短編 | ナノ

 
 
※年齢操作
マサキが電器屋で働いてる設定



 長年連れ添った相棒、もといパソコンがとうとうご臨終しなさった。3日前のことだった。

今考えてみれば、確かにこの間から調子が悪いなあとは思っていたのだ。しかし使えるうちはまあ大丈夫だろうと特に何の対処をするでもなく普通に使い続けていた。そして3日前、いつものようにそれを起動させようとした私はその判断を後悔する。広がる真っ暗な画面、電源ボタンを押してもウンともスンとも言わない本体。もう手遅れなのだと悟らざるをえなかった。

 デジタル社会のこのご時世、パソコンがないといろいろと不便である。いや、不便なんてものではない。なんたって仕事でも趣味でも使うものだ。早急に修理するなり新しいものを買うなりせねばなるまい。
この場合、壊れたパソコンは年代物であったし、修理するより新しいものを買った方が手っ取り早いと思う。幸いにもデータはほぼ全て手元にあるのだ。この間ふと思い立ってバックアップを取った自分を全力で褒めてやりたい次第である。


 そんなわけで私は今日、自宅から少し離れたところにある大手家電量販店に偵察に来ていた。パソコンなしの生活の不便さを考えると今すぐにでも購入したいのだが、値段が値段だけにいきなりは買えない。どんなパソコンにするかなど細かいことはまだ決めていないし、おおよその金額なんかもチェックしておきたいところ。正式に買うのは少し先だと思うけれども、とりあえず見るだけ見ておけば迷わずにすむだろうと気楽に構えてやって来たのだ。
しかし、そんな私の楽観的な考えは電器店に付くと同時に打ち砕かれた。なんとここで既に第一の関門が待ち受けていたのである。


「え、種類多…」


 そう、私はパソコンという機械を舐めていたのだ。違うところなどせいぜいメーカーくらいだと、そう思っていたのだ。売り場に並ぶパソコンたちはメーカー違いで何種類も、しかも同じメーカーでも高いものから安いものまで雑多だ。私の目には外見以外全部同じに見えるのに。
私が前回パソコン売り場に入ったのは壊れた前のパソコンを買った時。つまりかなり前である。当然今のパソコンの性能の良し悪しなんか知るはずもない。これは困った。


「え、4スレッドって何…宇宙語?」

コアやらCPUやら何やら、値札に書かれた商品説明を前に呆然とする。ちょっとお店の人、これ何も説明できてないよ、何も伝わってこないよ。宇宙語で書かれても困るよ私日本人なのに。

そんなわけで意味も分からないままパソコン売り場でうろうろしていたら、客の気配を察知したのか販売員が1人近寄って来た。販売員独特の愛想笑いを振り撒いて、値札を前にうんうん唸る私の顔を覗き込む。

「パソコンをお探しですか?」


深い水色の髪をした男だ。ゆるく細められたトパーズ色の瞳。胸のあたりにぶら下がるネームプレートの名前は狩屋となっている。彼は営業用と思われる人当たりのよい笑みの裏で、全身から買わせようオーラを漂わせていて……しまった、厄介なのに捕まった。こんな様子じゃあなかなか放してくれなさそうだな。今日は下見だけなのに。
しかし、私がパソコンを探しているのは紛れもない事実である。それも切実に。そして種類が多すぎて見当すら付けられないのもまた事実。自分でどうにもできない問題であるなら、ここはひとつ素直にプロの意見を聞いておくべきだろう。買わせようオーラなんて今は問題ではない、要はお金を払わなければいいのである。そう開き直って口を開くことにする。


「えっと、壊れちゃったから新しいのを…」

でもよく分かんなくって。ずらりと並んだ展示品を見て首を捻った。先ほども言ったが、正直私には外見と、それから値段以外に違いが分からないのだ。一体どの程度のものを買えば日常生活で不便のない程度に使えるのか、見当も付かない。
「わかりました」と、対する彼は手慣れたもので、笑顔のままスッと棚の前を移動していく。

