短編 | ナノ

 
 
 夜の街は苦手だ。私のような冴えない女子なんかが1人で歩くには不安すぎる街。昼間は明るく栄えるヒワダの街も、ビルの窓から漏れる明かりが怪しく光る夜遅くでは不気味な印象ばかりが先に立つ。

私は小さく息を吐いて、こんな時間まで頑張るビジネスマンたちがいるのであろうビルを見上げた。はあ、と吐き出された息が白く煙る季節はもう過ぎ去ってしまったが、それでも夜は少し冷える。自動販売機で何か温かい飲み物でも買いたいところであるが、生憎目の前のビルからいつ待ち人が出てくるかも分からないから買いに行けないのだ。というかそもそも、自販機はどこにあっただろう。確か噴水のあたりだった気がする。きょろきょろ見回してみたが、当然ながら目につく範囲にはなかった。


それにしてもあいつは、彼女を待たせて何をやっているのだ。ただただ待つのに疲れを感じ始めれば自然と思考は待ち人である彼のことに移行していった。しかし何をしているか、というのは慣用句的な意味であって、実質的には彼が今何をしているのかは知っている。彼は私に待つよう言った時用事の内容も言っていたから。そう、「アーティさんと仕事の話」だ。閉まってしまった店のショーウィンドウを眺めて寂しくなる。イッシュ地方最年少チャンピオンさんはさすがチャンピオンなだけあってなかなか大変みたいだ。

そういえば、彼は年齢の割に随分と大人びている。実際の歳は私と同じはずなのに、ふとした瞬間の顔がまるで20年も生きた大人のようなのだ。やはりチャンピオンなどという重たい役職が彼をそうさせるのだろうか。私にはよく分からないけれど。



「オマタセ」

そんなことを考えていたら後ろから、未だ声変わりを迎えていない少年の声がして私はそっと振り向く。もちろんそこに立っているのは私がずっと待っていた人物で、無意識のうちに安堵のため息が漏れたりして。
こんな時間までこんなところにいてはいけないような年齢のくせに、夜景を背にした彼はやたらと慣れた感じがして何とも言えない違和感があった。きっとそれだけ大人に交じって夜の街を歩いてきたんだろうな。


「…待ったよ、トウヤ」
「だから言ったじゃん、オマタセって」
「文脈読んでよ。文句言ってんの」

もう、遅いよー、とかわいこぶって唇を尖らせて睨みつけて見せたが、彼から返ってきたのは「キモイ」の一言だけだった。ノリの悪いやつである。
とりあえずは気を取り直して彼の隣に並ぶことにする。


「アーティさん元気だった?」
「あの人はいつも元気だろ」
「あぁ、まあそうだね」
「出してくれたはちみつ入りの紅茶がおいしかった」
「え、ずるいトウヤばっかり。罰として私にあったかい飲み物でも奢ってよ」
「却下」


そんなどうでもいい会話をしながらも歩き出した私たち。どちらからともなく手を絡めて夜のヒワダのまちを進んだ。夜風にさらされていた私の手はやはり冷たかったようで、トウヤが「うわっ」と小さく声をあげたのが面白くて、つい笑ってしまう。


「なに笑ってんの」
「別にー。…はあ、ヒワダは寒いねー」
「ヒワダで寒いとか言ってたらシッポウはどうすんだよ」
「知らないよ、行ったことないもん」


閉まったアイスクリーム屋さんの横を通り過ぎ、ビルの立ち並ぶ通りを抜ける。揃いも揃って煌々と明かりの灯されたビル。その前を手をつないで通り抜ける子どもふたりは、酷く目立っていることだろう。普通はこんな時間に子どもは外を歩いたりしないのだ。私だって多分、トウヤが行くと言わなければ来てはいなかっただろうし。先ほども言ったが、夜の街は苦手なのだ。ただし、彼がいる時を除いて。



「…連れてってあげる、いつか」

ふいにぽそりと、彼が口を開いた。それはともすると聞き逃してしまうくらいに小さな声であったが、すぐ隣を歩いていた私の耳には語尾まできちんと聞くことが出来た。


「連れて行くって、どこに?」
「シッポウ」

 前を向いたままこちらへは目もくれずにトウヤが言った。私はその答えに目を軽く見開き、次いで再び笑いが込み上げてくる。
ああ、もう、この人は。


「シッポウかあ。寒いからいいや」
「わがままめ」
「知らないよ」

本当のことなのに、とくすくす笑っていたら、トウヤは空いている方の手で私の頭を軽くチョップした。もちろん彼も本気ではないし、そこまで痛くはなかったのだが、ノリで痛がってみせておく。トウヤは慣れたものでそんな私をちらりと一瞥してから再度目を逸らして前を向いてしまった。


「トウヤ」
「なに」

相変わらず前を向いたままの彼の顔を見上げて、私は微笑む。


「私ね、トウヤがいてくれたらそれでいいや」

 特別なことなんか何もなくたって、どこへも行けなくたって、トウヤがいてくれたらそれで。だから忙しいチャンピオンさんはそれ以上忙しくならなくていいよ。無理してまで私を喜ばせようとしなくていい。ただいてくれるだけで幸せなんだから。それだけで苦手なはずの夜の街すら素敵な場所に変わるのだから。



「…恥ずかしいやつ」

すこし照れたように私の頭を撫でるトウヤがとても愛しく思えて、ほら、私はこんなに幸せなんです。



20120428

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

戻る