私にそれが言い渡されたのは、一週間前、雨が降る日のこと。

「ミョウジに重大な任務を与える」
「え?」
「遊真の足止めよろしくな」

 迅さんから突然言われた。部屋に入った瞬間だ。何のことだかわからない。
 部屋の中にはみんなが揃っていた。全員集合だとは知らなかったけれど、もしかして私がビリだろうか。いや、よく見ると遊真くんもいない。
 状況を飲み込めない私の様子を察した栞が、ホワイトボードを指差す。

「もうすぐ遊真くんの誕生日じゃない? お祝いしようと思って、その役割分担」
「そっか、なるほど! わかった、足止めね。……足止め?」
「サプライズにしようと思いまして」

 まだ理解しきれていない私に、今度はとりまるくんが詳しく説明してくれた。
 誕生日当日、遊真くんは鬼怒田さんに呼び出されている。それで支部を空けている間に、みんなで料理やら部屋の飾り付けやら、誕生日パーティーの準備をしようというわけだ。ただ、鬼怒田さんの用事というのがどのくらいで終わるのか読めない。だから私は遊真くんの付き添いとして一緒に本部に行き、もしも早々に用事が終わってしまった場合は、パーティーの準備が終わるまで遊真くんを足止めしておくということらしい。
 料理は木崎、小南。買い出しは迅、烏丸、ボス。部屋の飾り付けと食卓準備は宇佐美、三雲、雨取、陽太郎、ヒュース。主賓対応はミョウジ。ホワイトボードにはそう書かれていた。

「ミョウジの働きにかかってるからな。頼むぞ」
「了解!」

 迅さんの言葉に力強く返事をする。
 出会ってから初めて迎える遊真くんの誕生日。好きな人の誕生日。嬉しそうに笑う顔を想像して、つられ笑いをこぼした。



 そして迎えた当日、みんなの不安は的中した。想定よりもかなり早く、本部での用事が済んでしまったのだ。

「鬼怒田さん、本当にいいんですか? もう遊真くんに聞きたいことない?」
「ああ。暑い中ご苦労だったな」
「いえいえお安い御用です」

 いつものとぼけた顔でぺこりと頭を下げる遊真くんを横目に、気づかれないようこっそりとケータイを取り出す。もう終わっちゃったよ。支部で料理中の桐絵にメッセージを送ってみると、うまいこと足止めしといて、と即返信が来た。そうだよね、やっぱり。
 なぜ今日に限ってこんなにすぐ用事が終わるのか。鬼怒田さんを恨めしげに見れば、訝しげな視線を返された。何も知らない鬼怒田さんのせいにするのはやめよう。ここからが私の仕事だ。

「帰るか、ナマエ」

 開発室を出て、こちらに振り向く赤い瞳。ごくりと息を飲む。彼相手にウソは通用しない。

「帰る前に本屋行ってもいい?」
「いいよ」
「漫画の新刊が昨日出たんだよね」
「あ、こないだおれが借りたやつ?」
「そうそう。読んだら貸すね」

 本部の外に出ると、太陽の強い光が肌をジリジリと突き刺した。色の濃い空は、雲ひとつなく晴れ渡っている。今日という日がいい天気でよかった。
 そんなことを考えながら二人でなんでもない話をしているうちに、本屋に到着した。遊真くんはすぐに店の奥へと消えていってしまう。たぶん漫画コーナーだ。その後を追う前に雑誌コーナーに寄り道して、平積みされた雑誌を適当に眺めながら考える。
 とりあえず本屋に来たものの、ここで長居するのも不自然だ。このあとどうしよう。パーティーの準備完了まで、まだしばらくかかりそうだし。
 しばらくグルグルと考えたあと、雑誌コーナーを離れて、漫画コーナーに向かった。一通り棚を眺めて歩いてから目当ての新刊のレジを済ませ、遊真くんを見つけて声をかける。冷房が効いた店内から外に出ると、ムワッとした空気が肌に纏わりついた。

