西に沈んでいく太陽が、街を明るく照らしている。空の色が薄くなっていく。甚平を着た小さな男の子が、元気いっぱいに走って私を追い越していった。今日は夏祭りだ。
 同じゼミの友人たちに誘われた夏祭り。特に用事もないし、そういえば今年はまだ花火を見ていない。迷わず行くと返事をしたのはおとといのこと。それを思い出しながら歩いているうちに、待ち合わせ場所であるコンビニ前に到着した私は、すでに集まっている友人たちを見つけて駆け寄った。

「お待たせー」
「おお、お疲れ」
「ナマエが最後だよ」
「え、ごめん」

 謝りながら、ふと視線を奥のほうに向ける。そこに立っていた人物を見て思わず固まった。阿部がいる。なんでいるんだ。絶対に断ってるだろうと思ってたのに。いてくれて嬉しいけれど、心の準備ができていなくて困るような気持ち。固まったままの私と目が合った阿部は、挨拶をするように軽く頷いた。ぶんぶんと何度も頷き返してそれに応える。
 全員揃ったということで、花火が上がる河川敷を目指して歩き始めた。河川敷のすぐそばの広場にも、広場へ続く通りにも、たくさんの屋台が並んでいる。色とりどりの提灯が見えてくる頃には人もかなり増えて、まっすぐ歩くのがなかなか難しくなっていた。
 みんなを見失わないように気をつけながら歩いていると、前のほうを歩いていた阿部の歩くスピードが徐々に遅くなっていることに気づいた。後ろ姿が近づいてくる。一番後ろにいる私との距離が少しずつ縮まって、とうとう隣まで追いついた。

「来んのおせェよ」
「う……ごめん。いやでも時間ぴったりだからね、みんなが早いんだよ」
「フツーだろ」
「ていうか阿部が来るの意外だった」
「そーか?」

 そうだよ。誰に聞いてもたぶん私と同じことを言うと思う。だって夏祭りっていうものはとても楽しいけれどかなりの体力を消耗する。あの阿部が、まさか野球以外のことにそんな体力を使うとは思わなかったのだ。
 どういう風の吹き回しなのだろうか。不思議に思いつつじっと横顔を見つめていると、彼はそれを気にとめる様子もなくお面を売っている屋台の前で立ち止まった。

「お前の好きなキャラ売ってんぞ」
「ほんとだ! ってよく覚えてるね」
「何回も聞かされてっからな」
「そーだっけ」
「買う?」
「ちょっと待って、考える」
「おー、ゆっくり考えろ」
「……あれ。みんなは?」

 ふと振り返ると、さっきまですぐそこにいたはずの友人たちの姿が見えなくなっていた。

「先行っちゃったのかな」
「かもな」
「どうしよ、電話してみようか」
「あーちょい待て」

 ケータイを取り出した手を掴んで止められる。その感触に心臓が跳ね上がったけれど、触れていた手はすぐに離れていってしまった。当たり前のことなのにちょっとガッカリしてしまう。

「向こうもひとりじゃねんだから大丈夫だろ。なんかありゃ電話来るだろーし」
「……そうかな。まあ、そうかも?」
「何か食おうぜ、オレ腹減った」
「うん」

 そういえば私もお腹空いた。自分の空腹を思い出したところでハッと気づいた。これってもしかして、ふたりきりでは? ハプニングの結果とはいえ、ふたりで夏祭り。花火。どうしよう、顔がにやけそう。

「お前なに食いたい?」

 近くの屋台を確認しながら阿部が訊く。最初に食べたいものは家を出るときから決まっていた。

「とりあえず焼きそば!」
「焼きそばな。このへんなさそうだからあっち行ってみるか」

 人が流れていく方向へ足を進めながら、焼きそばの文字を探す。少し歩いて広場に出ると目的の屋台はすぐに見つかった。らっしゃい、と明るく出迎えてくれたおじさんに、焼きそばふたつ、と阿部が伝える。800円ね。おじさんの声を聞いて、財布から小銭を取り出した。
 お金を払って焼きそばふたつを受け取った阿部が、声をかける暇もなくさっさと歩いていってしまうから、小銭を握り締めたまま追いかけた。河川敷の芝生に出たところで足が止まる。

「このへんで食うか」
「うん」
「ほら焼きそば」
「ありがとう。これ私のぶん、お金」
「いらねーよ」
「いやいや、払うよ」
「いいからしまっとけって」

 どうやっても受け取ってくれるつもりはなさそうだ。諦めて小銭を財布にしまう。いただきます、と呟いてから箸を割る阿部の横で、私も手を合わせた。

「ありがとう、いただきます」
「ん」

 なんだかいつもより特別に感じる焼きそばを味わって食べる。阿部は私よりもだいぶ早く食べ終わっていたけれど、なにも言わずに待っていてくれた。
 焼きそばを食べ終わったあともいくつかの屋台を回った。じゃがバターを食べたり、かき氷を食べたり、たこ焼きを食べたり。ヨーヨー釣りで対決したらボロ負けした。ベビーカステラを半分こした。信じられないくらい楽しい。楽しいから、時間が過ぎるのがとてつもなく早い。明るかったはずの空は、いつの間にかすっかり暗い色に覆われていた。

「結局誰からも連絡なかったね」
「あ? あー、そうだな」

 ケータイを確認してみるけど何も通知は来ていない。もうそろそろ花火が始まる時間だ。人が少なくて静かに花火を見られそうな場所を探して、私たちは河川敷を歩いていた。浴衣を着た女の子グループが、笑い合いながら目の前を横切っていく。それをふたり揃って目で追う。浴衣の色も柄も一人ひとり違っていて、同性の私から見ても華やかでかわいい。阿部はどう思っているんだろうと気になった。

「浴衣かわいいよね」
「お前は着なかったんだな」
「みんな着ないって言ってたからひとりだけ着ててもなぁって」
「ふーん」
「着てほしかった?」
「うん」
「うん……え、うん?」
「お前のが見たかった」

 完全に冗談のつもりだった。べつに全然ちっとも、のような感じで返ってくると思ってた。予想もしていなかった言葉に、考えていたことを全部忘れる。そのときヒュルルと特徴的な音が聞こえて、直後、大きな音と共に空が明るく光った。反射的に空を見上げる。ついに始まった、今日のメインイベント。
 次々と夜空に打ち上げられて眩しく光っては、ハラハラと消えていく花火。見入って立ち尽くしていたら、隣を通り過ぎていく人と肩がぶつかってしまった。よろめいた私の手を、かたい手のひらが掴んで止める。そのまま引き寄せられて一気に距離が近くなる。さっき電話を止められたときとは違って、握られたままの手。離れていかない手。握り返してみたら、体が痺れるような心地がした。

「……あの、阿部」
「なに」
「次は浴衣着るから、その、また一緒にお祭り行かない?」
「ふたりきりならいーよ」

 頭上で一際大きな音が鳴る。この夜の花火を、私はたぶんずっと忘れないと思った。


2020.9.12

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