02
俺だって普通に同級生なり後輩なり好きになって告白してあわよくばお付き合いなんかしちゃって、というよくある青春がいい。例えばさ、Z組の志村さんとか可愛いじゃん。ああいう清楚な雰囲気の子、本当は俺タイプなんだよね。や、喋ったことないけどさ。
でも、世の中そんな風にいい感じにはいかないのである。
ある意味俺のこの恋だって青春らしいといえば青春らしいし、ありきたりといえばありきたりだろう。でも、すこぶる面倒くさいのだ。担任の先生に惚れるということは。
「おお、春一郎。部活帰りか」
「あ、ハイ」
夏休みのある日の夕方。俺は泥だらけのユニフォームが入ったスポーツバッグを担いで昇降口で靴を履き替えていた。月詠先生は昇降口を出たところにある花壇の花に水をやっていた。
「大会が近いらしいのう」
「そーなんスよ。先生、見に来ますか」
へらっと笑って軽く言った。先生は「行けたら行く」とだけ言った。
少し湿った夕方の空気のせいだろうか、花のお陰だろうか、どことなく、先生の表情が柔らかい。
花壇には夏らしい鮮やかな色のきれいな花もあれば、おそらく校長の趣味なのだろう、世界不●議発見みたいな珍種の毒々しい植物まで、色々な花があった。靴紐を結んだ俺は昇降口を出た。
「手伝います」
隅っこに置いてあった、銀魂高校と油性マジックで荒っぽくかかれたジョウロを取って、近くの水道で水を汲んだ。「済まんの」、と月詠先生は言って、「こっちの方を頼む」と珍種エリアを指した。うげっ、と一瞬おのれの行動を悔いたけれど、一瞬だ。だってこれは、さながら、女の子には出来ない(ような気がする)ことをやってあげるというものすごくかっこいいイベントではないか。
ということで俺は、見た目のグロテスクで虫どころか人も食べてしまいそうな雰囲気の植物に、どう掛けていいかわからないけれど水をかけた。しかし花びらが濡れた途端、ぶるるっと花が震えた。花びらがポ●モンのように身を震わせたのである。何だよコレ何なんだよコレ。ここはホグワーツですかコノヤロー。
「せんせー、コレ何、……」
ビビって変な汗が出たのは暑いからということにして、極力平静を装い、俺は先生を振り返った。ら、後ろには先生がいない。
一瞬、息が止まった。
そのあと二秒くらい、呼吸の仕方を忘れた。
「何じゃ、どうした」
先生がそう言って俺の方を向いたときには、俺の気分は、ずっしりと重たく沈んでいた。
「…や、何でもねッス」
俺は先生から顔を逸らして、珍種の植物のびっくりするほど赤い花びらが柔らかい夕焼けの中で更に赤くなるのを、じっと見た。花びらの斑点が、また毒々しい。それでも屋上の光景より、いや、屋上を見つめる月詠先生の顔より、ずっとマシだ。
先生の顔が赤かったのは夕焼けのせいだと思いたいけれど、彼女が大きな目でぼうっと見つめるその先には西校舎の屋上があって、そこで現国の坂田先生が煙草を吸っていたのだ。いつものあの無気力な目で。あいにく俺は視力がとっても良いからそこまでわかってしまう。
理解するより先に嫉妬して、理解してから気分が沈んだ。なぜなら俺は、以前に聞いたことがあったからだ。根拠は無いけど、ツッキー先生が銀八のこと好きらしいよ、っていう噂を。
え、そうなの?何それ職場内恋愛?いや、ツッキーの片思いらしいんだけどね。えー、じゃあ銀八はどうなのよ。さあねえ、お天気お姉さんのファンってことしか知らないや。
一学期の終業式のあと、教室に帰って騒然とする中で女子がこんな風に噂してた。俺は普通に男子の輪の中でアホやってて、ふざけてて、でも、その噂がちろちろと耳に入ってくるのが本当に面倒くさくて、いきなり「俺今から寝るわ。」と言って机に突っ伏した。当然まわりの奴らは俺がまたアホ言ってると思うから、笑う。ギャハハハ春一郎お前何やってんだよ、もうすぐツッキー来んだろ。そんなに成績表怖えーのかよ。って。
笑えよ。あんな噂話、消せよ。元々、月詠先生と俺とが両思いだなんてそんなこと思ったことない。
でもこれじゃ勝ち目ねーんだよ。
俺、ただの高坊なんだよ。
「春一郎」
先生に名前を呼ばれてハッとした。いつもホームルームで或いは授業で見ている、あの普段の月詠先生の顔である。
「あ、ハイ」
「……それ以上水を掛けたら、その花、腐るぞ」
「へっ?」
言われて前を向くと、さっきの隣の花に、俺はジョウロ一杯の水をじゃばばばばと掛けているところだった。「のわあっ」と叫びを上げ、慌ててジョウロの口を上に向ける。
「練習の後で疲れとるみたいじゃな。今日は早く帰って、勉強して、ゆっくり休みなんし」
「勉強はするんスね」
「当たり前じゃ、受験生じゃろう」
キッと鋭く言われて、沈んでいた気持ちが、夏の夕方のこの生ぬるい空気にゆるゆると溶ける心地がした。
「そもそも夏季休暇課題は進んでおるのか?」
「ノーコメントでお願いします」
きっぱり言い放った俺に、先生の雷が降ってくるのを覚悟したけれど、月詠先生は、フッと微笑んだ。
「…大会、見に行く。だから頑張りなんし」
「………」
……ちょい待ちちょい待ち。
え、今なんつったツッキー?
大会?見に行く?頑張りなんし?
「あ、」
「あ?」
「あざっす……」
と俺がシンプルに礼を述べたのと同時に風が吹いてきて、グロテスクな植物が「びゅおわっ」と謎の奇声を挙げた。まさかセリフが植物とカブるとは思いもよらなかった俺は口をぽかんと開けたまま、職員玄関へと消えていく月詠先生を見送っていた。先生のことだ、屋上に煙管を吸いに行くのだろう。わかるよ、わかる。しょせん俺は生徒の一人だよ。銀八になんて勝てねーよ。
でも、何故だか今度は気持ちが沈むことが無かった。何だかふわっと軽い心地だった。
きついといえばきついけれど、こういう青春も悪かねーな。と、はじめて思った。