座で説教されるかもよ」
「まじで」
「ウソだけど」
「ウソかよ!本気にしちゃったじゃねーか」
「ごめんごめん」

いじけたような木兎くんを見ながら、思い出したくなかったことを思い出してしまう。遠征ももう終盤。こうやって木兎くんの顔を見ながら話せるのはあと少しなんだと思うと、どうしようもなく寂しくなってしまった。「明日だね」つい口から出た私の言葉を拾って、彼の目がこちらを向く。

「なにが?」
「私が向こうに帰るの」
「…言うなよー、悲しくなんだろ」
「早いよね」
「早すぎだろ。全然足りねえし。まだまだ一緒にいたい」

木兎くんの言葉はいつだってストレートだ。嬉しいけど恥ずかしくてでもやっぱり嬉しくて、何て返せばいいのかいつも迷う。

「私も。もっと一緒にいたいな」

思っていることを素直に言うと、私のことを覗き込むようにして顔が近づいた。

「もうさあ、東京住めば?」
「高校卒業してから?」
「いや今すぐ」
「無茶言うなあ」

会えたら嬉しくて触れたくなる。触れれば触れるほど、離れるときに寂しくなる。それを私も木兎くんもわかっているのに、触れずにはいられない。

「バカだよな、お互い」

誰も知らない二人だけのこの場所で、私達はまだ、離れることができずにいる。


2015.2.4

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