04




雨粒が暗い窓を打ち付ける。水の重さに外の紅葉がだらんと下を向いた。秋雨の夕方である。

ただ今俺は密室に月詠先生と二人、向かい合っている。…なんていうと何だか良い感じっぽく聞こえるが、別に先生とストロベリーなひと時を共にしていたわけではない。

「春一郎」

「はい」

「…ぬしは、卒業したら」



…わっちを嫁にしてくれるか?




と、少し顔を赤らめながらもいつもの通り真面目な顔と声で言う月詠先生を一瞬で想像できた。次の一瞬で、俺が思いつく限り一番かっこいい返事をして、それから先生をこうギュッと…という展開まで明確に想像していた。人はこれを妄想と呼ぶらしい。


しかし勿論そんなことがあるわけはなく、月詠先生は「C組進路資料」と書かれた青いファイルのページを捲り、

「卒業したら、大学進学希望じゃったな」

と続けた。先生はファイルから俺にも見覚えのあるプリントを取り出す。二週間ほど前に提出した進路希望調査の話である。


そう。ただ今、担任による個別進路面談という、ものすごく普通の行事が行われているのである。それでもまあ、雨で空気がしっとりと冷たい進路相談室に先生と二人っきり。先生は少し寒そうで、膝の上にマフラーを置いていた。あ、女の子だな。と俺が思うと同時に、

「で、第一志望が○×大。第二が△●学院大」

と、低い声が来た。

「ハイ」

「受験する学部は決まったか」

白い膝と赤いマフラーに心の中でアンダーマイノーズを伸ばしていた俺は、その問で急に現実に引き戻された。

俺は、うーん。と考えて、

「何か…特に何ってのが無いんスけど」

苦笑した。

「何か興味があって学びたいこととか、将来につなげたいこととか」

「無いッスね。あ、大学入ったら運転免許取りたい」

「そういうことは合格してから考えなんし。今はもっと根本的な話じゃ」

先生は立ち上がる。膝のマフラーがはらりと落ち、それを先生が身を屈めて拾う。何でこんなキレイなんだろう、とハラハラした。いつ彼氏が出来てもおかしくねーよ、これ。いつ月詠先生の苗字が変わるかわかんねーよ。「坂田」とかに。(絶対やだけどさ。)

「将来の夢は無いのか」

部屋の隅にあった小さなヒーターを椅子の傍まで持ってきて、先生が電源を入れた。

「海賊王に俺はなります」

「却下」

「生徒の夢を却下しないで下さいよ」

「生徒がアウトローになるのを止めるのが教師じゃ。真面目に考えなんし」

座った先生は再び膝にマフラーをかけた。

外の雨音は一向に止まず、むしろ激しくなってきている。

「……普通にサラリーマンになって、普通に結婚して、普通に子供産んで…じゃねーや間違えた、産みません」

月詠先生が一瞬だけ微かに笑って、どうでもいいことなのに顔がかっと熱くなった。…普段ならヘラヘラと流すところなのに、そこから先何を言っていいかわからない。


あ、そうか。

俺、男なんだ。


と当たり前で今更な事実に気づいた俺は、先生から目を逸らす。

「…春一郎?」

関係ない話をしようと、働かない頭を回転させる。

「先生は、………」


好きな人とか、いるんですか。


とはさすがに聞けず、

「何で先生になろうと思ったんですか」

と、生徒らしい質問を出した。

先生は一瞬止まって、「わっちがか?」と聞き返す。

「はい」

「………」

ふつ。と小さな音がして、ヒーターの送風が一時的に止まった。先生は何かを思い出そうとしているのか、何かを慮っているのか、節目がちになる。

「…わっちが教員を志したのは、」

声が少し掠れて、月詠先生は咳払いをする。

「…わっちの高校時代の先生のため、じゃ」




月詠先生が高校一年の時の担任の先生は日輪先生という、それはそれは真っ直ぐで明るくてきれいで強くて、素敵な先生だったのだという。生徒からの信頼も厚い。月詠先生も日輪先生を、最初は反発していたものの、徐々に慕うようになった。


でも、あるとき、月詠先生のクラスメートが亡くなった。日輪先生の教え子が。


……俺には詳細は教えて貰えなかったけれど、日輪先生が先生じゃなくなってしまった、って。先生を続けられなくなった、って。


だから日輪先生の教えを、日輪先生のような教えを、日輪先生の代わりに、もっと沢山の生徒に。と先生は言った。



「…それが、日輪先生にできる恩返しではないかと、思ったから」






俺の方から質問したことだけれど、あまりにも突然のことだった。先生は「済まんの」と謝る。何で謝ったんだろう。亡くなったなんていう言葉が出てきたことに対して?明るく希望に満ち満ちた理由じゃなかったことに対して?

先生が、辛そうな表情から抜け出せないことに対して?

寒い。雨の音が寒くて、何だか重たいこの空気が肌寒い。この無言が肌寒い。俺はまだガキだから、こんなの耐えられない。


「先生、」


俺は身を乗り出して、机の向こうの先生の両手を、マフラーの上から奪っていた。先生の手は案外小さかった。



そのまま無言の時間が、沢山過ぎた。









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