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学ランの胸ポケットに、今朝配られたピンクの造花をさす。隣や後ろと同じように。三月に入ってから無駄に席替えをして、ずいぶん日当たりのよい席になったので、造花は八時半の日光を存分に浴びてあたたかそうにしていた。
「準備の整ったものから体育館前に移動じゃ」
月詠先生はいつもより少しだけ華やかな色のスーツに、やはり俺たちと同じように花をさして、いつもより少しだけつやのある口紅をして、そう指示を出した。
銀魂高校第xx回卒業証書授与式。
月詠先生の口調はいつもと寸分たがわぬものだったので、俺は卒業するという実感も、もう先生と会えなくなるという焦りも、何度も何度も忘れそうになった。ざわつく教室内で、俺も襟元を整え、席を立った。俺たちは今日あっさりと卒業してしまう。
「生徒」から「卒業生」に身分を変えること、それは月詠先生に一人の大人の男として接しうる最初の一歩でもあるのだけれど、それ以前に学校に来なくなるのだからほぼ会えなくなるのだ。先生は来年、おそらく新一年生を受け持つだろう。そして、また俺みたいに、三十人も四十人もいる学級の生徒の一人か二人かが、先生にあこがれを抱くだろう。でも俺みたいに、先生と生徒との関係から脱することがでいないまま、ふわふわと卒業していくだろう。
列になることもなくぞろぞろと無秩序に、でも多少しんみりしながら、俺たちは体育館に向かって歩いていた。体育館前のスペースに集合、整列、そのまま職員の合図に合わせて入場。そういう手筈だった。俺はいつも通りに友人とあほなこと喋りながら、ずっと制服の胸ポケットに入れている、漢文の付箋を思い出した。この付箋だって、きっと、受け持った生徒の勝負の日にたびたび送られるものなんじゃないか。卒業式を前に、陽光に負けてしまうかのように、何となくずれた感傷に支配されていた。
歩きながら、猿飛さんの後ろ姿がちらりと見えた。しゃんとしていた。まっすぐな長い髪を揺らし、背筋よく歩いていた。
「あ、さっちゃんじゃん」
友人が小声で言う。
「春一郎お前さ、結局さっちゃんとはなんにもないわけ?」
「ねーよ」
「まじで?」
「まじで」
「なんにも?」
「なんにも」
「もう会えなくなるけどまじでなんにも?」
「は、」
よくわからんけど変な誤解をこじらされているな、と思ったら、バレンタインのとき、一緒に美術準備室前にいたのを目撃されていたらしい。ああそれか、確かにそれなら誤解されるな。猿飛さん泣いてたし、結構距離も近かったし。でも、そうじゃないんだ。そうじゃないんだよ。
「さっちゃんって普段銀八銀八言ってるけど、何だかんだお前といい感じだったじゃん?いいの?何か勿体ねーなって」
「いいんだよ」
「でもあんなかわいい子さ、」
「いーの!」
ちょっとキレ気味に返してから、やべ、と思った。でもそこはさすが俺の友人、へらっと笑って一言、「ゴメン」。
「春一郎がいいならいいんだけどさ、お前、恋愛の話でまともに発展したことないじゃん?好きな人のためにって言って無駄に身を引いて損するタイプだよな」
「あー……」
思いあたる節がないでもないので何となく流す頃には、もう俺たちも猿飛さんも体育館前に到着していた。無駄に身を引いて損するタイプらしい俺は、俺の前を通ろうとした知らない女子に場所をゆずったら後ろの奴の足を踏んでけっつまずいてしまった。ごめん、後ろの奴。
体育館の扉からどことなく緊張感が漂っていた。俺の胸ポケットの中をまさぐって、指先で、付箋があるのを意味もなく確かめた。
卒業式がはじまる。