波打ち際の心臓


あっ死んだ。その瞬間私が思ったことだ。



本日、七海君との任務は想定していたよりも軽く済んで、お昼をそこそこ過ぎた頃に終了となった。補助監督さんに状況を告げたらピックアップまでそれなりに時間が掛かるそうだ。予想以上に早く終わったみたい。
今回は都内某所での任務だったので時間を潰すのは難しくない。お腹はすいているけれど、夜ご飯まで待てなくもない。そんな時間だ。さて、どうしようかと思っていたらスマホを弄っていた七海君からお誘いがあった。

「なまえさん。この後の予定がなければ軽く何か食べに行きませんか」
「いいね。ちょうどそんな気分だったよ」
「では行きましょう」

気が利くね〜って七海君に言ったらフゥーってため息つかれた。その癖やめた方がいいよ、幸せ逃げちゃうよ。

「この辺詳しいの?」
「先程調べました」
「えっそうなんだ。良さそうな所あった?」
「クラブハウスサンドが美味しいらしいです」

クラブハウスサンドとは。とりあえずパンだと言うことはわかる。七海君ってパン好きだよね。そうですね。なんて話をしながら並んで歩く。
少しだけ七海君の歩調が早いのはウキウキしてるからだろうな。七海君がウキウキって似合わないね。THE堅物みたいな感じだからね。
でも実際はそんな事なくて、悟や傑に対しては無視したり話を切り上げる為に雑な対応したりするし、後輩にはもう忠犬のように慕われたり、ナナミンとか呼ばれちゃったりしてる。私が1度ナナミンって呼んだら苦虫を噛み潰したような顔をしてた。
伊地知君は大人オブ大人って七海君の事を言ってて確かにそうだけど、意外と日頃の鬱憤の仕返ししたりしてる。主に悟に。シュガーポットの砂糖を塩に入れ換えたりとか。1度それで悟が酷い目にあったから高専の砂糖は角砂糖になった。まぁうざ絡みする悟が悪いよね。あの時七海君はめちゃくちゃざまあみろって顔をしてた。ストレス溜まってたんだね。

「ここです」
「わ〜なんかおしゃれ」
「入りましょう」

どうぞって扉を開けてくれる七海君は紳士だ。こういうのさらっと出来ちゃうところが猪野君を虜にしてるのかな。罪作りな男だね。なんて冗談がうっかり口から漏れて七海君に怪訝そうな顔をされた。ごめんごめん気にしないで。


中途半端な時間のせいか店内は空いていて店員さんのお好きな席へどうぞ、の声で窓際の丸テーブルの席についた。外が見えるように隣合わせというよりは少し離して椅子が配置してある席だ。これで補助監督さんが迎えに来てもすぐに解るね。
店内はジャズかな?が流れていて、とても落ち着いた雰囲気でゆったり出来そうだ。

「ここ、良いところだね。落ち着く」
「そうですね。メニューは決まりましたか」
「クラブハウスサンドとアイスティー」

七海君が店員さんを呼ぶと私の分も注文をしてくれる。どうやら七海君も同じものを頼んだみたいだ。飲み物はホットコーヒーにしてたけど。

「本当に七海君が見つけるお店って良いところだね」
「それは光栄です」
「ほら、この間行ったドーナツみたいなのが有名なお店にまた行ってみようと思って。美味しかったから」
「ベーグルですね。都合が合えばご一緒指せて頂いても?」
「もちろんだよ」

七海君とは任務が一緒になるとこうして食事に行ったりする仲だ。そんな七海君と他愛ない話をしていたら注文した物が運ばれてきた。うわぁもう美味しい、確実に美味しいと騒いでいると、七海君は少し呆れた顔をしてまだ食べていませんよ。ですが美味そうですね。って考えてる事は同じようなものだ。

「結構ボリューミーだけど美味しいからペロッといけちゃうね」
「そうですね。この店は当たりです」
「七海君と行く店はいつもハズレがないよ」

そうですか。と七海君は表情を緩めた。おっ七海君が微笑むなんてレアだ。いつも大体仏頂面してるからね。私がそんな七海君を微笑ましく見詰めていると、視線が鬱陶しくなったのかサングラスをかけ直す、で合ってるのかな?あのちょっと変わったサングラスだから正しいのか解らないけれど、そんなふうに目元を覆う様に片手を動かしてみせた。
七海君、今サングラス外してるけどね。
食後のアイスティーに口をつけながら七海君の様子を伺っていると、七海君は一度ため息をついた。機嫌を損ねたかな。

