春終までオアズケ



「へっくしッ!」

豪快なくしゃみの声と共に鼻を啜る音。目の前で自身の難関な英語をやっつけるべく向き合っている男が、どうやらその音の発生源らしい。視線を落としていた教科書から仁王は顔を上げると、辛そうに眉を顰めている赤也と目があった。

「…風邪か?」
「あ?あー…、花粉症っす」

鼻声ですこし鼻濁音混じりな声に、仁王は苦笑した。数回くしゃみをすると、赤也は目を擦りながら鞄の中から何かを取り出す。コンパクトな手のひらサイズのそれは、どうやら点眼薬のようだ。

「目も痒いんか」
「花粉症っすからね」
「…大変じゃな」

上を向いて眼球に届くように準備し、赤也は点眼薬を片手に構える。ぷるぷると手を震わせながら薬を注そうとする様子はなんだか可愛らしかった。しかし、見ていても中々薬を注そうとしない赤也に、仁王は片眉を跳ね上げる。

「はよ注さんか」
「や、だって…」
「なんやいらいらするんよ」

仁王は点眼薬はさっさと注して終わらせてしまうタイプなので、いつまでたっても終わらない赤也に痺れを切らしたようだ。

「怖いんすもん!」
「何が…」
「目薬注すのがっ」

声に力を込めてぐっと手を握りしめて力説する。いや、そんなに力説されても。仁王は赤也の言動に思わず呆れた。

「そんくらいすぐできるじゃろ」
「出来るんすよ?出来ますって」
「ならやってみんしゃい」
「……すみません、十回に一回くらいの確率っす」

しょぼんとした赤也を、仁王はこういうときに可愛いと思う。からかいがあるというかなんというか。頬杖をついていない方の手で、何となくペンを持つ。

「まぁやけにくしゃみしちょるし、マスクしとるからおかしいとは思っとったが…」

まさか花粉症だったとは。赤也は病気などとは無縁のイメージがあった所為か、不思議な感じだ。それに比べ仁王は花粉症持ちと勘違いされることが多いが、実際は花粉なんて全然大丈夫である。はてそのイメージはどこからきたのか。仁王が赤也に無病なイメージを持つのと同じ感じなのだろう、と仁王は思う。

「赤也のマスクもイケとるがな」
「まじっすか!」

がたんと立ち上がると同時にまた大きくくしゃみをする。花粉症って大変だな、と他人ごとのように分析した。否、仁王にとっては本当に他人ごとなのだが。仁王の周りにも何人か花粉症持ちは居るので、ほんまに大変じゃなあとのほほんと考えた。

「あー…くそっ」
「まあ落ち着きんしゃい」
「落ち着けないっす…、ぶえっくしゅっ!」

まさしくオヤジ臭いくしゃみ。数回連続で続けると、赤也はぜぇぜぇと息を乱した。テニスの試合でも中々息を上げることのない赤也をここまでにするのだ。まさしく、花粉症は驚異だと思わざるおえない。

「もう嫌だ花粉症」
「春がはよう終わってくれるんを待つんじゃな」
「終わるのっていつっすか!それまで待てないっすよ!!」

再び力んで声を上げた赤也。しかしまたくしゃみが出て、雰囲気も何もあったものではない。落ち着かせるように仁王も立ち上がり、赤也の背中を撫でた。

「春までになんかあるんか?」
「ありますよ!大きな問題がっ…っくしょいッ!あーっ!!」

苛立ちが募り始めたのか、赤也はくそっと忌々しげに舌打ちをする。とりあえず落ち着けという意味も込めて赤也の名前を呼ぶと、この世の終わりを見たみたいな顔をして赤也は仁王の顔を見た。

「だって仁王先輩とキス出来ないじゃないっすか!!」
「……は」

深刻な表情で見つめられたもんだから、何を言われるのかと身構えた。しかし仁王の予想とは大きく外れた返答に、仁王からは思わず間抜けな声が出る。

「だって俺にとって仁王先輩は一種の栄養源みたいなもんだし、こんな花粉症のまんまじゃ雰囲気もくそも出ないっしょ!」
「ま、まぁ…」

確かにそうだが。実際先ほど自分も同じ様なことも考えていた訳だし。しかしそこまで必死になることなのか。よくわからない、という顔をした仁王は大きくため息を吐いた。

「なら春が終わるまでオアズケになるんじゃな」
「えっ…それって、」
「キス」

だから勿論セックスもオアズケじゃな、と仁王はさらりと言う。しかも満面の笑みを浮かべながら。仁王の発言に赤也はぴきりと(音を立てて)固まる。

「そ、そんなぁ…」
「まあ梅雨までの辛抱じゃき、がんばりんしゃい、赤也」

満面の笑みを浮かべて笑う仁王に、赤也はがっくりと肩を落とす。実際は赤也と触れ合えないのは少しばかり寂しかったりするのだが、その反面で大好きな赤也が一喜一憂するのも楽しい。好きな子ほどいじりたいという性格なので、それはそれで楽しいのだ。性格が悪いとよく言われるが、今は何とでも言ってくれ。そんな気分である。

「に、仁王せんぱーい…」
「さ、勉強するかのう」

赤也の言葉を華麗にスルーして、おざなりにされていた勉強道具たちと向き直る。そろそろテストだから、と赤也に頼まれて英語を見始めたのが今の状況のきっかけだ。不満そうに視線で訴えかけてくる赤也に、仁王は不適に笑みを向ける。

「ほら、英語またで赤点取っても知らんぜよ」
「そ、それは嫌っす」
「それに今回テスト頑張れば、ご褒美やるからがんばり」

ご褒美という言葉に過剰に反応して、赤也は仁王へと視線を向ける。先ほどまでのどんよりした瞳が嘘のように、今の赤也の目はきらきら輝いていた。

「ご、ご褒美って…なんすか?」
「ん。赤也、耳貸してみ」

仁王に言われたとおり素直に耳を貸す。こそりと言われた仁王の言葉に、赤也の顔が煌めいた。僅かに頬を高揚させ、机の上に広げられたノートと教科書をちらりと見る。

「マジっすか…?」
「男に二言はなか」
「……俺、頑張るっす」

赤也の手の中に収まったシャープペンシルが機敏に動き出す。恐らく、赤也にとっては最高にいい条件ではないだろうか、ということを耳打ちした。静かに承諾した赤也を見て、仁王は笑みを深くする。

「がんばり赤也」
「がんばるっす!…、ふっ、えっくしゅい!」

辛そうにくしゃみをしながらも、必死にやる赤也。そんなにご褒美が嬉しかったのか、赤也は先ほどよりも俄然やる気が出たようだ。これで条件を出したら本人が赤点を出しても洒落にならないので、仁王自身も同じくシャープペンシルを手に取る。そしてルーズリーフを取り出し、再び教科書と向き合い勉強を始めた。
そして春が終わってからのご褒美を、赤也が見事に獲得して上機嫌だったのはまた別のお話。



(20110305)
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