短編 | ナノ

 
 
 卒業。なんて残酷で、もどかしい言葉だろう。
人生の門出だとか、自分で決めた未来の為にとか、祝福の言葉にまみれてはいるが、結局そんなのは全て建前だ。本当は周りによって無理矢理に居場所を引き剥がされるだけ。高校生なんて本人がいくら留年を望んでいても成績がある程度あれば強制的に送り出されるのだし、そもそもそれを推奨する親などいない。周囲の目もあって、最終的には私もされるがままに剥がされてみせるのである。


 私は卒業という言葉が嫌いだ。更に正しく言うならば、「最近嫌いになった」。3月が近付き、放課後の学校に吹奏楽部の奏でる仰げば尊しが響く度、言いようもない苛立ちが溢れてくるようになったのだ。叶うなら卒業なんかしたくないなんて、そんなことを思うようになってしまったのだ。

私は卒業後他県の大学へ進学することが決まっている。もうこの来良では、東京ではいられなくなるのだ。住む場所が変われば常識が変わる。それにつれて、きっと人間関係も変わるのだろう。私はそれが嫌で嫌でたまらない。私にはどうしても切り離したくない、大切な関係があるのだ。


***


「なまえ、一緒に写真撮ろー」
「ごめん、私パス!」
「えー?」


 高校生生活最後のホームルームの終了と共に駆け出した私。クラスメイトの呼び掛けにも耳を貸さず、通い慣れた校舎の廊下を全力疾走する。頭の中では付き合いの悪さを謝りつつ、しかし実際にはさほど後悔していない。私にとって1番に優先すべき人物がこちらにいた、というだけだ。

さて、その優先すべき人はどこにいるのだろう。走りながらも廊下を見回す。周りは人、人、人の海。さすがはマンモス校、簡単には探し人も見つからない。このあたりなのは確かなのだけど。…あ、あれそうかな?あの黒髪、身長……うん、多分そうだ!そうに違いない!
玄関の前に集まって騒ぐ在校生達の波を掻き分け、見つけた彼の後頭部に向かって名前を叫んだ。

「青葉くん!」


勢いのまま呼んだからだろうか、思ったより大きい声が出た。その声に振り向いた彼――もとい青葉くんは、背後に現れた私の姿を見るなり若干の苦笑いを浮かべてみせる。

「先輩、随分早いですけど、クラスの友達は?」
「……だって、青葉くんに会いたくて」

だから写真を撮り合っていた輪からは抜けて来たのだ、と正直に告げると「うわ、それ友達なくすタイプですねー」と笑われた。卒業式だというのに、彼は全くもっていつも通りだ。通常運転、敬ってくれない生意気な後輩。でも私は彼のそんなところも、青葉くんの全部がただただどうしようもなく好きなのだ。だからこそクラスメイトや先生達を差し置いて1番に青葉くんの元に駆けつけたのだ。

 「少しお話してもいい?」と尋ねると、彼は「嫌だって言っても教室へ帰ったりしないでしょう、先輩は」なんて返してきた。いつもと同じようなおちゃらけた会話にも、今日はなんだかしんみりしてしまう。卒業式って恐ろしい行事だ。


「4月からは、なかなか会えなくなるね…」
「そうですね」

しおらしい私とは反対に、随分とあっさり言う。前からだけど、青葉くんはこういう時ドライだ。冷めてる、っていうか。
思い返せば、私が志望校を他県の憧れの大学にするか家から通える近くの大学にするかで悩んでいた時にアドバイスしてくれたのも青葉くんだった。「俺の為に妥協しないでくださいね」。いつになく真剣な顔で告げた言葉を思い出す。
私が都内の大学を視野に入れたのは青葉くんと離れたくなかったからだってこと、言わなくても彼はお見通しだったらしい。自分との時間より、私の夢を大切にしろと、そう諭された。


 大好きな大好きな青葉くん。私は彼にありったけの愛を注いでこれまで過ごしてきたけれど、同時に私も同じだけ愛されてるのだということは知っている。私だって青葉くんのことなら大抵はお見通しなんだから。あえて言葉にしなくたって、分かるよ。

だけどね、今日くらいは、卒業式の日くらいは、ちゃんと言葉で確認させてね。青葉くんの愛。卒業記念にそのくらいいいでしょう。心の中で呟いて、瞳に涙の膜を張ってみせたりする。


「ねえ、青葉くんは私がいなくなって寂しくない?」

掠れた声で彼を見つめる。青葉くんは私の瞳を覆う水滴を見遣り、それを宥めるように笑顔を作ってみせるのだ。

「…そんなの、寂しいに決まってるじゃないですか」

「できることなら、引き留めたいくらいです」。平然と告げた青葉くんは、多分私の今の気持ちすら分かっているんだろうな。珍しくも優しい返事にそう思う。ほんと、私たちって以心伝心。阿吽の呼吸。


「でも、俺は先輩のこと応援してますから、先輩は俺のこと待たずにさっさと進んでください。ちゃんとそのうち追い付きますから」
「うん、」
「好きですから」
「うん、」
「なまえ」
「……うん、」


とうとう堪えきれずに泣き出す私の頭を撫で、生意気な後輩は「俺は泣きませんからね」と笑いながら瞳を少し潤ませた。


20120303

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