甘いにおいがアイチからすると言ったら、それはおかしいだろうか。 アイチはいつも甘い匂いを漂わせていた。それは香水とは違う、きっと彼自身の匂いなのだろう。それはまるで花のように甘い匂いである。 ずっと嗅いでいたいと思う反面、そう考えている自分自身に櫂は驚いた。自分は甘ったるい匂いが苦手なはずなのに、アイチの漂わせている匂いだけは特別のようだ。 そして今日もいつもと変わらない甘い匂いを漂わせながら、アイチは櫂の前に居る。楽しそうにヴァンガードファイトをしつつ、時々櫂のことを気にしながらアイチはファイトをしていた。 「ぐあー!またライド出来ないだとーっ!」 「あはは…」 グレード3で偏っているデッキの所為でグレード2へとライド出来ない森川を、アイチと井崎はあきれた顔で笑いながら見守っている。けれど楽しそうにしているアイチからは、笑うたびに甘い匂いが漂っていた。 アイチの座る座席のすぐ後ろ、現在は誰も使っていないファイトテーブルの椅子を勝手に拝借して腰掛ける。アイチのファイトを見学して、彼の成長ぶりを見るためだ。 しかしファイトを見ているはずなのに、漂ってくる香りの所為でどうしても気が散ってしまう。これは自分がすぐ近くにいるからなのかは分からないが、集中できなくて仕方が無い。 「アルフレッドでヴァンガードに攻撃します」 「くそーっ!」 結局手札にガードへ出せるユニットが居なかったようで、グレード1でガードも出来ないままアイチの勝利で勝負が決まった。わけの分からない言い訳をしている森川を他所に、アイチは恐る恐ると振り返ると僅かに期待の篭った眼差しで櫂を見てくる。 これは毎度のことながら、ファイトをしようというお誘いかと櫂は瞬時に察した。 「櫂くん、今日こそファイトしませんか?」 「何故」 「え、えっ…と」 ただ、僕が櫂くんとファイトしたいからです、と小さな声でアイチは言う。こちらの様子を伺うように上目遣いで見上げてくるアイチへ、櫂は小さくため息を吐いた。 「アイチ、お前は何故そんなに俺とファイトがしたい?」 「そ、それはっ」 ばっとあげられた顔と同時に、花の香りが櫂の鼻腔を擽る。さきほどよりもその匂いが濃厚になったと思うのは果たして自分だけなのだろうか。 半分泣きそうな顔で見上げてくるアイチの表情と漂う香りに、櫂は頭がくらりとするのがわかる。 「櫂くんと、ファイトがしたいからっ」 強くなりたいなどの意味合いではなく、ただ純粋にファイトを楽しみたいという感情から生まれるその気持ちに、櫂はどこかまぶしいものを見るように目を細める。 それが自分へ最も強く向けられていると思うと、不思議と優越感を抱いてしまうほどに櫂はアイチに好意を抱いていた。 だからこそ、このアイチの放つ甘い香りに中てられそうになる。既に想いは実っているのでそのまま本能のままに動いても何の問題も無いのだが、僅かな理性が櫂のことを保っていた。 「それだけじゃ、だめ、かな…」 「駄目だな」 「そ、っか…」 しゅんと肩を落したアイチから、途端に甘い匂いが薄れる。それはまるでアイチの感情に比例しているようだと櫂はいつも思っていた。 泣きそうに表情をゆがめているアイチの顔を見て、櫂はどこか居たたまれないような気持ちにさせられる。どうも櫂自身、アイチのこの表情には弱かった。 チッと舌打ちをするとアイチの肩がびくりと震える。自分のせいで櫂を怒らせてしまったのか、と更に俯いてしまったアイチの腕を櫂は何も言わずに掴んだ。 突然のことに驚いて顔を上げたアイチに、櫂は顔を近づけると触れるだけのキスをする。途端に濃厚になった匂いに、今度こそ耐え切れず櫂はアイチのことを立たせた。 「…行くぞ」 「え、どこに、」 「ファイト、したいんだろう?」 笑みを浮かべて言う櫂に、アイチはこくこくと頷く。僅かに紅潮した頬に比例して、また香りが強くなった。 そのままカードキャピタルの入り口へと向かい、櫂はこれから行うことを頭の中へと浮かべながらアイチを連れ出す。こんな風に心を乱されて、高揚した気分になったことに責任を取ってもらわないと気がすまない。 突然目の前で起こったことに驚いている森川や、眉間に皺を寄せているミサキなどを無視して櫂はアイチを連れカードキャピタルをあとにした。 その後、櫂の家へと連れられたアイチは一回もファイトをすることもなく、共に一夜を過ごすことになったらしい。 (20111103) |