早ければ早いほどいい、とは思わない。手をつなぐのも、キスをするのも、その先も。
昼休み、教室の隅、仲の良い友人と一緒にお弁当を食べていると定期的に近況報告会となる。恋愛的な意味での。一、二年と同じクラスだった彼と付き合い始めてしばらく経つにも関わらず、一緒に帰ったという報告しかしない私を、最初は友人も怪しんでいた。何かあったのに内緒にしてるんじゃないの?と。だけど今では、まあ相手はあの結城くんだもんね。とすぐに納得して終わる。そう、あの結城くんなのだ。強豪と呼ばれる野球部の元キャプテンでしかも四番打者の、結城くん。誰が見ても野球と相思相愛。そんな彼が、私の告白を受け入れてくれただけでも奇跡だ。
早ければ早いほどいい、とは思わない。だけど私は結城くんが好きだから、やっぱり触れたいし、触れられたい。今すぐじゃなくてもいつかは。そう思ってるのは私だけなんだろうか。廊下で私を見つけたときに緩む目元とか、一緒に帰るときに合わせてくれる歩幅とか、そういうのだけでも幸せだし満足してたはずなのに、だんだんと欲深くなる。
「あいつにはハッキリ言わねーと伝わらねえぞ」詳しいことは何も知らないはずの伊佐敷くんに、見透かしたようにそう言われたのは、確か先週のこと。


「ミョウジ」

隣から聞こえた声に意識が呼び戻される。いつの間にか学校を随分と離れ、住宅街から少し外れた通りに差し掛かっていた。
今日は結城くんと一緒に帰れる貴重な日だ。彼の家はもう通り過ぎたけど、いつも私の家の前まで送ってくれる。最初は申し訳ないからと遠慮したものの、自分がそうしたいだけだと頑なな彼の言葉に、最近では甘えることにしている。考え事は一旦置いておいて隣の結城くんに目を向けると、彼は呆れた顔をすることもなく私を見ていた。

「ボーッとしていたな」
「うん」
「ちゃんと前を見ないと転ぶぞ」

大丈夫だよと言おうとした瞬間に、ガクンと大きく体が揺れる。右足だ。ローファーの踵が地面の金網に綺麗にハマった。抜けなくなった右足に引っ張られるように、体のバランスが崩れる。うわああ!と思わず飛び出たかっこ悪い悲鳴と共に、結城くんの忠告通り私はその場で転んでしまった。勢いで右足のローファーが脱げる。もう少し早く脱げていれば転ばずに済んだかもしれないのに、今さらもう遅い。

「大丈夫か」

ほんの少し慌てたような声と、地面を踏む音が近づいてくる。こんな思いきり転んだのは一体何年ぶりだろうか。人気のない道でよかった、誰にも見られてない。だけど、ある意味一番見られたくない人にはしっかり見られてしまった。しかも忠告された直後に。大丈夫、と何とか一言だけ答える。
恥ずかしくて顔を上げられないまま、とりあえず立ち上がろうと地面についた手のひらに力を込める。と、次の瞬間には私の体は勝手に浮き上がっていた。結城くんが私の両脇に手を差し込み、抱き起こしたのだ。まるで小さな子どもにそうするように軽々と。びっくりしすぎて声も出ない。

「怪我はないか?」
「…う、うん、大丈夫。ごめんね」
「謝る必要はない」

いつの間に拾ってくれていたのか、足元に置かれた右足のローファーを履いた。汚れた制服や膝を、大きな手のひらで丁寧に払ってくれる。恥ずかしいし申し訳ないのに、その反面嬉しくもあって、私はされるがままだ。
しばらくそうしてくれていた結城くんは、ふと手を止めて私の頭のてっぺんからつま先までを興味深そうに眺めた。ん?と思っていたら今度は肩やら腕やらをペタペタと触り始める。予想もしなかった突然の行動に、思わず全身が硬直した。

「な、ど、どうしたの結城くん」
「…いや。小さい体だなと考えていた」
「そう?普通だと思うけど」
「少しの力で折れてしまいそうだな」
「そんなヤワじゃないって、結構頑丈だよ」
「そうか」

最後に彼の手は、私の手のひらに付いた小石を撫でるように落とした。

「だが、抱きしめるときは力加減に気を付ける」

顔を上げると、真っ直ぐに私を見つめる結城くんと目が合った。ドキッとした。いや、ギクッとした、のほうが近いかもしれない。私の頭の中が見透かされたんじゃないかと思って。
彼の目には不思議な力があるといつも思う。見つめられて、魔法にかかったかのように動けない。触れたままの手に引き寄せられると、私はいとも簡単に彼の腕の中におさまってしまった。触れてる箇所から伝わる高い体温も、腕の力強さも、間近で聞こえる呼吸も、すべてが初めて感じることばかり。抱きしめられている。その一文が頭に浮かぶたびに息が止まりそうで、何も言葉が出てこない。
空はもうすっかり暗い。人気のないこの道は本当に静かで、ドクドクと脈の打つ音が頭にまで響いてきた。隙間なくくっついたまま、息を吐くように「好きだ」なんて言われてしまったら、心臓を握られているような気持ちになる。背中に触れる腕の力が時々強まっては、自分を律するように緩まった。さっきの宣言を気にしているんだろうか。思いきり抱きしめられたら、私はどうなってしまうんだろう。

「苦しくないか」
「苦しくないです」
「突然すまない」
「なんで?嬉しいよ」
「こうしたいと、ずっと思ってはいたんだが」
「うん」
「我慢がきかなくなってしまった」
「しなくていいのに、我慢なんて」
「先を急いでミョウジを怖がらせたくない」

結城くんの息が髪にかかる。私だけじゃなかった。同じことを思っていた、それがわかっただけで、すぐそばに体温があるだけで、こんなにも安心して満たされる。自分よりも随分と大きな体を強く抱きしめると、それにつられるようにして、彼の熱っぽい腕が背中をゆっくりと撫でてくれた。

「大事にしたいからな」

これ以上、どうやって大事にされればいいの?


2014.10.5
title:メソン

- ナノ -