※ブン太出番無 壊れる壊れる壊れる。壊れてしまえ。何もかも。ボロボロに朽ち果ててなくなってしまえばいい。目の前で動く道化人形は笑いながら言った。カラカラカラ。木で出来た道化人形は、笑い方すらも滑稽だ。それに薄ら寒いものを感じた仁王は、あからさまに眉を顰めて道化人形を眺める。カタリ。道化人形の口がゆっくりと開かれる。 「壊れてしまえばいいのに。キミの日常も、キミ自身も、大事な大事な恋という浅はかな感情も」 道化人形の表情は分からない。人形だから当たり前なのかもしれないが。真っ白で不気味な化粧をした人形が、腕を上げて仁王を指さした。 「キミは幸せになるべき人間じゃない」 声高らかに道化人形は言う。表情があれば、きっと口元をにやりと歪ませて笑っていただろうと容易に想像することができた。意味の分からないことを言う。仁王は冷静に道化人形の言葉を頭の中で反響させた。 「なしてじゃ?」 「…どうして?その問いこそ、愚問なことだと思わないかい、仁王雅治」 フルネームでワザと呼ぶあたりがムカツク。道化人形の話を聞いているのが、どんどんと馬鹿らしく感じてくる。カタカタと相変わらず動く口元に、自然と目がいった。滑稽だ。仁王は再び思う。 「おぬしの言うとることの方が、よほどくだらないことやと思うんじゃが」 「それは君が愚かだから、そんなことを思うんだよ」 道化人形は首を傾けた。カタリと音を立てて、また口を開閉させる。愚かしいのは目の前の人形ではないか。そういえばこの人形はどうやって動いているのか。糸で吊るされていなければ、電池などでもなさそうだ。そこで、場違いなことを考える自分に苦笑した。道化人形に対して、不気味さの中に僅かな好奇心が生まれる。 「おまん、どうやって動いとるんじゃ?」 「キミを筆頭に、人間というやつは本当に愚かだね」 会話がかみ合わない。でもそんなことは気にならなかった。手を伸ばして、道化人形に触ろうとしてみる。徐々に距離が縮まって、残り数センチになったころ。バチリ、と何かが仁王の手を跳ね除けた。 「ボクを触ることはできないよ」 「…みたいやね」 残念。触れたら壊してやろうと思ったのに。こんなくだらないことしか言えない人形を壊すことができたなら、どれほど幸せだろうか。先ほどの衝撃で怪我をした指先からは、赤い血がぽつりと浮かび上がっていた。 「キミの日常を壊すには、どうすればいいかな」 「そんなん知らんし、おまんに俺の日常を壊す権利はなか」 「ない?それはありえないよ」 道化人形が床に下りる。カタリと地面に足を着ける音が、やけに響いて聞こえた。顔を伏せていた人形の顔が上がる。先ほどと同じ人形。そのはずだった。しかし、何故か顔が変わっていたのだ。そこには、自分がよく見たことのある顔。 「だって、ボクはキミ自身だから」 仁王雅治。自分の顔がそこにはあった。鏡を見ているような錯覚を覚える、否、まったく同じ顔。これは悪い夢かなんかだろうか。きっとそうだろう。眩暈を覚えて、一瞬足もとがふらついた。だがどうにか踏みとどまり、再び人形と向き直る。 「キミは二重人格なんだよ。まぁ、人間というやつには必ず裏表があるけれど…キミは普通の人間以上に、極端に裏表があるんだ。キミが普段出ている表。そしてボクが裏。でもね、仁王雅治」 自分の顔がにやりと口元を歪める。妖しいことを考えているときの自分は、普段こんな顔をしているのだろうか。ふと疑問に思って、考えを中断した。同じく言葉を一旦切った人形は、勿体つけるようにしてから言う。 「ボクは裏だけど、いつでも表に出ることが出来るんだよ」 光と影の逆転だなんて、そんなのは簡単だ。例えばキミの意識を眠らせて、その間にボクが表に出る。要するに、キミの意識が肉体から離れていればいい。道化人形は声を上げて笑った。気味の悪いことを。仁王は戻っていた眉を再び顰める。 「だから、居眠りとかは気をつけた方が懸命だよ」 ボクはキミの幸せを壊したいから。壊したくてウズウズしているんだ。隙が在ればボクは行動に出るだろう。愉快そうに笑う。それはもう、不気味なほどに。これが自分の裏なのだろうか、本当に。それならば不愉快極まりない。思わずせり上がってきた嘔吐感に、顔を伏せた。 「…忠告、どうも」 「でもね、ボクもそろそろ裏に居るのに厭きてきちゃってね」 道化人形が仁王へと歩み寄る。その足取りは先ほどの動きからは想像も出来ないくらいしっかりとしていて、更に不気味さが増す。相変わらず木の擦れるカタカタという音は聞こえるけれど。仁王のすぐ目の前で歩みを止める。見上げてくる視線に、なぜか逃げ出したくなった。 「ボクと交代しよう。仁王雅治」 「…嫌じゃ」 「キミに拒否権はないよ」 拒絶の言葉すらも切り捨てられる。ニヤリと笑みを浮かべた道化人形と視線が交わる。それに逃げろ、と本能が警報を鳴らした。それなのに、体が動いてはくれない。囚われたように、その場から動けなかった。 「次キミが表の世界に戻るときは、すべてが壊れたときだよ」 「ふざけんな…ッ」 大きく叫び声を上げて怒りを露わにした仁王を、馬鹿にするかのように人形は笑みを浮かべる。道化人形の顔が歪んで、頭が床へと落ちた。次々に腕、胸元、腰と体の破片が落ちていく。ガタガタガタ。同じく耳障りだと仁王は思った。落ちた頭の目だけが、鋭く仁王の方をぎろりと見る。 「キミハ幸セニナルベキ人間ジャナイ」 再び同じ言葉を口にする。にやり。仁王の不快感は最高に達した。逃げられない視線に盛大に眉を顰める。視線が合った。それだけで、仁王の意識が徐々にブラックアウトしていく。最後に見たのは、道化人形の歪んだ笑顔。そこで仁王の意識はぷつりと途絶えた。 壊れてしまえばいいのに。すべてすべて。 普通だった楽しい日常。それほど好きではなかった自分自身。大事な大事な恋という浅はかな感情。愛する愛する愛しい恋人。すべてがキミには必要ない。何もなくていい。それでこそ、詐欺師としてのキミの生き様。 今日からキミは道化人形になる。そしてボクは、キミになる。すべてを壊して、もう絶対に直せないくらいに崩壊させて。キミへとその現実をプレゼントしてあげる。 (20100930) |