賑やかな食堂を出て、他の奴らより一足先に部屋に戻った。今日はクリスマス。冬合宿中の俺達だが、マネージャーがケーキを作ってくれたりしたおかげで意外とクリスマスっぽくなって盛り上がったと思う。
 電気をつけてベッドに倒れ込み、目を閉じると強大な眠気に襲われた。二回目だから去年に比べれば慣れたとはいえ地獄の冬合宿。誰しも疲労が溜まっているはずだ。俺も例外ではない。でもまだダメだ、歯磨いてねぇし風呂も入ってねぇ。
 倒れたまましばらく動けないでいると、枕元でケータイが震えた。いつも静かなのに珍しい。仕方なく重い体を起こす。

──今って電話かけても大丈夫?

 彼女からのメールだ。夜寝る前や土日にメールをすることはちょくちょくあるけど、電話の申し出は珍しい。何かあったのかと気になって俺のほうから発信した。短いコール音のあと、電話はすぐに繋がった。

「はい」
「あ、俺」
「急にごめんね。大丈夫だった?」
「ケーキ食ってちょうど部屋に戻ってきたとこ。なんかあった?」
「なんかあったわけではないんだけど、えーと……」
「んー?」
「……今からちょっとだけ会えないでしょうか」

 予想していなかった提案に一瞬考え込む。夜だから危ないとか、でも会えるのは嬉しいとか、その一瞬の間に駆け巡るいろんな思い。ふと、本当になんとなく、直感的に気になったことを聞いてみた。

「今どこにいんの?」
「寮の近く」
「え!?」

 思わず大きめの声が出てしまい、振り向いてドアを確認した。大丈夫だ、まだ誰も戻ってきていない。

「来てんの? マジで?」
「マジで来てる」
「ちょ、今すぐ行くから待ってろ」
「うん」

 電話を切るなり慌てて部屋を飛び出した。こんな体力どこに残ってたんだって我ながら思うくらい走った。寮の門を出て少し歩いたところにしゃがみこんでいる人影を見つけて、息を大きく吸って吐いて整えながら、近づいて声をかける。

「お待たせ」

 顔を上げて俺の姿を確認してから、マフラーをぐるぐる巻きにしたナマエが立ち上がった。

「こんな時間に出歩いたら危ねぇぞ」
「平気だよ。合宿で大変なときにごめんね」
「それは全然いーよ」

 申し訳なさそうにしている彼女にこれ以上気にしてほしくなくて、なんてことないように軽く返事をする。実際、なんてことないのだから。顔を見られる嬉しさに比べれば、俺の大変さなんてものは。

「ちょっとそのへん散歩するか」
「時間いいの?」
「大丈夫」
「疲れてるでしょ」
「疲れてたけどナマエの顔見たら吹っ飛んだ」
「またそういうこと言う……」

 照れて目線を逸らしながらもようやく緩んでくれた表情に、心の中でホッとする。いつもどおりの彼女になった。よかった。
 どこへ向かうわけでもなくなんとなく歩き始めて土手に出てみると、視線の先のほう、離れたところで何かが動くのが見えた。俺達以外に誰もいないだろうと思っていたから少し驚きながら、目を凝らしてみる。

「あ」

 無意識に声が出た。毎日顔を合わせているせいか、暗い中でも誰だかわかる。ひとつ下の後輩、小湊。その隣にはどう見ても野球部員ではない人影。

「だれ?」
「後輩」
「女の子といるね」
「だな。あ、こっち見た」

 俺の姿に気づいた小湊は、ここからでもわかるくらいにうろたえた。その顔はきっと塁上でガッツポーズをしているときのように真っ赤になっているんだろう。なんだか申し訳ない気持ちになる。だが、こっちも同じ状況を目撃されたわけだからおあいこだ。
 このことはお互いに秘密な。そんな気持ちをこめて、人差し指を口に当ててゆっくりと頷く。言いたいことをしっかりと察してくれたようで、小湊も神妙な面持ちで同じポーズを取り、大きく何度も頷いた。

「あっちのほう行くか」
「そうだね」

 小湊たちに背を向けて、まっすぐに伸びる土手の道を歩く。足元でジャリジャリと鳴る音がやけに大きく聞こえる。怖いくらいに静かな夜だ。雪でも降りそうなほど冷え込んだ空気のせいなのか、余計にそう感じた。

「ケーキ食った?」
「うん、家で。一也も食べたんだね」
「マネージャーが作ってくれたやつな」
「人数多いからケーキもすごそう」
「まあまあうまいって言っといた」
「わー、さっちんの怒る姿が目に浮かぶ」
「はっはっはっご名答」

 なんでもない話をしながら歩く。そうしてしばらく経ったとき、会話が一段落ついたタイミングで彼女が立ち止まった。その隣で俺も足を止める。何も言わず様子を見ていると、彼女は持っていた紙袋を躊躇いがちに差し出した。中には金色のリボンで飾られた赤い袋。後ろ手に隠していたけど丸見えだったそれ。

「あげる」
「これはもしかして」
「クリスマスプレゼント」
「おおー」
「部屋に帰ってから開けてね」
「なんでだよ」
「恥ずかしいから」
「まあいいけど。ありがとな」

 受け取ったプレゼントを袋の外側から撫でまわして中身を当てようとしていたら睨まれた。怒らせてはいけないのでおとなしく手を引っ込める。

「俺準備できてなくてごめん。今年中に渡すから」
「いいよ別に」
「いーや、絶対に渡す」

 ほんとに全然いいのに、と言いながらも嬉しそうな顔を隠しきれていなくてかわいい。絶対にすげー喜ぶものをあげよう。改めてそう決意した。

「これ渡しにわざわざ来てくれたんだ?」
「それもある……けど」

 問いかけると、彼女は意味ありげな言い方をしたまま黙ってしまった。だけどそれに続く言葉を、ここに来た一番の理由を、俺はたぶん知っている。なぜなら俺も同じだから。会いたかった、どうしようもなく。

「次会えんの早くて大晦日かなーと思ってたからさ」
「冬休みだしね」
「だろ。だから今日会えて嬉しい」
「……うん」
「ナマエも嬉しい?」
「めちゃくちゃ嬉しい」
「うんうん俺のこと大好きだもんなー」
「自分で言う?」
「だって合ってるだろ。え、違う?」
「違わない」

 ぐしゃぐしゃと頭を撫で回して抱きしめる。いつもなら髪型が崩れると文句を言われるところだが、今日は何も言わず俺の背中に腕を回して抱きしめ返してくれている。
 かわいい彼女とクリスマスの雰囲気に、俺はどうやら酔わされているらしい。好きだよ、なんてそんな言葉が勝手に出てくるほどに。浮かれすぎだな、ほんと。


2020.7.26

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