ボーダーでは、それぞれが所属する部隊以外にも、様々なところで繋がりがある。その繋がりとはポジションや趣味など挙げていけばいろいろとあるけれど、典型的な例のひとつが学年だ。私の学年は人数が少ないこともあり、なんだかんだで割と仲が良く、よくみんなで集まって飲み食いしていた。
 今日も、そう。おなじみの居酒屋で集まる約束をしている。いつもの五人で。

「おー、遅かったじゃねーか」
「……もうだいぶ酔ってる?」

 大学に寄ってから遅れて居酒屋に到着すると、諏訪くんがひらひらと手を振った。もうすでに何杯かグラスを空けている顔だ。背を向けていた風間くんと木崎くんも、私に気づいてこちらを向く。

「酔ってねぇっつの。ほらこっち来い、ここ空いてんぞ」
「諏訪の横は危ないからこっちにしとけ」
「危なくねーよ!」
「ケンカするなよ、おまえら」

 ほろ酔いの諏訪くんと木崎くんを、風間くんが冷静に止める。口をもぐもぐと動かしながら。言い合う彼らを横目にどこに座るか決めかねていると、トイレに行っていたらしい寺島くんが帰ってきた。なに揉めてんの、と訊ねられたけれど、説明する前に会話の内容からすべてを察したようだ。

「じゃあ俺が諏訪の横座ろっと」
「雷蔵はいいわ」
「いいわって何だよ」

 結局、諏訪くんの横には寺島くんが座り、その向かい側に私が座ると、グラスを持って移動してきた風間くんが隣に腰を下ろした。一瞬ドキッとしたものの、顔には出さず上手く隠せたと思う。たぶん。

「レポートは終わったのか」
「うん、さっき出してきた」
「よかったな」
「手伝ってくれてありがとう。今度なんか奢るね」
「別に気にしなくていい」
「ズリィぞ風間、俺のレポートは手伝ってくれねーのに」
「諏訪は毎回だからだ。最初のうちは手伝っていただろう」

 風間くんとふたりで図書館通いした数日間を思い返す。私は嬉しかったけれど、彼はただでさえ忙しい人だというのに、付き合わせてしまって本当によかったのだろうか。あまり気にしていると、気にするなと怒られるから口には出さないが。
 私の飲み物が運ばれてきたところで、あらためて五人で乾杯した。最近はそれぞれ忙しかったこともあって、全員集合はなんだか久しぶりのような気がする。相変わらず話が尽きることはない。内容はほとんどくだらないことばかりだ。

「そういえば、風間。昨日かわいい女子と歩いてたな」

 いつもどおりの、とりとめのない話。それが一段落したところで、木崎くんによって突如爆弾が落とされた。風間くん以外の全員がざわつく中、一番動揺していたのはおそらく私だと思う。

「マジかよ、おまえまさか彼女じゃねーだろうな?」
「記憶にない」
「どこで見たの、木崎くん」
「大学で。A棟の自転車置き場だ。昼過ぎくらいだったと思うが」
「自転車置き場……」

 顎に手を当てて俯き、しばらく考え込んでいた風間くんが、何かを思い出したらしく顔を上げた。

「あれか。迷子に道案内したときだな」
「大学に迷子?」
「一年なんじゃないか、たぶん。教室がわからないと言われて、口で説明しても伝わらないから、その教室まで連れて行ったんだ」
「それだけ?」
「ああ」
「でもかわいかったんだろ?」
「顔なんて見てないから覚えてない」
「いや、見とけよ。まあよかったわ、風間に先越されたかと思ったぜ」
「ていうか彼女いないのが不思議だよね、風間くんって。忙しすぎるからかな」

 自分で言っておきながら軽く傷ついた。そう、いつ彼女ができたっておかしくないんだ、彼は。そっと隣に目をやると、思いきり視線がぶつかってしまって、ごまかすようにグラスの水滴を撫でる。ざわざわと波立つ気持ちをなだめている私に、今度は諏訪くんが話題を投下した。

「そういうおまえは、和田と仲良かったんだな」
「わだ?」
「経済学部の」
「別に、全然。なんで?」
「こないだ一緒に飯食ってただろ」
「ええー、そんなことあったっけ」

 そう言われて、記憶をたぐり寄せているうちに思い出した。今の今まで頭からすっかり消え去っていたくらい些細な出来事。
 大学の講義が終わって防衛任務まで時間があったとき、ひとりで学食に行ったことがあった。窓際の席で食べていると、いきなり私の向かい側に座って話しかけてきた人がいた。それが和田くんだったというわけだ。だからただの偶然というか、別に待ち合わせて一緒に食べたわけではないし、そもそも彼とは講義がひとつ被っているだけで、よく話す間柄でもない。
 誤解を解くべくそれを一生懸命に説明していると、風間くんと至近距離で目が合った。

「本当に何もないのか?」
「ないよ!」
「もし何かあったときは隠さなくていいからな」
「木崎くんまで何言ってんの」
「隠さなくてもいいけど、まあ面接はするけどな」
「諏訪がやると圧迫面接になりそう」

 鋭く目を光らせる諏訪くんの横で、寺島くんが唐揚げに箸を伸ばす。誤解だと言っているのに、ちゃんと聞いているんだろうか、この人たちは。あれやこれやと言う彼らの姿は、なんていうか、心配性なお父さんが四人いるみたいだ。

