晴れた日の昼下がり、私と遊真くんは玉狛支部近くの河川敷に座っていた。てっぺんを少し過ぎた太陽に照らされて、ぼんやりと薄い影がふたつ並んでいる。ときどき吹きぬける春の風が、彼の白い髪を揺らした。
 一ヶ月前のバレンタインデー、遊真くんにチョコレートを渡した。とても喜んでくれていたのをよく覚えている。このタイミングで呼び出されたということは、もしかしてホワイトデーの話だろうか。そんな感じでものすごくソワソワしながら来たわけだけれども、今のところ普通の世間話しかしていない。彼が現れたときに持っていた白い箱がとても気になる。でも聞けない。あまり気にしないようにしながらふたりでお喋りしていると、会話が一区切りついたところで、おもむろに姿勢を正した遊真くんが私の名前を呼んだ。差し出されたのは、先ほどから気になっていた白い箱。

「はい、どうぞ」
「これは……」
「バレンタインのお返しだよ」

 両手でそっとその箱を受けとった。もしかして、とひそかに期待はしていたものの、実際こうして受けとると驚きと感動がひしひしとこみ上げてくる。

「ありがとう、遊真くん。すっごく嬉しい」
「こちらこそバレンタインのときはどうもありがとう」
「いえいえ」

 ぺこりと頭を下げる遊真くんにつられて、私も同じように頭を下げる。受けとった白い箱をよく見てみると、貼ってあるシールに見覚えのある名前が書かれていた。

「これは……! 私が気になってたケーキ屋さん!」
「お、やっぱりか。合っててよかった」
「なんで知ってるの?」
「それはもう、いろんなところから情報収集したので」
「えー! そっかー、そうなんだ」
「ふたり分あるからあとで支部に行って食べよう」
「うん」

 いろいろ調べてお返しを準備してくれたんだ。ランク戦や任務や学校の合間に、私のことを考えながら。胸がジーンと熱くなる。こんな嬉しいことがあっていいのだろうか。頑張ってチョコレートを渡したあの日の自分を褒めてあげたい。こんな未来が待っているって、あのときは思いもしなかった。

「おれの独断でケーキにしたけど、ほかになにか欲しいものとかあれば教えて」
「別にないよ、ケーキ嬉しいもん」
「ほんとに? なにもないの?」
「うーん……。そうだなあ」

 私としてはケーキはもちろん、遊真くんが私へのお返しについて一生懸命考えてくれていたという事実を聞けただけで嬉しすぎるのだけど。まっすぐな瞳が答えを求めてくるのでとりあえず欲しいものを考えてみる。欲しいもの。特にない。物で考えるのならば、ない。ひとつの願望が浮かんだ私は、空を見上げていた視線を遊真くんへと移した。

「物じゃなくてもいい?」
「どうぞどうぞ」
「じゃあ、ふたりでどこか行きたい」

 私のリクエストを聞いた遊真くんは、目をパチパチと瞬かせた。

「そんなのでいいの?」
「そんなのじゃないよ、すごい贅沢だよ」
「そうか。じゃあ行こう」

 笑って頷いてくれた。思いがけずデートの約束までできて、すぐに浮き足立つ私は相変わらず単純である。さっそくスマートフォンを取り出して、いつか行きたいと思ってブックマークしておいたウェブサイトを順番に呼び出していく。徒歩で行けるところから電車を使うところまで。いつのまにかこんなにもたくさんの数を保存していた。

「どこがいいかな。いっしょに行きたいところいっぱいあるんだよね」

 彼のほうにスマートフォンを傾けながら画面を眺める。遊真くんは意外とたくさん食べるから、おいしいものがある場所とかいいかもしれない。

「遊真くんは行きたいところある?」

 スマートフォンから顔を上げると思っていたよりもすぐ近くに遊真くんがいて、その距離に驚いたときにはもう、大きく広げた腕の中に抱きよせられていた。中にすっかりおさまると、少し苦しさを感じるくらいに抱きしめる力が強くなる。だけどそれはほんの一瞬で、強い力はすぐに解けて体ごとするりと離れていった。向かい合った遊真くんの顔色はいつもと変わらない。私の顔は、熱い。

「な、どど、ど、どうしたの?」
「かわいいなーと思って見てたら、つい」
「つい……」

 急にちょっと心配になる。まさかそんなはずないとは思うけれど、いろんな人にやっているのでは、と。

「遊真くんって……よくやるの?」
「なにを?」
「その……さっきみたいなギュッと……」
「いやいや。したことないよ、誰にも」

 そうか、そうなのか。つまり私だけなのか。自分で聞いておきながら照れてしまった。両頬を手のひらで押さえて深呼吸すると、吐く息まで熱くて驚いた。恥ずかしくて隣を見られない私の顔を覗きこむように、「さっきの話の続きだけど」と遊真くんが首を傾げる。ニッコリ笑った彼は、やさしい声で答えた。

「おれは、ふたりでいられるならどこでも」

 こんなにも目の前の人しか見えなくて、心臓がうるさく鳴るなんてこと、今まで一度もなかったかもしれない。


2021.3.14

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