これあげる。遥が手のひらに乗せてくれたのは、みんな大好きな和菓子屋さんのどら焼きだった。

「いいとこのどら焼きだ!」
「いいとこのどら焼きだよー」
「もらっていいの?」
「うん。差し入れでもらったからお裾分け」
「やったー、ありがとう」

 透明のフィルム越しにずっしりとした重み。こんがりと焼かれた皮の間には、絶妙な甘さの粒あんがたくさん詰まっている。しょっちゅう食べられるものではない。せっかくなので後で半分こして食べようと決めた。
 用事を済ませたら世間話もそこそこに、嵐山隊の作戦室を後にした。広報部隊を兼ねる彼らは相変わらず忙しそうだ。遥とはクラスが同じこともあって、普段からその多忙っぷりを目の当たりにしている。
 中央オペレーターは業務が比較的落ち着いているほうだけど、ここ最近は人手不足もありちょっと忙しい。私もいつもよりだいぶ多めにシフトに入っている。それゆえに空き時間があまりない日々を送っていた。

「あ、お疲れさまです」

 ロッカールームを目指して廊下を歩いている途中、向かいから歩いてくる二人組に遭遇した。太刀川さんと出水くんだ。

「おー、ミョウジ。昨日ぶり。今日も仕事か」
「さっき終わったとこです。二人は、えーと……今から防衛任務ですか?」
「いや、今日うちは非番」
「さっきたまたま会ったんすよね」
「そうそう。俺は個人ランク戦に行ってくる」

 相変わらず戦ってポイントを積み重ねまくっているらしい。昨日もいたし、一昨日もいた。毎日本部内で太刀川さんの姿を見かけている。

「太刀川さん太刀川さん」
「んー?」
「今日はちゃんと大学行きました?」
「なんだ、急に」
「忍田本部長が気にしてたから」
「マジか」

 直接聞いたわけではない。本部長が気にしていたという話を、沢村さん経由で聞いたのである。給湯室で。

「で、行ったんですか」
「そうだな、まあアレだ。行ったような気もする」
「出水くんこれ本当?」
「たぶん行ってねーよ。二日酔いで昼まで寝てたって」
「出水、余計なこと言うな」
「ではそのように報告しときまーす」
「待て、ミョウジ。明日は行くから勘弁してくれ」

 行く手を太刀川さんに遮られる。左右の隙間を抜けようと試みるものの隙がない。さすがナンバーワン攻撃手である。「わかりました、言いませんから」となんとか宥めて、まだ疑っている様子の太刀川さんと苦笑いの出水くんとその場で別れた。
 ロッカールームで帰り支度を済ませてからどら焼きを丁寧にカバンに仕舞う。外に出た時には、西の空が橙に色濃く染められていた。
 ボーダー本部から少し離れたところに公園がある。それなりの広さがある公園は、ずっと前からここに存在している。結構年季の入った場所のはず。それなのに遊具が真新しく見えるのは、何年か前に塗り直されたから。ただし、なぜかベンチは塗り直しをされなかったので、古びた木目のままだ。

「お待たせ」

 出水くんの姿はすぐに見つかった。駆け寄って、ベンチの端に座る彼のすぐ隣に腰を下ろす。

「ん、お茶」
「ありがとう」

 オレンジ色のキャップのペットボトルを受け取り、ぐるりとあたりを見回した。
 沈みゆく夕陽を受けた公園には、夜の気配が薄く滲んでいる。昼間は子どもたちがたくさんいて賑わっているが、夕方五時を過ぎるとすっかり人の気配がなくなってしまう。二人きりになるにはうってつけの場所なのだった。

「あ、そうだ。私いいもの持っててね」

 本部を出る前、大事に仕舞った例の物。カバンから取り出して堂々と掲げてみせた。

「じゃーん」
「お、いいとこのどら焼き」
「遥がくれた。一緒に食べよ」

 丸いどら焼きを真ん中で割った。私が何口かかけて食べていく半分サイズのどら焼きを、出水くんは二口くらいでむしゃりと食べ尽くしていく。豪快な食べっぷりを眺めていると、彼の口元がふと弛んだ。何かを思い出したようだった。

