紀田正臣は女の子に対してだらしがない。それは多分、この学校で彼を知る者にとっては共通の理解である。 口を開けば女の子のことばかりだし、放課後は大抵ナンパに行く。これは噂だが、割り切って付き合うセックスフレンドなんてものまでいるらしい。高校生のくせに。
ここまで言えばお察しいただけると思うが、私は紀田くんを素敵だとは思わない。軽いしチャラいし、噂も噂だし。できたらお近づきになりたくないタイプの人間だ。 しかし、彼みたいな人は片想いするのに丁度いい。こう言うと失礼かもしれないが、要するに友達と恋愛話をするとき名前をお借りするのに適しているのである。「なまえちゃんは誰が好きなの?」「あのね、B組の紀田くんなの」「えー、あの人?かっこいいけど軽いって噂だよー?」こんなふうに。 私が彼を好きだと言えば、友達は告白しないの、なんて野暮なことは聞いてこない。あんな人に本気で告白なんかしたって無意味だと知っているからだ。これがごくごく普通の男の子だったりすると、すぐさまくっ付けようと作戦を練られてしまう。逆に、「好きな人はいないよ」なんて言ってしまえば最後、次回からは恋愛話の仲間に入れてもらえないのである。 だから絶対に叶わない片想いの相手として、紀田くんのような人はもってこいなのだ。女の子に優しいから好きになった理由にも事欠かない。
「なまえちゃんは紀田くんだっけ?」 「うん。目が合うだけで嬉しいんだ」 「そっかー」
切ない恋だね、と友人は言う。しかし私にとってはとても手軽な、インスタントラーメンみたいな恋だ。この人にしよう、と決めたらあっという間に完成してしまう即席の恋。 叶わないのが前提で、叶うはずもなく、そもそも本当に好きなわけでもない恋だった。だったはず、なのだ。
それなのに。 ある日廊下ですれ違った紀田くん。「あ、」と思って顔を背けたが、彼は迷わず真っ直ぐに私に向かって来たのである。…一体どうして。
「ね、きみきみ!」 「…私?」
私がまず思ったのは、邪険にしちゃいけないってことだった。友人には彼を好きだということにしてある。もしも彼を冷たくあしらう場面を誰かに見られて、そのことを怪しまれる訳にはいかなかった。
「何、かな?」
だから柔らかく、優しく明るく聞こえるように気を付けて答えるのだ。作られた声を自分で聞き、我ながら恋する乙女みたいだなあと思った。みたい、っていうか設定的にはその通りだけども。 しかしそんなとりとめのないことを考える余裕も、次の瞬間粉々に消え失せてしまった。
「ねぇ、俺のこと好きってほんと?」 「は?」
何故紀田くんがそれを知っている。その設定を知っている。私が話した彼女達がバラしたのか、と一瞬考えたが、そんなはずはない。彼女らはこの人とは何の関わりもないはずだ。それならば何故。
「いや、なんかさ、うちのクラスの男子がきみがそう言ってるのを聞いたって」 「…」
ちょっと待って。誰だ男子!まず女の子の恋話を聞くなよ男子!そんで本人に伝えるなよ!最終紀田くんも本人に聞くなよ!いろいろな突っ込みが心の中で飛び回ったが、結局口には出さずに苦笑いに変えて紀田くんを見た。 誤魔化しようもないし、これはもう正直に言うしかあるまい。ごめんなさいお名前借りてたんです、って。かなり酷い子だと思われそうだけど仕方ないよね。それは事実なんだし、このまま誤解させているともっと面倒くさい展開になるだろうから。
「紀田くん…あのね、」
私は大まかに、紀田くんの名前をお借りしたこと、友人にバラしたくないから、迷惑はかけないから黙っていてほしいことなどを話した。さすがに片想い相手に紀田くんを選んだ理由は言えなかったけれど。 話を聞き終えた紀田くんは特に怒るでもなしに「何だ」と笑っていた。
「残念」
…うわ、残念とか言ってますよこの人。そんな恥ずかしい台詞よく言えるな。だけど勝手にお名前を借りたのは許してくれるみたいで、やっぱり優しいんだなとは思った。
「じゃあ俺は、本当に好きになって貰えるように頑張ればいいってことな」 「何でそうなるの…」 「だってきみのこと気になったから」
紀田くんが笑う。何故かその顔を見ると恥ずかしくなって、紀田くんから目を逸らしてしまった。何これ、なんだこれ。顔が熱くなる。これじゃあまるで、恋する乙女みたいじゃないか。紀田くんに打ち明けて、もうその設定は剥がれてしまったのに。
「じゃ、明日から覚悟してってコトで!」 「え、えと?!」
恥ずかしい。うまく話せない。笑顔で手を振った紀田くんがやけに光って見える。何これ、なんだこれ。謎だ。わからない。これだから紀田くんには近づきたくなかったのだ。 ふわふわゆらゆら、頭の中で揺れる。今までに紀田くんにはまってきた女の子たちもみんな、こんな感覚を味わったんだろうか。
20120204
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
戻る |