「仁王」
「んー…」
「いい加減に離れろ」


コートの隅。幸村と赤也がネットを挟んで打ち合いをしている最中、柳の落ち着いた声はよく響いた。柳自身が意図してたわけではないが、数人の部員の視線が柳と、その後ろにいる仁王へ向けられる。正確には後ろにいる、ではなく後ろから抱き付いているというのが正しいが。しかし二人は特に気にした様子もなく、柳はデータ収集を、仁王は変わらず柳へと抱きついていた。


「うーん…」
「仁王」


少し強い口調で名前を呼ぶが、仁王が離れる様子はない。寧ろ寒そうに肩を震わせ、柳の腹部に回していた腕に力を込める。後ろを振り返ってみると少しばかり己より低い位置にある銀が視界を埋め尽くす。ふり返った柳に気がついたのか、仁王は目を細めてゆっくりと顔を上げた。


「…離れとうない」
「練習があるだろう」
「後でよか」


それよりも今はくっ付いていたい。腹部に回っている仁王の手が、柳のジャージを皺が濃くつくまで掴む。ふるふると首を横に振る様は可愛らしくて、思わず許してしまいそうになるくらいに可愛らしい。しかし練習もしっかりとしなければいけない。幸村と赤也のラリーもそろそろ終わりそうだ。これが終われば、次は柳と仁王がコートへ入る番だった。


「柳と離れたら、俺死んでまう」
「そんな簡単に人間は死なないさ」
「……」


じとっと睨みつけてくる仁王は、そういう意味じゃないと視線で訴えてくる。わかっていて言っているのだ。くすりと笑みを零せば、仁王は柳の背中に顔を埋めた。その仕種が本当に可愛らしい。緩んでしまう頬を隠すこともせず、微笑ましい自分の恋人の行動をじっと見ていた。


「柳は、俺と離れてもええんか」


突然顔を上げた仁王は、重大なことを聞くかのように真剣な眼差しで柳へ問うた。確かに、普通に考えれば離れ離れになるのは勿論嫌に決まっている。何が嬉しくて愛しい者との間を引き裂かれなければならないのか。だがそれはあくまで仮定の話であって、練習とはまったく関係ない。柳の返事を待って視線を送り続ける仁王を、柳は体を反転させてべりっと剥がした。


「やなぎ…ッ」
「勿論離れるのは嫌だが、練習とでは話しが別だ」


本気で哀しそうな顔で見てくるものだから、再び抱きしめてやりたくなる衝動に駆られる。しかしこの状況で甘やかしてしまえば、このまま練習をしなくなるのは明らかだ。ここは心を鬼にして、泣きそうに眉を下げる仁王の顔を覗き込む。両頬を優しく掌で包めば、仁王は一瞬驚いてから嬉しそうに目を細めた。


「…そうだな、仁王。こういうのはどうだ」
「なに?」


練習をさせるためなら仕方がない。考え付いたことを、とりあえず提案してみることにした。仁王は柳の言葉には殆どの確率で言うことを聞く。だから、半分以上は確信で。飴と鞭を両手にした柳は、目の前できょとんと首を傾げる仁王に再び笑みを向けた。


「俺と一緒に練習したら、その後は思う存分甘やかしてやろう」
「っ…ほ、んま?」
「だから、ちゃんと練習するぞ」


しっかりと条件を強調して言うと、しかしそれでも仁王はぱっと華が咲いたような笑みを浮かべる。別に飴と鞭というほど大層なことでもないか。嬉しそうに顔を綻ばせた仁王を見ながら思う。練習をしてほしい理由には、仁王に同じレギュラーで居て欲しいという意味もある。勿論器用な彼は特に練習をせずとも、ある程度のことならば簡単にこなしてしまうのだが。それでも、常勝を掲げる立海のレギュラーの座を守るなら、やはり練習は必要であった。だからどうしても、柳は仁王を練習させたいと思うのだ。


「柳、仁王。次どうぞ」
「ああ」


打ち合いが終わったらしい幸村と赤也がコートから出てくる。幸村が柳に軽く声を掛ける頃、既に仁王はラケットを片手にコートの中に居た。早く、と促すように片手を振り上げる様は本当に、なんと言うか。こういうところは本当に素直で可愛い男だと思う。これは練習が終わったら存分に甘やかしてやらないとな。愛しさに笑みを浮かべて、柳は反対側のコートへと歩いていった。



Iris japonica(シャガ)...清らかな愛
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