短編 | ナノ

 
 
 無防備な背中に狙いを定めて、後ろからぎゅっと抱き付いた。すると彼は「えっ」と間抜けな声を漏らして肩越しに私を見下ろしてみせる。そうやって戸惑うのがおもしろくて、彼のお腹に回した腕に力を入れたのだ。

「…なまえ、どうしたの?」

少し困った彼の声が頭上から降ってくる。そんな困った中にも僅かな照れとか優しさは滲んでいるから、別に嫌がっているわけではないのだろう。きっとたぶん、自惚れてるわけじゃないよ。その証拠にほら、私がワイシャツの背中に頬をすりつけても何も言わない。お出かけ帰りでまだお化粧を落としていないから、そんなことしたらファンデーションがついちゃうのにね。

「何かあった?」
「んー…」

 優しい優しい、労るような声の響きが耳に心地いい。その真綿のような優しさに甘えて私は、頬だけで飽きたらずアイメイクまでつけっぱなしの顔全部をぐいぐいとシャツに押し付けた。まるで小さな子どもが母親にすがるようにしてしがみつくのだ。振り向いた体制のままそれを見下ろす彼は、お腹に回る私の腕をゆっくり撫でて19歳の男とは思えないほど透き通ったその声でやわらかく尋ねる。


「…もしかして、疲れてる?」

何でこの人は何も聞かなくても分かるんだろう。エスパー?私の頬から移ったベージュに染まるシャツを眺めながらぽそりと口を開く。

「フゥ太」
「なに?」
「……」


 呼ぶだけ呼んで、そこから先は何も言わなかった。分かりやすい甘え方と分かりにくい甘やかし方。したいことは好きなようにできるけど、して欲しいことなんて気恥ずかしくて言えないのだ。
でもさすが、エスパーな彼はそれだけで察してくれたみたい。抱き付いていた腕がそっと解かされ、正面からじっと見つめられる。自分からねだったくせにどうしようもなく恥ずかしくなった私はいたたまれなく目を閉じた。もっとも、私が目を閉じたからと言って彼からは丸見えなのだから意味はないのだけど。


「好きだよ」

いとおしい彼の言葉と同時に、暖かな感触が唇に落ちる。それだけであんなに重たかった不安とか疲れとかがひとつ残らず全部吹っ飛んじゃう私はどうしようもなく、この人を好きなんだろうな。今度は私の背中に彼の手が回るのを感じながら、さっきと反対だなんて頭の中で笑んでみた。


20120325

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

戻る