「お待たせしました」
「いえいえまったく」
「ねえ喉渇かない? なんか飲んでいこうよ」
「おーいいね」

 近くにある公園へと二人で立ち寄る。ここのあたりは住んでいる人が少ないこともあってお店が少なく、喫茶店やカフェなんてものがない。だからなにか飲むとなれば、コンビニや自販機で買って公園のベンチに座るという一択のみなのだ。
 できるだけ日陰の多い、大きな木の下のベンチに並んで座った。日が当たらなければ少しは暑さもマシな気がする。とは言え暑いものは暑い。ぬるくならないうちに、買ったばかりのレモンティーに口をつけた。あちこちから聞こえる蝉の鳴き声が凄まじい。木が多いからだろうか。さっきまではあまり気にならなかったのに。

「今日あっついね」
「そうだな。汗かいてる」

 何の前触れもなく、私の首筋に遊真くんの手が触れて汗を拭った。さっき買った炭酸水で冷やされたその手の主は、少しの邪念もないような顔でニコリと笑っている。心臓に悪い。それは、手の冷たさのせいではない。ドキドキしているのが自分だけみたいで、バツが悪くて目を逸らす。

「で?」
「うん?」
「おれを帰したくない理由はなに?」

 呼吸が一瞬止まった。そう思ってしまうくらいに、驚いた。

「……え、どういうこと?」
「わかってるくせに」
「わからないよ」
「本屋に行きたいのも喉が渇いたのもウソじゃないけど、それだけじゃないんだろうなと思って」

 勘なのか、彼特有のあの能力なのか。思惑を綺麗に言い当てられて平常心が消えていく。気づかれていたのだ、最初から。鋭い人だというのはわかっていたはずだった。

「なにを隠してるんだ?」
「なんにも」
「……ナマエ、おれにウソつくのか」

 その言い方はズルい。あと、その寂しそうな瞳も。
 罪悪感がどんどん膨らんでいく。迅さんの頼んだぞという言葉と、傷ついたような顔の遊真くんとの間で板挟みになって、なんと言うのが正解なのかわからなくなってしまう。うまいこと適当に言い訳をすればいいんだ。あともう少しなんだから。だけど、目の前の彼がそれをさせてくれない。
 もうダメだ、隠しきれない。崖っぷちまで追い込まれたそのとき、ケータイが震えた。すぐさまメッセージを確認する。準備完了、帰還せよ。その知らせだった。勢いよく立ち上がり、ベンチに座る遊真くんと向かい合う。

「遊真くん、ごめん。別に騙そうとしたわけじゃなくてね」
「うん」
「……とりあえず帰ろっか。そうすれば全部わかるから」
「ん? 帰ってもいいの?」
「大丈夫」

 手を引いて立ち上がらせる。木々の隙間から光が射し込んで、眩しそうに目を細めた彼に笑いかけた。

「一緒に帰ろ」



 玉狛支部に帰ってきたのは、通りかかった家から夕食のにおいが漂い始める頃だった。私の前を歩いていた遊真くんが部屋のドアを開ける。その瞬間、クラッカーの音が響いた。ヒラヒラとカラフルな紙吹雪が舞い落ちる中、勢ぞろいして出迎えてくれたみんなを、遊真くんは目を丸くして見つめている。

「誕生日おめでとう!」

 目の前の出来事を理解したときには、遊真くんの口元はすっかりゆるんでいた。みんなありがとう。丁寧にお辞儀してお礼を言ってから、私のほうへと振り返る。

「そういうことか」
「そういうことでした」
「なに二人でコソコソ喋ってんの。さあ座って座って、遊真はこっちよ」

 桐絵に促されて、遊真くんが主役席に腰を下ろす。それに続いてみんなもそれぞれ自分の席に座った。テーブルの上には、チキンカレーを筆頭に、特別感あふれるご馳走が所狭しと並んでいる。
 食べる前にあらためて、みんな口々に遊真くんへお祝いの言葉を伝える。そして陽太郎の号令で手を合わせ、いただきます、と声を揃えた。
 
 いつにも増して、ワイワイと賑やかな食卓だった。たくさんのご馳走をみんなで平らげて、ケーキとデザートを食べ終わって一息つく。いつのまにか始まっていたトランプ大会を見ていると、ソファーに座る私の背後にやってきた遊真くんが、そっと耳打ちをした。

