恋愛とかいう感情は、本当によくわからなくて。言われてみればそうかもしれない。でも、なんとなく違うような気もする。曖昧で微妙で不可解な感情に振り回されるのが不愉快で仕方がない。背筋を伸ばして上を見る。すると古い屋根が目に入って、コート脇にあるベンチに座りながら、赤也は大きくため息を吐いた。 「これってなんなんだろ…」 「なにがじゃ?」 「っに、おう先輩…」 物思いに耽っていたせいか、近づいてくる人物の気配に気が付かなかった。驚きのあまり裏返った声を聞いて、銀髪の青年は口元に笑みを浮かべる。 「赤也が悩み事なんぞ、珍しいのう」 「仁王先輩。それどういう意味っすか」 まるで普段は自分が何も考えていないみたいではないか。失礼だ、と頬を膨らます。だがそこそこに筋肉の付いている中学男子がしても可愛いわけもなく。赤也は膨らましていた頬を元に戻し、仁王のことを軽く睨みつけた。 「そのまんまの意味ナリ」 「意味わかんないっす!」 あははは、と若干わざとらしい声を上げながら銀髪を揺らして、仁王は笑う。からかわれているのだろうか。これは完璧に。なんとも言えない複雑な気持ちを抱きながら、赤也は視線を仁王からコートへと移した。 「悩みがあるんやったら、相談くらいはのっちゃるよ」 「まじっすか」 にこりと仁王が微笑んだ。その笑顔に、赤也の心臓がどくりと跳ねる。どくどくと血液が体中を流れていく音が聞こえる気がした。思えば仁王雅治という人物とちゃんと話すこと自体、今までなかったかもしれない。ぼんやりと考えながら、赤也はぽつりぽつりと今の想いを無意識に話していた。 「俺、今好きな子がいるんすよ」 「ほお」 「いや、好きっぽい人がいる、って感じなんすかね」 曖昧な自分の答えに思わず苦笑した。好きっぽい人ってなんだよ。言っている自分自身も意味が分からない。しかも、その好きっぽい人が自分の隣に座っているあなたです。なんて今の状況で言えるはずもなく。苦笑しながら、赤也は首を傾げる仁王へ視線を戻した。 「わからんの。好きなんか、そうやないんかっちゅうの」 「いや…俺本気で人好きになったことないんで、よくわからないんっすよ」 元々テニス以外に特に興味もなく、立海に入学してからはエースとして活躍していたせいか、女の子に告白されることはそれなりにあった。しかしそれは恋愛感情などのものとはまったく違っていた、ような気がする。赤也からしてみれば女の子たちには失礼だが、お友達感覚で付き合っていた、という方が正しいかもしれない。 「だから、あくまで好きっぽいって感じなんすよ」 「ほう」 考えるようなポーズをとって何かを考えているらしい。何か、というか自分の言ったことなんだろうけど。顎に手を当てて、足を組んで、絵になってしまうから恐ろしい。ここまで考えさせるなら言わなきゃよかったかな。今更ながら後悔の波が押し寄せてきた。 「赤也の好きな人って、どんな人?」 「え?」 どこを見ていたのかわからない視線が、赤也を捕らえる。それに若干狼狽しながらも、赤也は仁王の言った言葉が最初、理解できなかった。しかし脳内で噛み砕きながら認識して、やっと何を言われたのかがわかる。好きな人。それはもう恋愛感情としてみている相手、と確定されている言葉だ。 「いや、好きな人かどうかは…」 「そない悩むんなら、赤也はそん人んことが好きなんじゃよ」 そうなんだろうか。でも言われてしまえばそうなのかもしれない。変に納得できてしまって、他人に、しかも自分が好きかもしれないと思っていた人物に言われて、それがやっと確実な確信に変わった。 「言われてみると、そうなのかもしれないっすね」 「プリッ」 彼独特の不思議な擬音語を口にしながら、仁王は再び赤也へ同じ質問をする。どうして彼がここまで他人に興味を持つのだろうか。自分が抱いていた仁王雅治という人物像とは違う反応に喜びを覚えつつ、赤也は笑みを浮かべた。 「不思議な人っすよ」 「赤也の好きな人?」 「はい」 すると仁王はふーん、と興味のなさそうな声で返事をする。自分から聞いてきたくせに。どうしてそんな冷たい反応なんだ。少しだけイラッとする気持ちをどうにか抑えながら、今度は赤也から質問を投げかける。 「そういう仁王先輩は、好きな人っていないんすか?」 「おるよ。ちゅうか、居った」 「居た?」 なぜ過去形なんだろうか。まさかこの先輩が振られたとか。それこそありえないような気がしてならない。驚愕の視線で仁王のことを見ていると、仁王の視線が赤也の視線と絡まった。 「失恋した。そいつには、好きな人が居ったみたいでの」 「そうなんすか?」 「おん」 その言葉を聞いて、赤也の中で何かが思いついた。思い立ったらすぐ実行。頭の上に豆電球がぴーんと漫画のように浮かび上がる。我ながら頭のいい。赤也は隣に居る仁王の手を握ると、口元に持って行き手の甲へ口付けた。 「ッあ、かや…?」 「仁王先輩。俺と付き合いませんか?」 「……は?」 突然の告白に、ぽかんと仁王の口が開く。彼の間抜け面など中々見れるものではない。拒絶の言葉は無い。傷心につけ込むなんて最低かもしれない。けれどもしかしたら、これはいけるかもしれない。期待と不安が赤也の中の血液の流れを早くした。 「赤也、おまん好きな人が…」 「それ、仁王先輩のことなんすよ」 信じられないというように目をぱちくりさせる。改めてみてみると、本当に綺麗な人だなと思う。再度手の甲へ口付けると、今度はぴくりと腕が震えた。 「…うそやろ」 「マジっす」 みるみるうちに、仁王の表情が晴れ渡っていく。あれ。もしかして。仁王の表情をみて赤也の頭にあることが思い浮かんだ。まさかそうなのだろうか。嬉しいのだけれど、どことなく信じがたい現実に赤也は恐る恐るといったように仁王の表情を伺う。 「先輩」 「なんじゃ」 「もしかして先輩も」 俺のこと好きなんじゃないんですか。そう声に出す前に口を何かに塞がれて。間近に合った仁王の顔。キスされているんだ、と気づいた時には唇が離れていた。驚きのあまり何も出来ずにいると、仁王がにこりと微笑んでこくりと頷いた。 (20100916) |