「さっき本部でさ」
「うん」
「……」
「なに笑ってんの」
「おれが非番なの知ってんのに、防衛任務? って」
「いやそれは、だってさあ!」

 つい声が大きくなる私を見て、出水くんは楽しそうに肩を揺らしている。

「なんて言えばいいかわかんなかったから。非番なの知ってたら変じゃん」
「ちょっと挙動不審になってた」
「うそ」
「ほんと」
「太刀川さん何か言ってた?」
「いや。あのあとすぐ別れたし」

 ホッと胸を撫で下ろした。本部長の名前に動揺していたし、私の挙動不審は目に入っていないだろう。たぶん。

「出水くんはなんでいたの、本部」
「作戦室に忘れ物取りに行ってた」
「言ってくれたら仕事終わりに取ってきたのに」
「なんでミョウジが、って絶対なると思うけどいーのか?」
「そこはまあ……ほら。うまくごまかしつつ」

 付き合い始めて数ヶ月。出水くんとの関係は誰にも言っていない。ボーダー内で付き合ってるみたいな話を他にあまり聞かないから、なんとなく表立って言えず。そもそも自ら宣言するものでもないかという思いもあった。
 たまに本部で出水くんと遭遇しても、付き合う前と何も変わらずやり取りしている。やってみたら意外といつもどおりにできて、私って演技派だったのかなと隠れた才能に気づいたり。

「おれは別にバレたっていいぜ」
「……私だっていいよ。あ、でもなー」
「なに?」
「太刀川さんに知られるのはなんかやだ」
「ははっ、太刀川さん信用ねーなー」
「すごいからかってきそう」

 実際見てきたかのように想像できる。面白いオモチャを見つけたと言わんばかりのニヤニヤした顔。同じ部隊の出水くんが確かに、と頷いているのだから、私の予想に間違いはないだろう。

「まー、おれはこういう秘密っぽいのも結構好きだけど」

 悪戯っぽく笑ったなと思ったら、顔が近づいてきた。息を飲んで目を閉じる。唇が触れる。離れていく気配とともにゆっくりと目を開いて、息をする。片手で数えられるくらいの触れ合いに、まだ慣れない。
 付き合い始めた私たちが普段何をしているのかといえば、学校や任務の合間に時間を合わせてこうやって公園で喋ったり、たまに一緒にファミレスに行ったり買い食いしたり。基本的には友達の時とあまり変わっていない。だから時々こうやって、友達ではやらないようなことをすると、なんだか無性にドキドキする。
 薄闇の中でじっと見つめられたら恥ずかしさが頂点に達しそうで、ごまかすように元気よく声を出した。

「出水くんはさ!」
「ん?」
「明日は防衛任務だよね」
「おー。ミョウジは非番だっけ」
「ううん、私も出勤」
「え、明日もかよ。すげーシフト入ってんな」
「今ちょっとバタバタしてる。でももうすぐ普通に戻る予定」
「ほんとかぁ?」

 しばらくは予定のすれ違いが続く。次にこうして会えるのは数日先になりそうだ。
 今日こうして二人で会うのも久しぶりだったから寂しいけれど。仕方がない。だけど、早く会いたい。まだ一緒にいるのに、もう次のことを考えてしまっている。

「今なに考えてたか当ててやろーか」
「うん」
「早く会いたい」
「……なんでバレてるの?」
「すげーわかりやすいもん、ミョウジ」
「もー! 頭の中読まないで!」
「うそうそ、ウソだって」

 肩めがけて繰り出したパンチは軽々と受け止められた。そのまま手を握りしめられて、隣を見つめる。

「おれと同じこと考えてたらいーのになって思ってただけ」

 その嬉しそうな顔が好きだ。ますます強く思う。早く会いたい。いやその前に、今が終わってほしくない。
 出水くんの手を思いきり握り返した。どんどん溢れて止まらない気持ちの分まで力をこめて。イテテと笑う横顔は、やっぱり嬉しそうだった。


2022.12.28

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