「ナマエ、ちょっといいか?」

 振り向くと、遊真くんはドアのほうへ歩きながら小さく手招きをしていた。みんながトランプに熱中してるのを確認して、私も部屋を抜け出す。
 向かった先は屋上だった。太陽はすでに見えなくなっていて、不思議な色の空が頭上一面に広がっていた。西の空に未だ残るオレンジは、東へ行くにつれてピンクがかった色が混ざって濁り、だんだんと薄藍色へと染まっていく。その中に浮かんでいる白い月。綺麗なのにどこか不気味で、それでもなぜだか見入ってしまう。

「疑ってごめんな」

 開口一番、謝られた。驚きながら隣に腰を下ろす。どうして遊真くんが謝るんだろう。

「ナマエはウソついてなかったな」
「遊真くんの言ったこと当たってたよ。隠し事してたし。だから謝らないでよ」
「でもそれはおれのためだったんだろ」
「そうなんだけど、途中から私のためになってたかも」

 昼間のことを思い返す。支部に帰らないようにいろいろ連れ回していたけど、足止め役とか関係なく単純に楽しかった。遊真くんと二人きりで、これという目的もなく出掛けるなんて、今までほとんどしたことがなかったから。

「なんかね、デート気分が味わえて嬉しかった」
「それはおれも」

 沈んだ表情が消えて、ニッコリと嬉しそうな笑顔を見せてくれる。今日、一番見たかった顔。さっきみんなでご飯を食べていたときもすごく楽しそうだった。その笑顔を見ていると、言葉にできない幸福感が込み上げてくるから不思議だ。

「遊真くん」
「ん?」
「誕生日おめでとう」

 目を合わせて、そっと両手を握りしめる。ありがとう、とやわらかく崩れる表情を、今は私が独占しているのだと思うと、気分が高揚してしまう。
 何よりも、こうしてお祝いを言えることが、本当に嬉しい。

「プレゼントなんだけどね、まだ用意できてないんだ。ごめん」
「ほう、プレゼント」
「何あげたら喜んでくれるかなって考えてるうちに時間なくなっちゃって……」

 ミョウジ先輩がくれるものなら、空閑は何でも喜ぶと思いますよ。修くんに相談したらそう言われた。確かになんとなくそんな気はする。彼ならばきっと。でもやっぱり、一番喜んでもらえるものをあげたい。そう思って当日まで悩んでみたけれど、結局答えは見つからなかった。

「別に何もいらないんだけどな」
「遊真くんが良くても私が良くない」
「そうか。それじゃあ」

 ぐっと一気に距離が近づいて、遊真くんが私の頬に唇を押し当てる。それは一瞬のことだった。驚く暇もない。だけど感触はしっかりと残っている。
 きっと赤くなっているであろう私の顔を見て、遊真くんは満足そうに笑った。

「おれの一番欲しいもの、今もらった」

 本当に敵わない。事も無げにそういうことをやってのけるのだから。

「遊真くんはほんとズルいなあ」
「そう?」
「それじゃ私からあげたことにならないでしょ」

 言い終わる前に腕を引き寄せた。たぶん、初めてだと思う。私からこういうことをしたのは。
 小柄な体を抱きしめる。ふわふわと揺れる白い髪にキスをする。どう思われるか内心ハラハラしていたから、遊真くんが抱きしめ返してくれて、本当に安心した。
 
「……どう?」
「ものすごく嬉しい」
「ほんと?」
「うん。あとドキドキする」

 大きく息を吸い込んで、吐き出して、深呼吸する遊真くん。その体をさらに強く抱きしめる。それに応えるように、私の背中に回された腕にも力がこもった。彼は確かにここにいる。他のどこでもなく、私のすぐそばに。
 今日も生きていてくれてありがとう。
 思わず呟けば、遊真くんがゆっくりと背中を撫でてくれる。どこまでも優しくて力強い手のひらに、喉の奥がツンと痛んだ。


2016.7.18

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