「仕事・趣味の使用ですね?でしたらこちらの商品がおすすめです」


 彼はとある商品を指して言った、から、どれどれと値札を見て思わずこの言葉。

「…高っ」

指されたパソコンは壊れた前のパソコンより僅かに大きく、記憶に残る値段よりも遥かに高い。何がそこまでの差を生み出すのかがさっぱり分からなかった。
素直にそう言えば彼は例の営業用パーフェクトスマイルで嬉々として説明を始める。笑顔のまま喋るなんて器用なやつだ。しかしそんな笑顔で接されるのもなんだか不気味。こんな接客態度で、本当にきちんとノルマ達成できているのか不安なところである。


「それはこちらのモデルが4スレッドだからです。こちら、この画面のここに枠が4つありますよね?作業を4人で分担してるってことなんです」

ほら、例えばこちらのものですと枠が2つでしょう。つまり2人ぶんしか同時に作業できないんです。同じ作業をするとして、2人と4人だと4人の方が効率がいいのは分かりますよね?お値段が張るのはこれがあるからなんです。4人で作業するので、同時に複数の機能を使ってもフリーズしにくいんですよ。
彼の説明はやたらと丁寧で、機械のことなんかサッパリの私にも分かりやすい。…あまりに丁寧過ぎて、何だかバカにされている気がしなくもないが。


「それに、あまり安いものはブルーレイに対応していませんからね。別にプレイヤーを買うと結構しますし、トータルで言うとお得ですよ」

確かに今時ブルーレイの時代だし、実を言うと私の部屋にはブルーレイを見る機器がない。彼の言う通り、パソコンに付いていた方が安いのも事実だろう。ううん、じゃあ他の店を回って他にいいのがなかったらこれにしようかな…。即決はさすがにできないし。


「お支払いは一括にするとポイントが多めに貯まって…」

 あれ?でもなんかこれ今日買う雰囲気になってないか?
薦められたパソコンを見る。良心的な値段なのは十分に分かったが、それでも少し予算オーバーだ。他の店に行けばもっと安いものもあるかもしれないし、そもそも今日は買うつもりで来ていないからお金なんか持っていない。

「ちょっ、待っ、わ、私まだ買うって決めてない…」

誤解を解くべく口を開くが、彼の笑顔はひるんだりしないのだ。逃してなるものかとばかりに一気に畳み掛けてくる。

「こちらの商品ですとwebカメラも基本ソフトも付いてきますよ。画面も大きめでテレビとしても使えますし」

うっ。

「展示品ですので初期設定をお客様の方でする必要がなく、お客様のように機器類に弱い方でもすぐに使えますよ」

ううっ。

「それにこれ、この展示品一品限りの値段ですし。次にここまで安くなるのは次のモデルが出てからなので数ヶ月は先になると思います」

うううっ!

 相手はさすが営業のプロ、あの手この手で買わせようとしてくる。悪い部分なんか言わないし、機械に疎い素人客に反論なんか出来るはずもない。なるほど、先ほどの評価は取り消そう。彼は間違いなく毎月ノルマをクリアしていることだろう、と。確かに、目が合った瞬間から嫌な予感はしていたのだ。それでもストレートで完敗だけは避けたくて口を開く。


「……で、でも私今日は見るだけのつもりで、もう少し周りと相談したり…考えたいなっていうか…」

しかし、何度も言うが彼はプロだ。素人客のせめてもの言い逃れになんか動じたりしない。そのくらいは予想の範疇だったのだろう。

「ああ、それでしたら」


にこりと余裕ありげに微笑んでみせるその目は、完全にあれだ、獲物を狙う狩人の目だ。さすがは狩屋なんて名前を背負っているだけあって、かなりの凄腕ハンターなご様子。もちろんこの場合の獲物(カモ)は私である。


