「あれ?」

放課後、少し寄り道をして帰ってきた自分の部屋。カバンの中で見慣れないノートを見つけて、思わず声をもらす。これは春市くんに借りた英語のノートだ。帰るまでに返そうと思っていたのに、やってしまった。
幸いすぐに電話は繋がった。寮にいるらしい。今から持っていくと伝えると即座に却下される。じゃあ私の家と寮の中間にある公園で待ち合わせようと提案したけれど、それもやんわりと却下を食らった。

「僕がそっちに行くから待ってて」

優しいのに有無を言わせない口調。こうなるともう、私は頷くことしかできない。


「ごめんね。私が借りてたのに取りに来させちゃって」
「ううん、僕も忘れてたから。ランニングにもなるし」

電話を切って少し経った頃、春市くんがやって来た。走ってきたとは思えないくらいにいつもと変わらず穏やかだ。受け取ったノートをカバンに仕舞う彼を見ながら、頭をフル回転させる。

「春市くん、時間あったら何か飲んでいかない?」

少しでも引き留めたくてそう言った。正解だっただろうか。ただ、言ったあとで思い出したけど我が家では今ジュースを切らしている。お茶しかないけど…と申し訳ない気持ちを込めて小声で付け足すと、春市くんは笑った。「じゃあ遠慮なく」と。


「はい」
「ありがとう」

二人分のお茶をテーブルに置いて、彼の隣に腰を下ろす。昨日片付けしておいてよかった。春市くんが私の部屋に来たことはほんの数えるほどしかない。だからなんか、変な感じ。黙っていると意識してしまいそうだから部活の話を振ってみた。こういうときに彼の口からよく出てくるのは沢村くんや降谷くんの名前。その表情は楽しそうで、仲が良いことがよくわかる。男子同士の友情。ちょっとうらやましい。

「あ。雨」

その声に、無意識に窓のほうを見た。春市くんの言うとおり、網戸越しに見える空からは大粒の雨が降っている。ザアザアと雨粒が地面を叩く音。窓に近づいて外を覗くと湿ったにおいがした。

「うわーどしゃ降りだ」
「ね。通り雨だとは思うけど、向こうの空明るいし」
「止むまで雨宿りしてく?」
「そうさせてもらおうかな」

本当は傘を貸すという選択肢もあったけれど、まんまと雨宿りの提案に乗ってくれた。座ったまま距離を詰めて彼の体にぴったりとくっつく。腕と腕が触れてときめいた。窓の外を見つめていた視線が、不思議そうに私へと向く。

「もしかして寒い?」
「え?まあうん、ちょっと」
「じゃあ何か羽織るもの…」
「いーのいーの。こうしてたらあったかい」

本当は寒くなんてない。だけど、ただくっつきたいだけだなんて照れが邪魔して言えそうにないから、そういうことにしておく。一応納得したらしい春市くんはそれ以上なにも聞かなかった。床に置いた私の手に自分のそれを重ねて、手の甲を優しく撫でる。しばらくそうしていると、なぜか突然彼が笑って、空気が揺れた。

「どうかした?」
「ううん。雨が降ってラッキーだったなと思って」
「でも雨だと部活でグラウンド使えないでしょ」
「確かにそれは困るんだけど」

さらりとした柔らかい色の前髪が流れて、きれいな瞳が覗く。

「ナマエと一緒にいられたから」

私を映すその瞳に嘘はない。息を吐くように自然な調子で呟かれた言葉は、いとも簡単に私をざわめかせた。彼自身は特別なことを言ったつもりなんてまるでないのだ。赤く染まらない頬がその証拠。そのことに尚更、強く揺さぶられる。ダメだ、やっぱり離れたくない。

「春市くん」
「ん?」
「大好きです」
「え!?どうしたの急に!」

彼の都合も、流れる時間も、すべてどこか遠くに追いやって、自分勝手に願わずにはいられなかった。どうか、この雨が止みませんように。


2015.6.27

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