短編 | ナノ

 
 
 好きだよ、なんて言える距離ではない。ましてや果てない未来の約束だなんて、そんなことできやしない。だって僕らはまだ子供で、"好き"の言葉さえようやく知ったばかりなのだ。仲間内で好きな子の話題は出たりするけれど、ままごとの延長みたいなもの。ただ騒いでみたいだけ。冷めてるなんて言われる僕には魅力すら感じなかった。

まだ親がいなくちゃ何もできないガキだからって、そのことに苛立って、妙に回りに尖んがってみたりして。


 「―――ヒビキくん?」

だからだろうか、素直になんかなれなくて、そのせいで好きな子にも好きだと言えないのかもしれなかった。


 「ね、どうしたの?ぼんやりして」


 自室の床であぐらをかいて、ぼーっとする僕が珍しかったのか、部屋の入り口でなまえが声をかけてきた。どうやら勝手に上がってきたらしい。いつもなら下にいる母さんは、確かコトネの母さんと出かけたはずだ。くそ、玄関に鍵をかけていなかったのが災いしたか。それでも、勝手に入る方が悪いのには違いない。僕は冷えた視線を意識して彼女の方を一瞥した。
勝手に入るな、といつも言っているのに、彼女はまだ幼い頃からの癖が抜けないらしい。

そりゃあ確かに小さな頃はコトネと三人、それぞれの家を行き来し合って人の家を我が物顔で使っていた。プライバシーなどあって無いようなものだったと思う。
しかし、今は違うだろう。僕にはなまえやコトネに言わないような秘密が沢山あるし、部屋を二人に見せたいとは思わない。二人の秘密や部屋を見たいとも、思わない。三人で遊ぶのだって恥ずかしいし、イヤだ。そこの所を考えてもらわないと困る。


 「・・・ほっといてくれる?」
 「どうして?」


 コトネはまだ許せるのだ。最近になってプライバシーにあまり干渉してこなくなったし、僕に対してもある程度の距離を取って接してくれるから。問題はなまえ。僕はこんなに迷惑しているのに、どうしてなまえは何食わぬ顔で訪れることができるのか。不公平じゃないか。ああ苛立つ。ムカつく。


 「勝手に入るな、って言ってるじゃん」
 「聞かないもん!それに、昔はヒビキくんだって私の家に来てたじゃない」

ふんだ、と腰に手を当てて薄い胸を張る。華奢な身体にピッタリの細身のTシャツが、のけ反ったせいで非常に目に悪い。咄嗟に視線を落とした。


 「年齢考えろって言ってるんだよ。10歳にもなって女と遊ぶなんてカッコ悪いじゃないか。はっきり言って迷惑だよ」

勢いに任せて相当早口で言ったが、なまえには聞こえたらしい。それまでの強気はどこへやら、みるみるうちに眦を下げて瞳を潤ませ、まるで力が抜けたかのように床へぺたんと座り込んだ。声の調子も一変する。


 「なんで・・・ヒビキくん、私のこと嫌いなの・・・?」

そんな瞳にも、顔にも、言葉にも、声にも、髪の一本にさえイラついた。小さい時にはこんな風に思ったことなどなかったはずなのに、なまえという女の子自体に苛立ちを覚える。彼女を嫌いではないはずなのに。


 「ごめんね、これから来ないから、・・・っ」


泣きそうな顔のまま、彼女はそう言って身を翻す。部屋の外へと離れていくその手を、僕は思わず掴んでいた。涙でいっぱいの瞳を見開いて、彼女が振り返る。あと僅かにでも衝撃を与えてやれば、すぐにこぼれ落ちるだろう涙。それを見て、掴んだ握力が少し増す。

 「・・・ヒビキ、くん?」
 「・・・」
 「な、に?」

なまえが不安そうに僕を呼ぶけれど、口は上手く動かない。手ばかりが彼女を逃すまいと必死に握りしめて、まるでゼロ歳児の感情表現だ。子供っぽい。馬鹿みたいだと、自分でも分かってる。どうしてこうなるんだ。嫌いじゃないと、そう言えない僕に苛立った。好きと言えない僕が嫌いになりそう。

これでは駄目だ。なまえの一挙一動が気に入らないと思いながら、自分も自分で気に入らないなんてそんなの、ガキみたいじゃないか。そんな自分は我慢ならない。なんとかしなければ。




 「僕、もうすぐ旅に出る」



 しばらくの無言の後に、ようやく動いた口からこぼれたのは、否定の言葉ではなかった。


 「え・・・?」

彼女の潤った瞳から雫が一粒流れ落ちて、Tシャツを濡らす。


 「それって、もう、会えないってこと・・・?嫌いだから、さよならなの・・・?」
 「っ、違う!」

つい、握りしめた腕を引っ張ってしまった。引かれるなまえが顔を少し歪ませたので、慌てて手の力を緩める。
なまえは逃げ出したりしなかった。ただ相変わらず瞳に涙をいっぱい溜めて、僕の目を見つめた。


 「僕はまだ、・・・ガキだから」
 「?ヒビキくん、大人っぽいってよく言われるよ?」
 「でも、ガキだ」

たった二文字の言葉さえ、口にするのもできないほど。


 「だから、旅から帰って、一人じゃ何もできないガキじゃなくなったら、」


なまえは僕を見ている。僕は思い切って息を吸う。


 「――――そしたら、僕と結婚してください」
 「え?」

 間抜けな声と一緒に、また涙が一粒落ちた。瞳はもう涙を溜めていなくて、最後の涙だった。あとは台風の去った空のように晴れ渡っていくだけ。

彼女は僕の言葉を噛み締めるように何度も頷き、やがて明るくなった表情で右手を差し出した。


 「うん、約束!」


突き出された小指に自分のそれを絡み合わせ、好きの代わりに言った言葉を針千本に誓う。
苛立ちは何故か、跡形もなく消え去っていた。




マージナル・マンの一代決心



20110605 プロポーズの日

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