失恋した3週間前


失恋した3週間前



失恋した、と忍足謙也は思った。
密かに想いを寄せていた千歳千里に冷たい言葉を吐かれ、置き去りにされて、言葉の意味を理解することが出来ず(この場合は理解したくなかった、というのが一番妥当かもしれない)その場に立ち尽くして暫く。停止していた思考回路が動き出すと同時に謙也の目からは大粒の涙がポロポロと零れた。

「ひっ…く、な、んで…?」

言われたのは身に覚えのない言葉で、謙也の頭の中は酷く混乱していた。自分の嗚咽を飲む音がやけに頭の中を響いて聞こえる。涙によって揺れている視界は、さきほどまで千歳が立っていた場所へと向けられていた。

「おれ、なんかしたん、かな…っ?」

口に出して言えば、涙と一緒に鼻水まで出てくるような有り様で、謙也の心にはぽっかりと穴ができたようにスースーと風が吹き抜ける。そして同時に反響するのは先ほどの千歳の言葉で、謙也は千歳が居た場所を見ながら先程の会話を思い出した。
千歳が謙也のことを酷い男だと言ったこと。一緒に居ると辛いのだと言ったこと。じわりじわりと染み込んでくる言葉が全部嘘のことのようにしか思えず、謙也の瞳からは更に涙が溢れた。

「千歳、は…俺んこと、嫌いやったんやな…っ」

ヒクッと喉が引きつる。自分自身が言葉に出すことで、更に心に追い討ちを掛けるように謙也の心は痛んだ。思い出さなければいいのにと誰かが囁く声が聞こえたような気がしたが、千歳千里という人物に想いを寄せていた謙也に、そうすることは困難だった。記憶という媒体が念入りに脳という大きな細胞に刻みつけ、そして今はその場にいない人物のことを嫌でも鮮明に思い出させる。それが謙也へ現実を突きつける材料になり、涙腺が決壊したように謙也は涙を流した。

(謙也くんは、酷か男やね)

千歳はその時、どんな顔をしていただろうか。のぞき込んだ謙也の顔を見ながら、辛そうな顔をしていた気がする。
千歳が大阪の四天宝寺に転校してきた日。それから数えても、謙也は千歳と話す機会が他の誰よりも多かったと思う。部活の時間に千歳を連れ戻す係り、なんて役を白石が半ば強引に謙也に押し付けたことから始まった千歳と謙也の関係。最初はやる気のない奴を連れ戻すという、自分にはまったく利益にならないことをするのに渋々だった謙也も、完全に他人に対して興味がないという態度をとる千歳と接していく内にその考えは大きく変わっていった。そんな毎日を繰り返しているうちに、いつの間にか謙也の内には意地のようなものが生まれていた。

「絶対に俺が千歳と仲ようなって、部活に出させたるっ」

元来他人を放っておくことができない性格をしているせいか、連れ戻そうとしても素っ気無い態度を取って軽くあしらう千歳に、対抗意識を抱く。負けず嫌いな性格も相俟って、千歳を探して連れ戻すというのがいつの間にか謙也には当たり前になっていた。そして探し出して、話すようになって、一緒に部活に行くようになって。そのうち忍足謙也という人間は千歳千里という一人の男を好きになっていたのだ。謙也が自分の気持ちに気づいたとき、勿論戸惑いを隠すことが出来ず、謙也は酷い焦りを覚えた。

(…こんな気持ち、千歳に知られたら嫌われてまう)

男が男を好きになる、ということ事態が嫌悪される世の中なのに。知られたら今まで築いてきた関係が壊れてしまう。千歳と少しでも一緒にいたいという乙女思考に苦笑しながらも本気で人を好きになることが初めてだった謙也にとって、その気持ちを押し込めるという行為を決行するのは早かった。
上手に笑みを浮かべることは出来るし、話をするのが得意であるという長所から上手く話をすることも出来る。そんな謙也の努力の甲斐あってか、謙也は千歳と変わらない関係を続けることができた。伝わらなくてもいい、せめて一緒に居られればそれでいい。そんな小さな願いすらも叶ったように思えたとき、千歳の口から信じられないような言葉を聞いた。

(俺、謙也くんのことば嫌いなんよ)

一体何がいけなかったのだろうか。自分は何か悪いことをしてしまっただろうか。焦りと悲しみで埋め尽くされた謙也の脳は、千歳の口から出た言葉を理解したくないと思考を強制的に終了させた。
そして何も言うことが出来ない謙也へ、追い討ちをかけるように千歳は感情の篭らない低い声で喋り続ける。

(やけん辛かね、謙也くんと一緒に居るんが。もう俺には関わらんでほしか)

今まで千歳は謙也の行動を嫌がっているようには見えなかった。いつも自分が姿を見つけて駆け寄ると優しい眼差しで微笑んでくれて、謙也くん、と呼んでくれていたと思っていたのに。自分がへまをしないよう、謙也自身の話を極力避け、違和感のないようにと他愛のない会話をしているつもりだったのに。

(それは、千歳にとっては辛いことやったんやな…)

両想いになれなくてもいい。せめて、せめて少しだけでも一緒に居られればいいのに。そんな自分の小さな欲が千歳を苦しめていたのだと、謙也は泣いた
。声を押し殺すことも忘れ、わんわんと声を上げて泣いた謙也は、探しにきた財前が見つけるまで泣き続けた。



(20100805)
(加筆修正.20110520)
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