「おまえってしっかりしてるけど、たまにボーッとして抜けてんだよな」
「そうかな」
「変な男に引っかからないよーに」
「はいはい。わかりましたよ、お父さん」

 グラスが空いた諏訪お父さんにメニュー表を渡した。お父さんってなんだよ、と不満そうな顔を見て、思わず笑ってしまう。そんな私に、彼らはさらに文句の矢を飛ばすのだった。



 会計を済ませるころには日付が変わっていた。居酒屋の外に出るとたくさんの人が行き交っていて、街全体がざわざわと騒がしい。さすが週末だと感心してしまう光景。私たちももれなくその一部だ。そんな中、先ほどから俯いたまま動かない風間くんに諏訪くんが近づいて、顔を覗きこむ。

「おーい風間、しっかりしろよ」

 呼びかけに対する返事はない。自分の力で立っているけれど目は閉じられたままだ。諏訪くんに背中を叩かれても反応がなかった。

「立ったまま寝るって器用な奴」
「寝不足なのかもな。最近毎日のように防衛任務入ってただろ」
「風間ー、ひとりで帰れる?」
「あ、私が送っていくよ。方向同じだし」

 そのくらいお安い御用だ。風間くんにはいつもお世話になっているから。というのももちろん本音ではあるけれど、正直に言うと、少しの下心がそこに混ざっていたりする。ちょっとだけふたりきりになりたい、みたいな。そんなやつ。
 もし不審者に遭遇したら風間を叩き起こせよ、というアドバイスを受けとってから、他の三人と別れてアパートを目指して歩き始めた。誘導すればちゃんと自分で歩いてくれるのだから楽なもんだ。おかげで特に問題なくアパートに辿り着くことができた。階段で二階に上がり、一番奥まで進んだところ。その角部屋が風間くんの部屋だ。さっき別れた三人と一緒に、何度か訪れたことがある。

「風間くーん、着いたよ。起きてる?」
「……」
「鍵、鍵。私の予想だとたぶんこのへんに……」

 やっぱりあった。カバンの内ポケットから取り出した鍵を差し込んで、玄関のドアを開ける。隣をちらりと見ると、まだ目は閉じたまま。勝手に部屋にあがるのは気が引けるけど仕方ない。ベッドに寝かせるだけ。その任務が完了したらすぐに帰るから、ごめん風間くん。
 相変わらず眠たそうな彼をベッドまで誘導して、寝転がらせる。なんとかぶつかることもなく辿り着けてホッとした。布団を掛け、寝顔を確認してから立ち上がろうとした、ちょうどそのときだった。強い力に引っ張られてベッドに座りこむ。気づいたときにはすぐそばに風間くんの顔があって、息を飲んだ。

「……ど、どうしたの?」

 できるだけ普通を装って訊いてみるも返事がない。薄暗く静まり返った部屋の中で、黙ったまま向かい合っているこの状況は、なんだろう。どうするのが正解なのか。握られた手首が熱い。

「風間くん、酔ってるでしょ」
「酔ってない」
「ほんとに?」
「今日は一杯も飲んでいない。気づかなかったか?」

 言われて驚いた。まさか一杯も飲んでいないなんて思わなかった。だけど確かに、今の風間くんにさっきまでの面影は一切ない。あの眠たそうな顔は夢だったのかと思うほどに。

「だから、これは酔った勢いなんかじゃない」

 ぼんやりと月明かりが差し込む中で、赤い瞳が揺らめく。飲み込まれてしまいそうなくらい強い光にとらわれる。しばらくの沈黙のあと、何か言おうとして開く唇を、ただ見つめていた。それを聞いてしまったら、きっともう戻ることはできない。わかっていた。手首を握っていた右手が少しずつ下りていき、そっと私の手に重ねられる。

「好きだ」

 その一言に心臓が大きく鳴って、頭に響いた。

「ずっと好きだった。今の関係を壊すくらいなら黙っておこうと思ったんだが……おまえが他の誰かと付き合うことを考えたら怖くなった」

 重ねられた手のひらに、ほんの少し力がこもる。

「誰にも渡したくないのに友達のままでいるなんて、無理な話だったな」

 心を読まれているんだろうか。そんなありえない想像をしたのは、私も同じことを思っていたから。
 仲の良い友人のままならば、傷つくことも傷つけることもなく、別れるリスクを抱えることもなく、一緒にいることができる。とても安全で、とても楽な関係。だけど、それだけではいられないほどの気持ちを抱えてしまった。もっと先の特別なところに行きたいと思った。私も、きっと風間くんも、お互いに。
 目の前の彼に何て答えよう。おそらくもう、私の気持ちはバレてしまっている。今見せている表情がその証拠だ。言葉に迷って黙りこむ私の頬に、焦れた左手が伸びてきて、触れる寸前で止まった。

「返事を聞かせてくれないか」
「ちょっと待ってね」
「早くしないと勝手にキスするぞ」
「待ってってば。ちゃんと言うから」

 目を閉じて大きく深呼吸。ぬるま湯のように心地よく優しい関係は、今、自分自身の手で終わらせる。ここから先は別世界。もしかしたら傷つけ合うこともあるかもしれない。だけど、他の誰にも手に入れられない、ふたりだけの特別な世界。


2017.6.11 (2020.5.17再録)
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合同本「ワールズエンド」に提出。

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