「まだ時間がありますのでデザートを食べてみてはどうですか」
「ん〜実はちょっと気になってたんだよね」

一度腕時計を見てからそんな提案をしてくれた七海君はメニュー表を手渡してくれた。それじゃあお言葉に甘えてなんて言って受け取ったメニュー表を開いた時、飲みかけのアイスティーが入ったグラスが傾いた。


ガシャン


やってしまった。あっと思って手を伸ばすも時既に遅し。グラスは床に落ちる前に掴まえたので割れずに済んだが、中身はテーブルを濡らして更に七海君のお膝にまで被害を及ぼした。あっ死んだ。


すぐに店員さんがおしぼりを持ってきてテーブルを片付けてくれて、私達にも新しいおしぼりをくれた。私はすぐに七海君のお膝をそのおしぼりでトントンと叩くように拭いた。七海君はビクッと驚いた後に自分でやりますからと早口で言って私の手を退けた。
あぁ七海君のスーツを汚してしまった。最悪だ。申し訳ない。クリーニング代はもちろんだけど、これは弁償案件では…私の頭の中はそんな事で一杯だった。申し訳無さから気分は落ち込む一方だ。

「本当にごめんね七海君」
「いえ、お気になさらず」
「弁償でもクリーニングでも何でもするから、もう本当に申し訳ない」
「なまえさんにそこまでして頂く程の事ではありませんので」
「いや、でも私がそこまでしないと気が済まないというか」
「本当に必要ありません、ですが…」

七海君とそんな終わらないやり取りを続けて謝り続ける私に七海君は何か言おうとして口を噤んだ。七海君が黙りこむ間も俯いて謝罪の言葉を吐き出す私に、意を決したように七海君が口を開いた。

「まだ謝るようなら、私と付き合って頂きます」

「えっ」と七海君の予想外の言葉に驚いた私が七海君の方を見上げると、首まで真っ赤にした七海君がそこに居て。私もつられて顔が熱くなる。一応確認の為に白々しくも私は訊ねた。

「えっ…と、付き合うって何処に…」
「…言わなければ解りませんか」

そう言って七海君は私から目をそらし不貞腐れた顔をして、淡々と語りだした。

「私は仕事終わりにわざわざ時間を潰すような事はしません。それに、貴女が気に入るような店を私はそれ程知っているわけではありません」
「え、と…それはつまり」
「貴女と、なまえさんと過ごすために、なまえさんが好きそうな店を見つけている、と言ったら?」

七海君の鋭い目が私をじっと見詰めている。私は酸素を求める金魚のように口を動かす事しかできなくて。燃えるように全身が熱いし、心臓の音は煩いしでもしかしてこのまま死ぬんじゃないかなって思ってしまった。
何も言えない私に代わって、テーブルの上に置かれた私のスマホが音を立てた。

「…どうやら補助監督の迎えが来たようですね」
「そ、そうですネ」

窓の外に目をやりそう言うと、七海君は立ち上がり私の手から伝票を奪い取った。あっ私が払うのに。

「私の事を意識して貰えたようで何よりですが、なまえさんのその顔は私だけに見せて下さい」

そう言って呆然とする私を尻目に足早に歩きだした。私の落ち込んだ気分はどこへ行ってしまったのやら。ジェットコースターのように急降下からの急上昇して爆発してしまいそうだ。

七海君の後を追いかけてごめんね。と言いそうになってその言葉を飲み込んだ。年下の七海君に奢られてしまうとは。

「…お会計、どうもありがとう」
「いえ、お気になさらず」

店の外に出ると、何時もの仏頂面の七海君に戻っていて先程までのはもしや夢だったのでは、なんて私は考えたのだけれど、少し前を歩いていた七海君がくるり、と振り向いてそう言えば、と呟いた。

「先程『何でもする』と言った貴女の言葉、期待してますよ」

七海君はそう言ってから身を翻してまた歩きだす。
何てことないように言っていたけれど、前を歩く七海君の耳が真っ赤でどうやら夢ではないらしいと自覚した。あぁこれからどうしたらいいのやら。
仲良くしてくれる後輩としか思ってなかった七海君に、まさかこんなにも私の心臓がのたうち回る事になるなんて思ってもみなかった。




やっぱり今日、私は死んでしまうかもしれない。










(七海君は主との任務があると必ず周辺グルメリストを作っておく用意周到)



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