外はもうすっかり夜に包まれていた。ボーダー本部を出て、連絡通路を抜けて、ぽつぽつと並ぶ街灯の光を頼りに暗い夜道を歩く。
 ラウンジで喋っていたら遅くなってしまった。晩ごはんどうしよう。こないだ大量にもらった素麺を茹でるか、それとも今から作るの面倒くさいから何か買って帰るか。考え始めると急激にお腹が空いてきた。空腹を抱えて食べ物で頭を埋めつくしながら歩いていると、カバンの中で震えるスマホに気がついた。電話だ。太刀川さんから。

「もしもし」
「おまえ今どこ?」
「外です」
「外のどこだよ」
「今さっき本部を出たとこ」
「で、このあとどうすんだ?」
「家帰ってごはん食べますけど……」
「よし、じゃあ今から来い。飯ならこっちで食えるから」

 お店の名前を告げて、一方的に電話は切られた。スマホを握りしめたまま立ち尽くす。指定されたのはボーダー関係者もよく利用している安くて活気のある居酒屋で、ここから割と近い。早く帰って着替えてだらだらとくつろぎたい気もするけど、明日は朝早いわけでもない。どうしようかとしばらく考えた結果、私は居酒屋に向かうことにした。



「来た来た。ここ座れ、ここ」

 すでにほろ酔いっぽい太刀川さんが右隣をポンポンと叩く。言われるがままそこに座った。他のみんなからも、お疲れ、腹減ってるか、とそれぞれ声がかかる。メンツを見るに、麻雀組が勝負終わりに飲みに来たってところだろうか。高校生だからか、おサノの姿は見えない。代わりになぜか風間さんがいて黙々と卵焼きを食べていた。隣でビールを飲む太刀川さんに顔を寄せて、小さめの声で抗議する。

「なんで未成年を飲み会に呼び出すんですか」
「暇そうだから」
「まあ暇ですけど」
「酒以外なら何頼んでもいいぞ。好きなだけ食え」

 メニュー表を受け取るとき、一番遠い席に座っている迅と目が合った。軽く手をあげて挨拶されたので、同じように手をあげて返す。迅がこういう場にいるなんて珍しい。だけど未成年仲間を見つけて少し安心した。もしまわりが酔っ払いまくっても、一人だけ素面で取り残される心配はなさそうだ。ていうかそもそもいい大人が揃いも揃って酔い潰れるなんて、まさかそんなことにはならないはずだ。たぶん。きっと。



「…………」

 まさかそんなはずはという私の予想は、見事に外れることになった。一人、また一人と静かになっていき、トイレから戻ってくると、さっきまで賑やかに喋っていたはずの諏訪さんも、空のジョッキを握ったままテーブルに突っ伏して寝息を立てている。
 いい大人が揃いも揃って寝てしまった……。ため息をこらえながらとりあえず元の席に戻ると、グラスを持って移動してきた迅が私の向かい側に腰を下ろした。そこにはもともと風間さんが座っていたけれど、諏訪さんに呼ばれて行ってしまったので今は空いていた。

「うまそうなの飲んでんな」
「ファジーネーブル、ノンアルの。迅のは何?」
「烏龍茶」
「お茶か〜」
「さっきまでカルピスとか飲んでたけど」
「へえかわいい」

 隣に目をやって、赤い顔のまま眠っている太刀川さんを見る。太刀川さんだけじゃなくみんなそれはもう気持ちよさそうに眠っている。寝不足だったんだろうか。原因は防衛任務か、麻雀か、はたまたレポートか。一番頼りになりそうな東さんは、研究室に寄る用事があるということで途中で帰ってしまっていた。迅と顔を見合わせる。

「どうしよう。帰れない」
「そのうち冬島さんが起きるから大丈夫だよ」
「そうなの?」
「うん」

 彼がそう言うのなら間違いないだろう。閉店までまだ時間はあるし、二人でお喋りしながらしばらく待つことにする。

「今日さ、迅がいると思わなかった」
「そう?」
「うん。珍しい」
「ま、ミョウジも来るって聞いたから」
「ふーん?」
「でもおれがいてよかっただろ。じゃないと今マトモなのおまえ一人だったよ」
「ほんとだよ」
「危なかったな〜」

 まわりが全員寝てしまって自分だけ冷静なまま困り果てている状況を想像した。嫌すぎる。仲間が一人いるだけで、こんなにも心強い。

「私はお酒飲んでもこうならないようにしよ」
「酒飲んでみたい?」
「飲めるようになったら飲みたい」
「じゃあ初めての酒は一緒に飲みにいこうな」
「うん! ……あ、ダメだ」
「え、ダメ?」
「先約が」
「誰」
「太刀川さん。ハタチになったら飲みに連れてってやるって」
「あーダメダメ、それは絶対ダメ」
「なんで」
「心配すぎる。おれにしときなって」
「でも太刀川さんのほうが先に約束したからなあ」
「わかった。じゃあ三人で行こう」

 渋々といった様子で提案された。もちろん私は大歓迎だし、太刀川さんもすぐにオッケーするだろう。そうだね、と同意してから、枝豆をつまんでいる迅の伏せた目をじっと見つめた。

「迅って心配性だね」
「ミョウジのことだからだよ」
「なんで?」
「なんでってそりゃあ……」

 熱のこもった眼差しが不意に向けられる。あれだけ騒がしかったまわりの空気が、一瞬静まり返ったように感じた。頭がくらくらする。お酒を飲んだわけでもないのに。
 なんとなくそうかなって前からずっと思ってはいるけれど、もういっそハッキリ言ってほしい。そうしたら私は少しの迷いもなく受け入れるから。あ、そうか、別に待ってないで私から言えばいいのか。よし言うぞ、と密かに気合を入れて大きく息を吸うと、声を発する前に、目の前に突き出された手のひらに発言を止められた。

「ちょっと待った」
「なに?」
「ここではちょっとアレだから」
「アレってなによ」
「二人きりになったらおれから言う。だから待って」

 すべてを察している迅の表情は少し困ったように揺れていて、耳がほんのりと赤い。その姿が貴重すぎて、私の心臓の音はどんどん速くなって、今すぐ彼に触れたくて仕方なくなる。
 さて、どうしよう。とりあえず、すやすやと眠っている酔っ払いたちを叩き起こすところから始めようかな。


2021.12.5

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