「今日とりあえず5000円ほどお預けいただければ、取り置きも可能ですよ」
「え、と…」

ほら5000円ぐらいなら持ってんだろ出せと、細められた目が言っている。ちょっと、いやかなり怖い。ここまで怖いと恐喝だ。悪徳商法だって消費者センターに相談するぞ。
そんなにお金持ってない、と言いたいところだが、生憎このあと出かける用事がある為お財布の中は結構潤っている。

「…」
「…」

沈黙の睨み合い。彼の猫みたいな瞳が私を捕らえ、猫に狙われるネズミの気持ちを味わった。窮鼠猫に噛みつく、なんてことわざがあるけれど、この猫は私ごときが噛み付いたところで逃がしてはくれないだろう。いや、まず噛み付かせてくれるかさえ怪しいところだ。噛み付こうとして動き出した瞬間丸飲みされそう。なにそれ怖い。


「…じゃあ、…お願い、します……」

 結果的に、負けてしまったのは私だった。どうしようもない敗北感が声に滲む。
見事客をゲットした彼は上機嫌で値札に取り置きの札を付け、「ではカウンターまで」と笑顔を向ける。ああもう清々しい笑顔だなちくしょう!


「こちらです」
「……」
「書類をご用意しますので少々お待ちくださいね」

ボールペン片手に言い、書類の空欄を埋めていく。彼のあまり上手くはないその字を眺めつつ、私はため息だ。ううん、やっぱりどう考えても痛い買い物だったなあ。来月はつつましやかに生活しなくては。交際費とか削って頑張ろう。

「ため息すごいですね」

ため息をつかせた張本人が笑顔で話しかけてきた。書類は書き上がったようで、今度は電器屋の名前が入った封筒にそれらを突っ込んでいる。白々しく「何か?」と尋ねるけど、どう考えても彼自身のせいだ。分かって聞いてるでしょう。


「…もういいデスー。今日デートなんで、彼氏にご飯奢らせますー」
「そうですかー」

彼氏に、を強調して再びため息をつけば、途端に彼は今までの上機嫌が嘘のように不機嫌になった。何でだ。いやいやアナタ、私はあなたの営業ノルマに貢献してあげた救世主ですよ。もっと神のごとく崇めてくれてもいいんじゃないの。ねえちょっと。

「5000円ちょうどお預かりします」

苛立ちを隠そうともしない彼は私の手からお金をむしり取る。パソコンを買うまでは客なんだからもっと丁寧に扱っていただきたいものだが。今からでも解約するぞ。クーリングオフ制度利用するぞ。本当にする度胸はないけどさ。
そんな思い虚しく彼はいろいろと書類の入った袋を荒々しく押し付け、「引き取りの際にお持ちください」と言った。そして私の耳元で苦々しく一言。

「ふざけるなよ、オレは絶対奢らないから」


…あんまりである。
それを聞いた私は先ほど心の中で考えた様々なことを口に出してやろうかと思ったが、今日のこれからの予定に差し障りがありそうだったので止めた。何しろこいつの機嫌を悪くして、後から被害を被るのは他でもない私だ。今夜のデートのお相手は目の前のこの男なのだから。
仕方ないからその代わりに小声でケチを付けてやった。

「い、今のでお金なくなったもん」
「嘘言え。今財布に結構入ってるの見えたんだけど」
「…」

効果はない。目ざとすぎるだろ販売員。今は一応客なんだから財布の中とか勝手に見ないでよちょっと。

「じゃあまた後で、なまえ」

ありがとうございましたーと相変わらずの営業用スマイルで見送られ、私は電器屋を後にした。

…マサキのいる電器屋なんかに来たのが間違いだった。どうせ説得されてあのパソコン買わされることになるんだろう。なんだか悔しいから、パソコンはお届けサービスを断ってマサキに運ばせようかな。あと今日も、ご飯がダメならアイス奢らせる。絶対奢らせる。うん、それでいこう、そうしよう。今度は絶対、負けないんだから。



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企画:「お仕事しましょ?」様に提出。ありがとうございました。


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