そろそろ行こっかな。独り言のように呟くと、ソファーに座る彼は苦い顔を隠そうともしなかった。
「前から言ってたでしょー、同窓会行くって」
「まあ聞いてたけど」
今夜は高三のクラスの同窓会がある。私のクラスには率先して幹事をやるような人がいないので、同窓会が開かれるのはとても珍しい。というか成人式のときを除けば初めてかもしれない。だからこそこの貴重な機会に参加して、昔を懐かしんだり、みんなの近況を聞いたりしたかった。あまり行ってほしくなさそうだった一也もその訴えを聞いて、最終的には私の希望を尊重してくれた。
コートを羽織ってバッグを持ち、おかしなところがないか鏡の前で最終確認。いつのまにかソファーから立ち上がりこちらを眺めていた一也に向かって、鏡越しに問いかける。
「どう? 変なとこない?」
「ない」
「よし、そんじゃ行くかぁ」
くるりとその場で一回転すると、大袈裟にため息を吐かれてしまった。
「あー、すげえ心配だわ」
「何も心配するようなことないって。ドラマじゃないんだから」
「そんなもんわかんねぇだろ」
「大丈夫だよ」
「もし誰かに言い寄られても冷たくあしらうように」
「はーい」
絶対ないよ、と思いながらも素直に頷く。少しでも一也の心配を減らせるように。そういった類の心配、今までに私が何度経験してきたことか。もはやプロの域に達しているくらい。だから、信じていたって不安になるときはあるのだとよくわかる。
玄関に向かう私の後ろを足音がついてきた。ショートブーツを履いて振り返り、向かい合う。
「一次会で帰るから」
「ああ」
「帰る前に連絡するね」
「わかった。楽しんでこいよ」
目の前の体を抱きしめて「いってきます」と声をかけた。応えるように、大きな手のひらが優しく背中を撫でてくれる。
ドア一枚隔てた外の空気は当然のごとく冷たい。あたたかい部屋の温度と体温を名残惜しく感じながら、私はマンションのエレベーターに乗りこんだ。
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数年ぶりの同窓会。最初こそほんの少し遠慮とよそよそしさがあったものの、始まってしばらく経つ頃にはしっかりと盛り上がりを見せていた。部屋の隅には気づけば女子ばかりが集まっていて、なんだか高校の休み時間みたいだな、なんて思う。
この歳になると、誰もが大なり小なりいろいろあるらしい。転職したとか、結婚して引っ越したとか。これといって大きな事件もなく過ごしている私は、みんなの話を聞きながら、感心したり驚いたりするばかりである。
次から次へと出てくる濃厚なエピソードに興味深く相槌を打ち続ける私の腕を、隣の友人がこっそりとつついた。
「元気だった?」
高校を卒業してからもずっと仲の良い友人。ちょこちょことメッセージのやりとりはしていたけれど、会うのは数ヶ月ぶりになる。
「元気だよ。そっちこそどうなの、仕事大丈夫?」
「まあなんとか。落ち着いたらまたご飯誘うわ」
「わかった」
「今日、御幸くんは? 迎えに来る?」
「ううん。電車で帰るって言っといた」
「なんだー、久しぶりに挨拶したかったな」
残念そうに唇を尖らせる彼女に「伝えとく」と笑った。彼女にだけは一也のことを話している。私の話を聞いては心配したり励ましたりからかったり、頼もしく見守ってくれている友達。なかなか会えない日が続くときもあるけれど、大切な存在だ。
「ミョウジさん」
友人との会話が一旦落ち着いたところで、反対隣から声をかけられた。さっきまで空いていたはずの場所に人が座ってこちらを向いている。
「俺のこと覚えてる?」
にこやかに細められた目をじっと見る。
覚えている。というより、顔を見て思い出した。付き合う彼女がころころと変わる派手めな男子。軽いというかチャラいというか。女子と見れば手当たり次第に声をかけていたっていう、あまり良くはないイメージがある。
「覚えてるよ。林田くんだよね」
「そうそう、よかったわー覚えててくれて」
念のため警戒心を忘れないようにしつつ応じる。話題はなんてことない世間話と思い出話。なんとも健全で平和な雰囲気に、少し肩の力が抜けた。
変に身構えすぎだったかもしれない。考えてみれば、卒業してもう何年も経っているんだ。彼もあの頃とは変わっているんじゃないだろうか。
自分の疑り深さについて反省していると、前触れもなく急に彼の体がグッと近くなった。先ほどまでの健全で平和な雰囲気は消え去って、囁くような声が耳を撫でる。
「今度さ、二人だけで飲みに行こうよ」
反省する必要はまったくなかった。心の中がスッと冷える。詰められた距離の分、横にずれてできるだけ体を離した。
「ごめん。付き合ってる人いるからそれはちょっと」
「え、マジで?」
「マジで」
「うわー、ショックなんだけど」
