ボーダー本部の基地は広い。長く伸びる廊下をできる限りの早歩きで進んでいると、通りかかった寺島さんに声をかけられた。
「そんなに急いでどっか行くの」
「今からパーティーなんです」
「パーティー……?」
足は止めないまま答えて、不思議そうに首を傾げた先輩を置き去りにする。
今夜はパーティーだ。弓場くんのアパートで餃子パーティー。同級生隊員たちがそれなりに揃うはずだが、最終的に誰が来る予定なのかは把握していない。ミーティングが入っていた私は遅れて参加すると伝えている。もうみんな食べ始めている頃だろうか。今日は昼ご飯が早めだったこともあり、頭の中はもう餃子でいっぱいである。
本部を出ようとしたところで、羽矢から「迎えが行くから正面入口で待機」と簡潔なメッセージが届いた。ハテナを浮かべながら一旦立ち止まる。迎えって、どうしてわざわざ。
「おつかれさーん」
数分も経たないうちに、のんびりとした様子で現れたのは迅くんだった。どうやら迎えとは彼のことらしい。
「迅くんもいたんだ、今日」
「そりゃあいるだろ」
「最近見かけなかったから」
「まあね。久しぶり」
「うん、久しぶり。餃子まだある?」
「まだまだめちゃくちゃあるよ」
久しぶり感はまるでないまま、自然と並んで歩き始める。
外に出ると、アスファルトが濡れていた。時折吹き抜ける風は生ぬるく、夕立の名残で湿ったにおいと空気が全身にまとわりつく。爽やかとは程遠い夜だ。
それでも全然嫌じゃなくて、むしろ足取りが驚くほど軽いのは、隣にいる彼のせい。あと餃子。
「わざわざ来てくれてありがとね」
「買い出しついでだし。全然」
迅くんが両手に握るビニール袋には、飲み物やお菓子がこれでもかと詰まっていた。
「片方持つよ」
「だいじょーぶ」
「重そう」
「重くはないかな」
軽くもないのだろうけど、譲ってくれなさそうなので引き下がった。空いたままの両手をぶらぶらと揺らしてから軽く伸びをする。
「今回はなにしてたの」
「なにって?」
「忙しかったんでしょ。全然いなかったし」
「おれのことそんなに気になる?」
「うん」
「……嬉しいけどヒミツ」
「ケチ」
「ごめんって」
本部基地から離れるにつれて、街は賑やかになっていく。夜道には慣れてるし、迎えなんてわざわざ申し訳ないな。と思っていたけれど、弓場くんの家に行くには飲み屋街を通ることになるので、迅くんが来てくれてやっぱりよかったかもしれない。酔っぱらいや居酒屋の客引きを横目に思った。
「餃子つつんだ?」
「いや、遅れて行ったらもう焼き始めるとこだった」
「私たち作りもせずに食べるだけ組じゃん」
「そうなるな」
「がんばろうね、片付け」
「おれは一応買い出ししてるんだけどね」
「……がんばろうね、片付け!」
「わかったわかった」
仕方ないなといった様子で、眉尻を下げてやわらかく笑った。
迅くんと一緒にいると、凪いだ海を思い出す。静かで、穏やかで、どこまでも果てが見えなくて。空気がゆっくり流れていくような。いつのまにか肩の力が抜けていくような。今も、そう。
明明とあたりを照らしていたお店は次第に数を減らしていき、気づけば夜闇の中にいた。一軒家が立ち並ぶひっそりとしたこの通りでは、ぽつぽつと立っている街灯と、家の窓から漏れる明かりだけが頼りだ。空に浮かぶ月は細いから。
弓場くんのアパートまでもう少しだろうか。記憶をたどっている横で、迅くんの歩くスピードがだんだんと遅くなっていく。私もそれに合わせる。ついには二人して足が止まってしまった。どうしたんだろう。疑問に思いつつも、黙って様子を伺った。
「ちょっと遠回りしていかない?」
提案した彼の表情はよく見えない。今にも鳴りそうなペコペコのお腹のことが頭をよぎった、けれど。
「いいよ」
「お、よかった」
「でもなんで?」
何とはなしに訊ねると、間を空けずに答えが返ってくる。
「まだ二人でいたいからだよ」
音のない夜だ。呟くような声も、しっかりと響いた。「やっぱ片方持って」と迅くんがビニール袋を押しつける。そうして空いた片手で私の手を遠慮がちにそっと握り、本来進むべきではない方向へと足を踏み出していく。
空腹なんてどこかへ消え去ってしまった。握り返した手のひらが、熱い。
2024.7.21