葛藤屋さんの頑張り屋



遠くにある背中を追いかけて、必死に走る。手を伸ばしてみると、もうすぐ触れられそうな距離。それなのに、あと少しというところで手はいつも空を切った。何度もそれを繰り返して、声を上げてみても目の前の人物は振り向かない。仁王先輩、仁王先輩と赤也は何度も相手の名前を呼んだ。それなのに、やはり振り返る様子はない。胸が締め付けられるように苦しくて、赤也は喉が枯れてしまうのではないかというくらいに大きな声を出した。


「仁王先輩ッ、」


けれど、それでも仁王は振り向かない。変わらずに目の前を歩いて、少しずつ赤也との距離を広げていく。揺れる銀に、遠ざかる背中に、赤也は泣き出したくなる衝動に駆られていた。ここで泣けば、彼はふり返ってくれるのだろうか。ありもしないことを考えて、赤也は追いかける足を止める。気がつけば、身体全身から力が抜けて床に膝を着いていた。


「…仁王、先輩…」


追いかけても追いかけても駄目で、どうしようもなくて。もどかしい状況に、赤也はぎりっと歯を噛み締める。どれくらい距離が広がったのだろうか。少しだけ視線を上げて仁王の姿を確認してみると、いつの間にか彼は歩みを止めていた。今まで、彼が歩みを止まることなどなかったのに。やけにはっきりした思考の中で驚く赤也を他所に、仁王はゆっくりとふり返る。


「赤也、」


そして、赤也はふり返った仁王の表情を見て更に驚愕した。どうしてか、彼は涙を流していたのだ。ぽろぽろと静かに涙を流して、優しい眼差しで赤也を見つめている。これは、一体どういうことなのか。赤也の脳内は混乱する。


「赤也」


もう一度だけ、仁王は赤也の名前を呼んだ。愛しそうに、優しい声色で。切れ長の目を細め、仁王は綺麗に口元に弧を描く。変わらずに涙は流し続けているけれど、それすらも優しさの象徴のように思えてくる。そして仁王は先ほどまで進んでいた方向とは逆の、赤也の方へとゆっくり歩き出す。赤也はその様子をただ驚愕した表情のまま眺めていた。


「にお…せんぱい、…?」
「赤也」


赤也の目の前までくると、仁王は少しだけ膝を折って赤也に視線を合わせる。銀の髪が、仁王の肩を滑り落ちた。光を反射して煌めくそれが、赤也の視界に入り込む。彼の特長とも言える銀髪は、まるで赤也を照らすように光を反射させる。綺麗に微笑む仁王が、赤也の頭に手を置いて確かめるように言った。


「大丈夫じゃ」


優しく頭を撫でる手が、落ち着かせようとするその声色が、赤也の心を一瞬にして安心へと導いた。先ほどまでの苦しさが嘘のように、赤也の心は軽い。目の前で微笑んで、赤也を不安にさせて安心させた人物に、ゆっくりと手を伸ばす。しかしその伸ばした手は仁王に触れる前に、空を切り宙を舞った。え、と赤也が思ったと同時に、視界が突如真っ白に染まり赤也の思考を中断させる。
そして気がついたときには何故かそこはコート脇のベンチで、暫くしてから赤也は自分が眠っていたということに気がついた。


「赤也、練習中に眠るとはいい度胸だな」
「さ、真田副部長…」


意識が覚醒してくると、目の前で仁王立ちしている真田と目があった。大層ご立腹なようで、座っている赤也はその迫力に圧倒される。きっと練習中に寝るだなんて、そうとう疲れていたのだろう。現実逃避する思考回路を自由にさせていると、視界の隅に入った銀に赤也は即座に反応して、ベンチから腰を上げた。


「待て赤也!まだ話しは終わっとらんぞ!」
「す、すんません!あとでグラウンド走ってきます!!」


だから勘弁してください、とどうにか真田の説教を免れて、見つけた銀へと一直線に走っていく。後で真田からの説教が更に長くなっていたとしても、今の赤也にはどうでもよかった。四六時中面倒くさそうにして、でも愛しいその元へと走る。走る音に気がついたのか、相手も赤也の姿を確認すると嬉しそうに笑みを浮かべてその名を口にした。


「赤也、また真田に怒られとったんか」
「なんかベンチで寝ちゃってて…ただの不注意っすよ!」
「あはは」


からからと横で笑う彼は、さきほどの人物と同じで。それは当たり前のはずなのに、どうしてか涙が出そうになった。きっと嬉しいのだろう、彼の側にこうやって居れることが。赤也は自分の中で自己完結する。脳内で思考を展開しているうちに、気がつけば仁王の笑い声は止んでいた。どうしたのだろうか、と少し高い彼の顔を見上げてみると、仁王は心配そうな顔で笑っていた。


「…先輩?」
「赤也、辛いんか」
「え」


一瞬、真田に怒られていたことを言われたのだろうかと思うが、仁王の表情からそうではないということがわかる。なら、先ほどの夢のことか。そんなに顔に出していたのだろうか、と思わず自分の顔を触ってしまう。それでわかるはずがないのに、額から頬、鼻先まで触り可笑しいところがないか確認した。大丈夫、とほっとしていると、ふわりと赤也の頭に何かが乗せられる。それが仁王の手だ、と気がつくのにそう時間は掛からなかった。


「大丈夫じゃ」
「ッ…」
「大丈夫ナリ」


夢の中と同じ言動に、赤也自身の葛藤もすべて知ってるのではないか、なんて思えた。唯一夢の中と違うのは目の前の仁王が泣いていないということだけだ。寂しそうに、しかし優しく包み込むような眼差しにじわりと胸に広がるぬくもり。先ほどとは違う、確かな安心感だった。
赤也は一度も仁王へその葛藤の内容を話したことはない。けれど、赤也がじれったく感じているのを知っているかのように、今もただ傍に居てくれた。いつだって、仁王は赤也の側に当たり前のように居たのだ。もう一度、仁王が赤也と名前を呼ぶ。それを合図にするかのように、赤也は仁王へと抱きついていた。




(20101223)
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