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「ぬしは、バカか」

月詠先生に言われた。俺は全身ずぶ濡れである。ぼたぼたと髪先から袖から水滴が垂れ、職員室の床に池を作っていた。たまたま側を通った教頭が、眉をしかめて舌打ち。舌打ちしたいのはこっちの方だバカヤロー、と思うけれど俺は反対にヘラっと情けない笑みを浮かべた。

「何で知ってるんスか、俺がバカだって」

「朝っぱらからバケツの水を全身で被るなどバカのすることじゃ」

「ハハッ、よくわかってらっしゃる」

月詠先生は腕と足を組んだまま、ハア、と溜息をついた。












時は二十分ほど前にさかのぼる。

現社のお房先生が育児休暇を取ることになり、今日の一時間目から新しい先生が来ると俺たちは聞いていた。大学の教育学部を出たばっかりの新任らしい。

ということで、俺たちの考えることは一つ。歓迎の儀式、つまり新しい先生への愛あるイタズラである。(いま俺の思考回路が両津勘吉と同じだとか思った奴、あとで焼きそばパン買って来い。)

そういうわけで、俺と友達数人は、教室の入り口に水の入ったバケツを仕掛けたのだ。ドアを開けて入って来た人物がバシャーっと豪快に水を被るように。(いま俺の手口が小学生レベルだと思った奴、あんぱんも買って来い。あとフルーツ牛乳も頼む)

ところが、―この辺りが月詠先生にバカと言われる所以なのだが―これには誤算があったのだ。俺たちがこの仕掛けを作ったのは八時二十分。つまり、一時間目の前であるより先に、SHRの前である。

ということは、新任より先にこのドアを開ける人物がいるのだ。……担任の月詠先生だ。やべーぞ、これはやばい。おっぱいがミサイルのヤバ沢さん一万人分のヤバスである。

俺も友人も俄かに焦り出した。気づいたときには先生のハイヒールの音が廊下に響いている。さあどうする俺、どうする友人?そしてどうなる、月詠先生。




















「……ぬしは、バカか」

「せんせー、それ二回目ッス」

そう。気づいたときには、俺が自らドアに手をかけ、開け、派手に水を被っていたのだった。だって何だか、だってだってなんだもん。(いま何こいつキモッ!とか思った奴、さすがに俺も同感だ)

月詠先生は一旦席を立ち、書類棚の中から何かを引っ張り出して、戻ってきて、俺にそれを突きつけた。

「ほれ、春一郎」

「何スか、それ」

受け取ってみると、それはごくごく一般的な20×20=400字詰め原稿用紙。ざっと見ただけでも十枚ほどはある。

「反省文じゃ。木曜までに書きなんし」

「ええええ!ちょ、木曜って明日じゃないスか」

「うるさい。高三にもなって豚珍勘トリオみたいなことするからじゃ」

そういってオフィスチェアに座った月詠先生は、また脚を組んだ。何の気なしにやっていることなのだろう、でもその仕草のせいで、何となく、頭の中に、ずぶ濡れになった月詠先生の姿を想像してしまう。水を被って衣服から中の布の色が透けて見える、ブラウスが肌にぴとりとくっつく、先生の姿。

俺の髪の水滴が原稿用紙を濡らして、どろっと体の中が熱くなった。

「ぬしももう十八じゃろう。もう少し大人らしくしたらどうじゃ」

「………」

「もうそろそろ一時間目が始まる。春一郎も早う教室に戻りなんし」

「………」

黙っている俺は、反省したかのように見えたのか。先生はしばらくの無言のあと、立ち上がって、ぽんぽんと俺の頭を叩いて、職員室を出て行った。月詠先生は背が高くて、ヒールを履けば俺ともそう変わらない。だから男の先生と同じ高さである。…でも、頭を叩かれたとき、ふわっと甘いにおいがしたのは看過できない。

俺はドアが閉まったあとも、月詠先生の残り香にぼんやりしていた。現国の坂田に見つかって「青春だねえ」とニヤニヤされ、原稿用紙を持つ手に力がこもった。









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