貴方のぬくもりに、ナミダ



誰を信じればいいのだろうか。誰を愛せばいいのだろうか。分からない疑問ばかりが頭の中をぐるぐると回って、頭がパンクしてしまいそうになる。終いには涙まで溢れてくるもんだから、俺はどうすれば良いのかが分からずに声を殺して静かに泣いた。

いつからか人が怖くなっていた。正確な頃は覚えていないけれど、おぼろげになった意識の記憶と、カラダの記憶が人と接することを嫌だと拒むようになっていたのだ。

誰かに触れられるのが怖い。喋ることに拒絶反応が起こる。どうして自分はここにいるのだろう、と思考が散漫してちゃんと考えることすらできない始末で、俺の頭の中の糸がぐちゃぐちゃにこんがらがっていつも糸口を見つけられない。どうにか解こうとしても更に状況を悪化させるだけで、人間という存在に対する恐怖が更に俺の中で大きくなっただけだった。


「怖い…ッ」


今日、部活に行く前に女の子に熱烈な告白を受けた。別に告白自体は何度もされたことがあるし、付き合う気もない俺はいつものように疑問と吐き気に襲われながら答えを返す。それなのに今日はいつもと訳が違っていて、その女の子は廊下の真ん中で、下校中の生徒が居る中で俺に好きなんですと大声で言ってきたのだ。それには断ったりしたら許さないという女の執着心やプライドみたいなものを感じて、俺は驚きとか恥ずかしさ以前に青ざめる。だって怖いと思ったから。相手に選択肢を与えず、自分の都合の良いよう動かそうとするその行動や気持ちが。何とかして取り繕った笑顔はきっと引き攣っていたに違いない、と俺はその場から早く逃げ出したくて女がヒステリックを起こさないようにやんわりと告白を断った。


「なして、なして……?俺なんかを好きになるんじゃ…?」


どうにかヒステリックを起こす前に逃げ出してその場を離れ、俺は部室まで全速力で走った。いつものように襲ってくる嘔吐感に眩暈がしたが、早く一人になりたかったのでそれどころではない。駆け込んだ部室に備え付けられているトイレで、胃液が出てくるまで中身を吐き出した。他人に告白される度に嘔吐感が込み上げてきて吐くようになったのは、人間が怖くなったことの延長戦だと俺自身も理解していた。だって部活の連中とは普通に話せるし、馴れ合うまで行かずとも普通に会話を交わすことくらいなら全然平気なのだ。だからここまで極端な自分が、酷くおかしくもあった。


「…気持ち、わる…ッ」


どんなに吐き出しても落ち着かず、とりあえず部室に置かれているベンチに寝転がって先ほどのことを思い出していると、更に嘔吐感が込み上げてくる。どうにかそれをやり過ごそうと体を丸めると、恐怖や体調が改善されるどころか更に酷くなった。嗚呼どうしよう、とその苦しさをどこか他人事のように感じていると、突然部室のドアがガチャリと音を立てて開かれる。もう部活は始まっているはずなのに、と不思議に思ってだるい頭を入り口に向ければ、そこには特徴的な赤い頭をした奴が立っていた。


「…丸、井?」
「仁王…お前何やってんだよぃ」
「ちょっと、サボりじゃよ」


思わず名前を呼んでその人物を確認すると、相手も俺の姿を見つけて驚いたように目を見開いた。できれば今は誰にも会いたくなかった、という俺の気持ちなんて知るはずがない丸井ははズカズカと歩いてきて、ベンチから起きるように促す。言われたとおりになんとか体を起こせば、頭はぼーっとしたままだし吐き気も相変わらずで眉を顰めた。


「あんまりサボってっと真田に怒られんぞぉ」
「…わかっとるよ」
「ほんとかよ」


けらけらと笑った丸井に釣られるように俺も何とか笑えば、丸井はガムを噛んで器用に大きく風船を作る。そういえば真田には最近部活をサボりがちで怒られっぱなしだったな、と思い出せば、突然ぼやけた視界に丸井の顔が迫っていて、俺は驚きのあまり声が出なかった。


「お前、熱あんじゃねぇの?」
「いや…わからん」
「わからんて…お前滅茶苦茶顔真っ赤だぞ」


心配の言葉を掛けてくれる丸井へ、無意識の内に笑みを零せば丸井は突然俺から視線を逸らしたもんだから首を傾げた。どうした、と掠れていたけれどどうにか声を掛ければ、丸井は何でもないと言って俺の頬を撫でる。そんな丸井の行動に驚いてピクリと肩を揺らせば丸井は悪いと手を離して、でも何故かその部分がすごく熱く感じていた。


