眩しくて目が覚めた。カーテンの隙間から太陽の光が差し込んでいる。ベッドの中でごろりと寝返りを打つ。風間さんの部屋はいつ見ても物が少ないなあ。そんなことを思いながら、考えたのは昨夜のこと。
 昨日は久しぶりに風間さんと二人で過ごせた夜だった。夕方この部屋に来て、テレビを見ながら晩ごはんを食べて、コンビニのプリンを食べて、お風呂に入って、それで……。そこまで記憶を辿ったところで、自分が何も身につけていないことを思い出した。恥ずかしくてあたふたしたけれど、ベッドの中にも部屋のどこにも彼の姿はない。キッチンのほうから音がするから、たぶんそちらにいるのだろう。引き戸が閉まっていて姿は見えないけれど。
 床に落としていたはずの部屋着は、枕元に丁寧に置いてあった。それらを身につけてからカーテンを開ける。一気に部屋の中が明るくなった。きれいに晴れた朝だ。窓から離れ、引き戸を細く開けてキッチンを覗くと、風間さんはハムエッグをフライパンからお皿に移しているところだった。料理をしている横顔に見とれていたら、気配に気づいた彼の目がこちらへと向く。

「おはよう」

 なんでもない普通の挨拶が、久しぶりだとこんなにも破壊力が増すものか。

「おはようございます」
「なんでそんな隙間から覗いてるんだ」

 なんとなく照れくさくて隠れてみたものの、不思議そうな顔で指摘されたので、引き戸を開けて風間さんの隣に立った。お皿の上にはおいしそうなハムエッグとレタスが乗っている。トースターの中に食パンが二枚入っているのも見える。

「おいしそう」
「ちょうどよかった。今できたところだ」
「起きるの遅くてごめんなさい」
「夜更かししたからだろう」
「だっ……だってそれは風間さんが」

 続く言葉は飲み込んだ。なかなか寝かせてくれなかったのは風間さんだけど、それを言ったところで恥ずかしい思いをするのは私である。

「そうだな。俺が悪い」

 せっかく飲み込んだのに。小さく笑いながらそんなことを呟くから、結局は恥ずかしくなってしまった。

「これ向こうに運びますね」
「ああ。パンももう焼けてる」
「はーい」
「飲み物は何がいい?」
「カフェオレ!」
「わかった」

 トースターから食パンを取り出しながらハッとする。私、遅れて起きてきた上に朝ごはんも飲み物もすべて風間さんに用意してもらって、いいのかそれで。コタツ机の上に二人分の朝ごはんを並べて、お互いの定位置に腰を下ろしてから、私はぺこりと頭を下げた。

「ごめんなさい」
「どうした、突然」
「いえ、なんでも。朝ごはんありがとうございます」
「別にたいしたことじゃない。それに、昨日は俺のわがままに付き合わせたからな」

 その言葉で、またしても昨夜の記憶が甦り顔が熱くなる。さっきから、わざとか。わざとなのか。恨めしく思いながら目を向けるけれど、彼は私の動揺を気に留める様子もなく「いただきます」と手を合わせた。そうだった。風間さんはそういう人だ。別にからかう意図など微塵もない、ただ事実を言っただけ。そういうことだ。考えるのをやめて、私も同じように「いただきます」と手を合わせる。
 私の前には薄めのカフェオレ、風間さんの前には牛乳。ハムエッグとレタス。こんがり焼きたての食パンにバターを乗せると、あっという間にやわらかく溶けていった。同じ部屋で目を覚まして、こうやって一緒に朝ごはんを食べるだけで、不思議なくらい穏やかな気持ちで満たされる。

「寝癖がついてるぞ」
「え、どこですか?」
「ここ」

 ふとこちらを見た風間さんが、食べる手を止めてはねた髪を撫でつけるように私の後頭部に触れた。しばらくそうやって寝癖を直そうとしてくれていたけれど、諦めたのか手を引っこめて再びパンをかじり始めた。仕方ない。あとでドライヤーを借りて直そう。
 コタツに潜りこませた足をごそごそと動かすと、風間さんの足先とぶつかった。ついていないと寒いような気がして、朝はまだ低い温度でコタツを稼働させている。けれど、もうそろそろ必要なくなるかもしれない。適当にチャンネルを合わせたテレビでは、今日は春らしい一日になるでしょうと気象予報士が告げていた。窓から見える空はたしかに清々しいほど晴れわたっていて、風もない。太陽を邪魔する雲はひとつもなく、白い光が街を明るく照らしている。外の空気はまだひんやりとしているだろうけれど、日の当たっているところはとても暖かそうだ。

「行きたいところは考えたか?」

 昨日の晩ごはんのときに話していたことを再び訊ねられる。今日は久しぶりに二人とも休みだ。つまり、一日中いっしょにいられる。私は楽しみすぎて数日前からワクワクが止まらなかった。

「うーん。家でごろごろもしたいけど、公園とか行っても楽しいですよね〜。天気いいし。あ、ここのジェラートも食べてみたい」
「どれ」
「これです、ちょっと前にオープンしたところ」
「……大学の近くだな」
「風間さんは何したいですか?」

 私から受け取ったスマートフォンで地図を確認している風間さんに訊ねる。最近忙しかったはずだから、家でゆっくりしたいかもしれない。二人でいられるならそれでも全然いい。彼は少しの間、静かに画面を見つめたあと、私にそれを返しながら目線を合わせて言った。

「全部」
「えっ」
「やりたいこと全部やるぞ」
「いいの?」
「ああ。食べたら出かけるか」

 ごくごくと牛乳を飲んでいる姿を見て、私も途中になっていた朝ごはんに手をつける。食べ終わったらお皿を洗って、寝癖を直して、気合いを入れて準備しよう。せっかくのデートなのだから。なんだか急にやることが多くなった。だけどそれすらも楽しくて嬉しくて、心が浮つくのを止められない。
 春の入口。どこにでもある普通の朝のこと。今日という一日は、まだ始まったばかりだ。


2021.3.6

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