短編 | ナノ

 
 
 もしもし、と、彼の少し掠れた声が紡ぐのが好き。私の電話に出て、滅多に口を開かない彼が久方ぶりに喉を使っているのだとわかるから。甘くて優しいその一言を聞いた私は「レッド、」と彼の名前を呼んで、他愛のないおしゃべりしかしないのだけれど、それでもちゃんと成立する会話を楽しむのだ。

電話のかけ方がよく解らないという彼はけして自分からかけてくれることはない。しかし私との電話を彼の方から「もう切ろう」と言い出すこともない。
彼のポケギアには私とグリーンの番号しか入っていないし、グリーンには用件のみですぐ切るらしいから、レッドとポケギアで会話できるのは私だけ。こんな幸せなことってない。彼とのポケギアでの会話は私の特権なのだ。


 だからグリーンが「お前、それでいいのかよ」と言えばいいと答えるし、ヒビキくんが「嫌だと思わないんですか」と尋ねれば勿論だと胸を張る。シロガネ山を下りてくれだなんて、そんなこと言わない。

彼があそこにいたいと思うなら、止める気はないのだ。例え、ある時レッドに会うためにシロガネ山に入り浸って風邪を引き、一週間寝込んでついにはグリーンにシロガネ山禁止令が出されてしまったとしても。
グリーンが代わりにと彼と私にくれたポケギアで電話できるし、会いたいと言えば来てくれるし。不満なんてあるはずもない。私は幸せな人間です。もったいないくらい恵まれています。



 ―――だけど、こんな夜には少し悲しくなる。
こんな、と言っても特に嫌なことがあったわけではなく、普通のありふれた夜なのだけど、ある瞬間、何故か急にあの黒曜石の瞳が恋しくなるのだ。「もしもし」じゃなくて、「ただいま」が聞きたくなってしまうのだ。

ベッドに座って、傍らでボールと戯れる相棒の背中を撫でて、願望はつい口からこぼれ落ちた。


 「・・・ね、ピカチュウ。会いたいね」
 「ビカ?」

相棒のピカチュウは誰に?とでも言うように首を傾げてみせる。私はそれには答えず、ピカチュウを撫でながら一人ごちた。


 「電話・・・ううん、でもやっぱり、あー、でも、」

確かに電話をすれば早いのだけど、今は彼の「もしもし」を聞きたくない、なんて。そんなのはわがままかな。

ピカチュウは電話という単語に反応して、背中を撫でる私の手をすり抜けてバックの元へ行くと、ポケギアを持って戻って来た。こちらへ差し出し、偉いだろう、と胸を張った。黒くて綺麗な丸い目に、ありがとう、と言ってそれを受け取る。少し操作して電話帳のページを開き、じっと画面を見つめていると少し目が乾いた。

ピカチュウが掛けないの?という視線を向けてくるが、私の指はレッドの番号に合わせたカーソルを押すことができない。やっぱり、「もしもし」を聞きたくないから。電話しないと会話すらできない、離れた距離を思い知らされるから。なんだ、私って案外、不満だらけだったのね。


 「ピカ?」
 「うん・・・そうだね、でもやっぱり会いたい」


 そうだ。例えば、私が今から彼に電話を掛けるとして。レッドが出ないうちに切ってしまえば、彼は気にしてくれるのかしら。心配になって、会いに来てくれたり、しないかな。

電話の掛け方を知らない彼に期待してもいいだろうか。淡い少女漫画のような展開をを胸に抱く。
未だに事態が飲み込めていないらしいピカチュウを片手で抱き寄せて、私は決定ボタンをゆっくりと押した。



試すようなワンコール



title:確かに恋だった
20110702

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