「やっぱ、すげぇ辛そうじゃねぇか。幸村くんに言って今日の部活休んだ方がいいんじゃね?」
「ええ。大丈夫じゃって…」
「大丈夫じゃねぇだろぃ。そんなんで出たら確実に倒れるっつの!」


先ほどまでの雰囲気が嘘のように忙しなくなった丸井が、突然立ち上がって部室を出て行った。そんな彼の背中をぽかんと見つめれば、再び吐き気が戻ってきてあれ、とベンチに横になる。数回深呼吸を繰り返して目を閉じれば、少しだけ楽になり俺はほぅっと息を吐いた。そういえば丸井と一緒に居るときは不思議と苦しくなかったな、と考えていると同時に部室のドアが開かれ、今度は誰だと思って視線だけを向ける。するとそこには再び丸井が息を切らしながら立っていて、俺は口を開けたままその人物を凝視した。


「…なして、戻ってきたんじゃ?」
「そんなんお前が心配だからに決まってんだろーが」
「……俺が?」


どうして、と口を開くより前に差し出された体温計を受け取ってから疑問を口にすれば、丸井は何故か言いづらそうに視線を逸らして、俺の体を支えながら起き上がらせる。それに小さくうめき声を出せば、悪いと言って俺の体を丸井の体へ凭れさせた。そんな彼の体温に普段なら抱くはずの嫌悪は抱かず、むしろほっとして強張った体から力が抜ける。初めての感覚に一体どうしたのだろうとクエスチョンマークを頭に浮かべれば、それと同時に体温計が無機質な機械音を発した。


「……37.5度。んだよ、やっぱ熱あんじゃねぇか!」
「それくらいなら、平気じゃ」
「平気じゃねぇよ!今日は帰れって仁王」
「――なして…?」
「は?」


考えるよりも先に出ていた言葉に、今更やばいと気づいてももう遅いわけで、俺は視線を伏せて丸井から目を逸らした。俺と丸井はクラスが一緒で部活も一緒だが、特別親しい仲ではない。実際、クラスで話したことがあるのなんて部活での業務連絡くらいだろう。俺はクラスでは浮いていたし、親しいやつも居ないので屋上でサボって居たことの方が多かったから、基本一人で居ることの方が多かった。それに比べて丸井はクラスでも人気者だったし、愛嬌もあるし、女子からも人気があるから俺とは対照的な存在なのである。なのにどうして彼はこんなに俺を気に掛けてくれるのかが分からなくて、知らず知らずのうちにそんな言葉を口にしていた。


「なして…そない俺を気に掛けるんじゃ?」
「なんでって…そりゃ、部活仲間だし…クラスメイトだし…」
「それにしたって、俺たちは特別親しいわけでもなかろう…?」


俺の言葉に困ったような表情を見せる丸井に、こんな顔をさせたかったわけじゃないのに、とさせた本人の癖にツキリと胸が痛んだ。疑問に対しての答えを探しているのか、丸井は視線を泳がせながら不意に俺の頭を撫でる。それに何だ、と小さく首を傾げれば丸井は俺の顔をじっと見据えて、意を決したように口を開いた。


「仁王はよ」
「…なん?」
「俺がお前のこと好きだ、とか言ったら引くか?」
「……え」


すごく真剣な表情で俺の顔を見てくる丸井の顔は、コートの上でも中々見せることのないような表情で、滅茶苦茶カッコイイ顔にドキリと心臓が跳ねる。その半面で自分は何故そんなことを知っているのだろう、と不思議に思うが真剣な丸井の表情に俺も自然と言葉を口にしていた。


「引かんよ」
「…マジで?」
「なして?」
「だって普通に考えたら気持ち悪くね?男が男を好きなんだぜぃ?」
「別に平気じゃよ。前に、何回か男から告られたこと…あるしのう」


そう言えば丸井はあからさまに眉を顰めて、俺の言葉を聞いてマジかよ、と言った。嘘を吐く理由もなければ、丸井に同情するような優しい心も持ち合わせていないために、これは本当だともう一度念を押す。すると丸井は一瞬何かを考えてから、再び俺の顔を見て言ったのだ。