全然思ってなさそうな声色だ。私だけじゃなくいろんな人に同じことを言っているんだろうなと容易く想像がつく。
「相手どんな奴?」
「えー……メガネかけてる」
「他には?」
「別にこれといって特徴ないよ」
「いやいや絶対そんなことないじゃん。じゃあ出会いは、職場とか?」
「あ、ごめん。私ちょっとお手洗い」
少し不自然だったかもしれないけれど、なんとかその場から抜け出した。プロ野球選手である一也の話をそんな軽々しくできない。ていうかそもそも、まったく親しくない相手に、大事な人のことをあれこれと話したくはない。
トイレの前の壁に背中を預けて、長く長く息を吐き出す。スマホの画面には何の通知も届いていない。あれだけ心配してたのに連絡ひとつないんかい。などと、ものすごく勝手なことを考える。反対を押し切って来たのは自分自身だというのに。
なんだか無性に一也の声が聞きたくなって、仕方なかった。
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「え、二次会行くの?」
居酒屋の外、店からこぼれる明かりにぼんやりと照らされた仲の良い友人は、私の目を見てこくりと頷いた。
「せっかくだから行こうかなって。明日休みだし」
「へー」
「ナマエはやっぱ行かない?」
「うん、帰る。今度どうだったか聞かせてね」
「はいはーい」
御幸くんによろしくね。私にしか聞こえない声でそう言って、彼女は他の二次会組と共に歩いていった。
久しぶりの同窓会はあっという間に終わった。昔話もできて、みんなの近況も聞けた。大満足の結果といえる。あとはまっすぐ家に帰るだけ。
駅に向かおうと足を踏み出したところで、目の前の道を塞がれた。林田くんだ。思わず苦い表情が出てしまいそうになる。姿が見えないから二次会に行ったものだと思っていた。
「ミョウジさん、帰んの?」
「うん」
「帰る前に連絡先だけでも教えてよ」
「だから付き合ってる人いるんだってば」
「連絡先くらいならいいじゃん」
「全然よくない」
結構冷たく拒否を示しているつもりなのだが、まったく効いているように見えない。お酒のせいか、元々の性格なのか。バッグの中から勝手にスマホを奪われそうな勢いだ。
走って逃げたら撒けるだろうか。相手は酔っ払いだし。林田くんの言葉を右から左に受け流しながら、一刻も早くここから立ち去る方法を考える。
「ナマエ」
悩んでいるところに背後から聞こえた声。まさかと思った。だけどそこに立っていたのは、やっぱり一也だった。
「……え?」
「迎えにきた」
「なんで、電車で帰るって言ったのに」
「まあいいじゃん。それよりえーと、こちらは……?」
メガネ越しの視線が流れるように動く。その先にいる元クラスメイトは、今までとはまるで別人のように黙りこんで静かになっている。
「三年のとき同じクラスだった林田くん」
「どうも、御幸です」
「……あ、ハイ」
「俺も元青道で。クラスはB組なんだけど」
「いや……うん。知ってる。めちゃくちゃ知ってるから」
軽薄な笑みが引きつっている気がする。「メガネの彼氏って御幸……」とぶつぶつ呟きながら少しずつ後ろに退がったと思ったら、二次会に行く、と短く言い残して足早に立ち去った。
私たち以外には誰もいなくなって、しんとした空気が訪れる。チラリと隣を見上げると、なにか言いたげな視線とぶつかった。
「……はあ〜」
「なにそのため息」
「油断も隙もねぇ」
呆れたような表情とは対照的に、かけられる声は優しい。
「言い寄ってくる奴はもっと冷たくあしらわねーとダメだろ」
「冷たくあしらってたよ」
「全然冷たくねぇあんなの。次からは超かっこいい彼氏がいるから近づくなって言って」
「超かっこいい……彼氏……?」
「こら」
「うそうそ。超かっこよかったよ、さっきも」
本音だった。一也の顔を見てすごくホッとした。そこにいてくれるだけで、声を聞くだけで、私はどこまでも安心できるから。
「同窓会、楽しかったか?」
「うん。楽しかったよ」
「よかったな」
「迎えに来てくれてありがとう」
「どういたしまして」
向けられたやわらかい表情が胸に刺さって、思わず抱きつきそうになった。しかし、ここは外。どこで誰が見ているかわからない。行動に移す前になんとかグッと押しとどめる。我慢できてえらいな、私。またうっかり伸ばしてしまわないように、両手を後ろで組んで自ら封じておく。
「ねえ家着いたらさ」
「んー?」
「一也が淹れてくれたコーヒー飲みたいな」
「いいよ。美味いの淹れてやるから早く帰ろうぜ」
おいしいコーヒーの前に、まずは一也を思いっきり抱きしめる。絶対。
密かに決意を固める私の横で、実は彼も同じことを考えていたらしい。玄関に入ってすぐ抱き寄せられたとき、ようやく私はそれを知るのだった。
2022.10.30