「寒い」
今週に入って、いきなり寒くなった。気温は前日比マイナス5度。一気に冬に逆戻りである。 せっかく出した春服を着る機会はまだまだ訪れないようだ。スウェードのブーツの踵を鳴らし、私は久我山ショッピングモールから伸びる坂道をのんびりと歩きながらため息をつく。
早く、ピンクや黄色の似合う季節にならないものかしら。周りの人並みは皆黒にグレー、カーキに白。たまに赤、なども見えるけれど、大半がモノトーンカラーだ。それはそれでかわいいけれど、あんまり長い間見ているとそろそろ飽きてくるのだ。いい加減に衣更えがしたい。
雑誌によると、この春はキャンディカラーが流行るらしい。目に眩しいショックピンクにレモンイエロー、ターコイズ・ブルーにミント。この町もカラフルに彩られることだろう。それを楽しみに歩を進める。
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坂を登りきり、ふう、と一息ぶんだけ立ち止まった頃だろうか。視線の先に、モノトーンの人影が映った。
その人物は細い身体に黒いTシャツとジーンズ、アウターにグレーのパーカとカーキのコートを合わせ、首には赤のマフラーを巻いていた。大衆の色合いを一人で再現し、大して寒がりもせずに歩いてくる。
「秋」
気付けば名前を呼んでいた。 秋は私の声を聞くと少し考えるそぶりを見せ(多分間違いなく名前を思い出そうとしているのだ)、手をぽんと打って人差し指をこちらに向けた。
「なまえ、だ」 「アタリ」
にやっと笑った彼につられて笑いそうになるが、私が最後に彼と会ったのはわずか一週間前だ。それで忘れるというのはあんまりではないか。 いや、仕方ないか。秋だから。
「あ、なにそれ。レモネード?」
その、美少女と見紛うような少年が持っていたのはごくごくありふれた黄色地に赤い文字のペットボトル。彼の美貌には少々不釣り合いな不格好なプラスチックだった。秋は意地悪く答えた。
「"なにそれ"と言いながら正体は分かっている。僕は何を答えたらいいの?」
――――嫌なやつ! そのあたりは会話ということで、少しくらい話を合わせてくれたっていいじゃないか。揚げ足取りめ。思いつつ訂正する。
「・・・じゃあ、質問を"そのレモネードどうしたの"に変えるわ」 「買った」 「あぁ、そう。"どこで"?」 「公園の傍の自販。カイロ替わりに買ったのに、もう冷えて役立たずだ」
言いながら小さいサイズのペットボトルを振ってみせた。中の黄色の液体がゆらゆら揺れて気泡を作っている。
「それ、暖かくなきゃおいしくないんじゃない?」 「そうだね。じゃあはい、ホワイトデーのプレゼントあげる」 「・・・ね、今あなた自分で何て言ったか覚えてる?」
私に差し出される問題の"カイロとしては役立たず"のレモネード。暖かくなきゃおいしくない、と言っているのに、わざわざ渡してくるとはどういうことなのか。
「生憎記憶力は悪いもので」
秋はわざとらしくそう言って笑うと、私の手にペットボトルをねじ込んだ。彼の言った通り、冷たい。どうせならもっと身体の温まるようなものがよかったのに。
「冷えてるし」 「さすが役立たずのカイロ」 「秋のせいでしょ!」
手の平のレモネードを片手に持ち直す。 当然、冷え切ったレモネードじゃ身体は温まらなくて、私はヤツのマフラーを奪い取ってやった。
20110314
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