「なら、俺と付き合ってほしい」
「……」
「やっぱ、駄目…か?」


どこか頼りない表情で聞いてくる丸井に、更に五月蝿いくらいに心臓がドクドクと脈打つ。初めの感覚に自分自身が分からず困っていると、そんな俺の反応をノーと取ったのか、俺の肩を掴んでいた彼の腕が離れる。それに寂しい、だなんて感じた俺は咄嗟にベンチから立ち上がろうとした丸井の腕を掴んでいて、自分の行動に数秒してから驚いた。


「に、仁王…?」
「ぃや……じゃ、なか…」
「へ…?」
「だめじゃ、なか…ッ」


搾り出すように出した声が丸井に届いたのか分からなかったが、再びベンチに腰を下ろした丸井を見て、聞こえていたんだとほっとした。そして俺は目の前にある丸井の手をぎゅっと握って、抱きしめるようにその手に頬を寄せると、酷くほっとした。


「…マジで?」
「嘘なんて、吐かん」
「ッ…ヤベッ、マジで?嬉しいんですけど…っ」


断片的にそう言った丸井の顔を見上げれば、丸井はすごく幸せそうに笑っていて俺も自然と幸せな気分になれた。そういえばこういう気持ちは初めてかもしれない、と落ち着かない気持ちを持て余していると、不意に俺の心の中の疑問が顔を出す。聞いてもいいのだろうか、と思う半面でどうしても知りたいという気持ちが先走り、俺は意を決して丸井に疑問を投げかけた。


「でも…丸井」
「おう?」
「一つ、聞きたいことがあるん、じゃが…」


どうして俺を好きになったのか、と口にすれば、丸井は恥ずかしそうに視線を逸らしてから言いづらそうに喋り始めた。こんな彼の顔を見るのは初めてだ、とまるで今まで彼を見てきていたような自分の心情にまたもや驚かされることになる。


「…あー、実はよ。部活が一緒になった時から一目ぼれだったんだ」
「ひとめ…ぼれ?」
「そ。んで、色々気に掛けてたんだけど、中々声掛けらんなくってよ…クラスが一緒になって正直、めっちゃ嬉しかった」


少しはにかみながら言う丸井の表情にさっきからずっとドキドキしっぱなしで、心臓が壊れてしまうんじゃないかというほど苦しい。だが喋るのに精一杯らしい丸井はそんな俺の変化に気付くことはなかったようで(熱もあったし)、変わらずもごもごと喋り続けていた。


「そんで今日お前見かけてさ、こりゃ喋るチャンスじゃね?って思ってたらなんかお前体調悪くってめちゃ心配で。でも結局こうやって喋れてさ…挙句今告白しちまって、もう順番バラバラだぜぃ…」


あーはずい、と片手で顔を覆った丸井の行動に俺は自分でも気付かないうちに丸井、と彼の名前を呼んだ。手の隙間から視線だけを寄越す丸井を見て、なんだか新鮮だと胸を高鳴らせていれば彼の抱きしめていた手を己の指と絡めて、にこりと笑った。


「俺、丸井んこと好きかもしれん」
「……おう」
「丸井が、初めて本気で好きになった人じゃと思う」
「ッ…お前さ、俺を泣かせる気かよぃ…」
「かもしれん」


だって普段なら告白されれば襲ってくる吐き気や眩暈がないし、何よりこの胸の高鳴りが彼を好きだと物語っている。それに今思い返してみれば、俺自身も彼に一目ぼれだったのかもしれないと思う。皆に好かれる丸井ブン太という存在に、俺はきっと一瞬にして心を奪われていたのだ。それなら彼の行動を把握しているのにも納得がいって、心にストンと心地よく当てはまった。


「やべ、めっちゃ幸せだわ…っ」
「俺も。今幸せじゃ」


ドキドキするなんて経験がはじめてな俺には、目の前の彼の顔を見ることも大変なように思えてしまう。不意に伸ばされた彼の手が慈しむ様に俺の頬に添えられて、俺はその体温があまりにも心地がよくて気持ちがよくて、自分から擦り寄った。それと同時に沸き起こった歓喜が、いつの間にか俺の目からしょっぱい水を流させていて、俺は笑いながらポロポロと涙を流す。そんな俺に焦った丸井がオタオタと動くのがうれしくて、俺は更に笑み濃くして笑った。


「……仁王、」
「…?」
「幸せにしてやんぜ…覚悟しとけっ」


ぎゅっと俺の体を抱きしめた丸井の体温が全身を包み込んで、嘔吐感とかをすべて凌駕する幸福感が心を満たして、俺は丸井と名前を呼んで静かに泣いた。これからはもう、一人で泣かなくてもいいように、今たっぷりと彼にすがり付いて泣いておこう。



(20100609)
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