枕元で鳴り響いた電子音に、強制的に意識を揺り起こされた。カーテンの細い隙間から見えた空は薄暗い。ベッドから落ちかけていた掛け布団を引っ張り上げながら、ちゃんと目が開かないまま手探りでスマホを掴む。アラームかと思ったけど違うらしい。電話だ、出なければ。相手の確認もせず、ほぼ反射的に通話ボタンを押した。

「はーい……」
「おはよう」
「んー……」
「寝ぼけてるな」
「……ん? 待って、もしかして風間さん?」

 耳元で聞こえる声の主に気づき、ようやく意識がハッキリとしてきた。さっきまであんなに固く閉じていた目もしっかり開く。
 風間さんは今ごろ遠征に行っているはずだ。「じゃあ行ってくる」とあっさり挨拶されたあの日以降、もう何日も顔を見ていないし声も聞いていない。会いたい気持ちが強すぎて都合の良い夢を見ているんだろうか。でもこの布団の柔らかさも、どんどんうるさくなる心臓の音も、夢の中だとは思えない。スマホを持っていないほうの手を強く握りしめたら、手のひらに爪が刺さり痛みを感じる。さらに「言っておくがこれは夢じゃない」と私の思考を見透かした言葉が耳に届いた。

「寝てたか?」
「寝てた」
「だろうな。朝早くから悪い」
「え、ていうか遠征終わったの?」
「ああ」
「今どこ」
「ミョウジのアパートの前だ」
「ほんとに!?」

 じゃあ部屋に来て今すぐ! そう言ってすぐさま電話を切る。画面に表示された時計を見ると、そろそろ朝の新聞配達も終わるだろうかという頃だった。人の家を訪ねるには非常識といえる時間だ。でももはやそんなことはどうでもいい。
 玄関ドアの前で待ち構えていると、さすがにインターホンを鳴らすのは気が引けたのだろうか、控えめなノックの音が2回。

「風間さんっ!」
「ミョウジ、確認もせずいきなりドアを開けるのは危ないと何回も言ってるだろう」
「ごめんごめん。でも今このタイミングで訪ねてくるの風間さんしかいないでしょ」
「そうとは限らない」

 小言を聞き流しながら、ドアの外に立ったまま入ろうとしない彼を引っ張り込んだ。掴んだ腕の感触に、あらためて思う。やっぱりこれ現実だ。
 まだうっすらと暗い部屋の中、電気もつけないまま、ベッドに腰を下ろして向かい合った。二人でこうして会うのはかなり久しぶりだ。数えてみたら大した日数ではないかもしれないけれど、私にとっては長すぎるくらいだった。会いたくて仕方なかった人が、今、目の前にいる。

「風間さん、おかえりなさい!」
「ああ。ただいま」
「遠征お疲れさまでした! なんか飲む?」
「朝から元気だな」
「久しぶりに風間さんに会えて嬉しくてめっちゃテンション上がっちゃった」
「そうか。俺も上がってるぞ」
「だよね、さっきから私のこと離さないもんね」
「そうだろう」

 力強い手に引き寄せられるまま、二人でベッドに倒れこむ。この体勢だとまるで風間さんを押し倒してるみたいだ。私の背中を抱きしめる腕は緩まない。
 こうしているとよくわかるのは、風間さんは見た目以上に逞しいということ。木崎さんや諏訪さんにも負けてないくらい。小柄な体のどこにそんな強さを秘めているんだろう。そうやって考えているうちに、ぴったりと触れ合う体や、すぐそばで感じる呼吸を意識してしまい、照れくさくなってきた。風間さんと一緒にいるといつだってドキドキさせられる。だけど同時に、溶けてしまいそうなくらい安心した気持ちにもなるのだから不思議だ。

「風間さん」
「どうした」

 呼ぶだけ呼んで問いかけには答えず、鍛えられた胸板に顔を押しつけると、後頭部を優しい手つきで撫でてくれる。風間さんの手が私に触れるたび、満たされていくのを感じる。お互い黙ったまましばらくそうしているうちに、なんだか安心して急激に眠くなってきた。そう、久しぶりに会えた嬉しさで忘れていたけれど、まだ明け方なのだ。今週締切のレポートを深夜まで書いていた私がベッドに入ったのはたしか2時を過ぎていたと思う。つまり、まだ睡眠を求めている。

「……風間さん」
「ん」
「ちょっとそれ脱いで」

 一向に離してくれる様子のない腕からずりずりとなんとか抜け出して、上着と靴下を脱ぐよう促す。言われたとおり素直に動きながらも、彼は不服そうな視線を向けた。

「なんだ?」
「とりあえず一緒に寝よ」
「この状況で寝るつもりなのか」
「寝るの遅かったからまだ眠い。風間さんも疲れてるだろうし」
「べつに疲れてない」
「はいはい、いいからいいから」

 まだ何もしてないのに。と、彼の拗ねた表情が言っている。風間さんってたまに子どもっぽくなるよね。普段はあんなにしっかりしてて大人びているのに。そういうかわいいところも好きだなあって気持ちと、遠征お疲れさまの気持ちを込めて、私から短いキスをした。唇を離して至近距離で見つめると、わずかに丸くなっていた瞳が満足そうに細められる。

「……仕方ないな。付き合ってやる」
「起きたらいっぱいイチャイチャしようね」
「その言葉忘れるなよ」

 頬を撫でるあたたかい手のひら。彼が今ここにいるという証。世界で一番、幸せな二度寝になりそうだ。


2015.5.31 (2020.5.17再録)

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