イトマル | ナノ







 「臨時休業?」

 驚きの声を上げた私に向かい、リョウくんは「うん」と笑いながら大きなバッグを肩に掛け直した。
時は午後1時、例によって昼食後にリーグを訪れた私に向かって放たれた一言であった。


 「シロナさんが今日からホウエンに二日間出張になって、急だけど四天王全員お休みになったんだ」
 「出張……そうなんだ」
 「うん。だからボクもソノオに帰ろうと思ってさ」

リョウくんがソノオに帰って来る。つまりそれは、わざわざリーグまで来なくても会えるということで。好きな時に会えると、そのことが嬉しくてついつい口元が緩んでしまう。

 「…嬉しい!」
 「久しぶりだよね。ボクも嬉しい」


***



 せっかくソノオに帰って来たのだからと、今日の特訓は花畑で行うことにした。ソノオは綺麗なまちだ。とりわけ北にあるソノオの花畑は辺り一面の色とりどりの花が美しい、シンオウの中でもかなり有名な観光名所である。

そんな美しく咲き乱れる花の中、ボールからイトマルを出す。ゲットしてから、初めての屋外だ。イトマルは嬉しいのか、しきりに花の香りをかいだり、揺れる花を見て全身で楽しんでいた。眺めているだけで微笑ましい光景だ、と思わず頬が緩む。とうとう6日目だし、もしかして私もイトマルに慣れてしまったのかもしれない。初めは下心しかなかった動機も、いつの間にか変わってきたように思えるのだ。それはきっと成長、というもの……だったら、嬉しいな。


 「楽しそうだね」
 「そうだね。イトマルはこんなにいっぱいの花畑見るの初めてだからかな」
 「イトマルもだけど、ナマエ……っと、」

私の言葉に対して何かを言いかけたリョウくんの服のポケットの中で、ピピピと音が鳴った。取り出してみればそれは彼のポケナビ。

 「あ、ゴヨウから連絡だ」

ちょっとごめんね、と言い残してリョウくんは電話に出る。相手はゴヨウさん…四天王の1人のようだ。


 「もしもし?どうしたの?……うん、うん、ああ、それならボクが持ってるよ…うん、そう」

仕事の話なのだろう。話しながら家の方へと歩いて行く。去る時に私をチラッと窺ったが、行ってきてと手を振ったら笑顔で返してくれた。


 「…リョウくん行っちゃったからお話してようか、イトマル」

イトマルの前に腰を下ろして言う。彼は見ていただけなのだから別に今まで通り好きなことをしていれば良いのだけど、何となくそういう気分だったのだ。イトマルと私とは言葉を交わすことが出来ないから本当に"気分"だけだけど。


 「あ、そうだ!」

ふと思い付いたので、ポケットに入れていたあるものを取り出してみる。鮮やかな色合いのポフィンケースだ。中には以前作ったのポフィンがいくつか入っている。イトマルは甘い味が好きそうだったから、甘いポフィンをあげたら喜ぶのではないかと思ったのだ。

 「甘いの、まだ残ってたかな…」

中を確認してみる。しぶいポフィンに苦いポフィン、なめらかポフィン、それから。

 「あった!」

その下にあるのは探していた甘いポフィン。レベルは18。ポフィンを作るのはあまり上手でないのだけれど、私なりに頑張ったものだ。喜んでくれるかわからないけれど、せっかくだからこれをあげよう。それはとても良いアイデアに思われた。しかし。


 「下から二番目の……あっ」

そのポフィンに指を掛けた時だった。しっかり持っていたはずのポフィンケースが手の中でバランスを崩して溢れ、そのまま為す術もなく重力に従い落下する。
焦った私は咄嗟に手を伸ばしたが、それよりも若干早くに伸びたものがあった。…イトマルだ。イトマルの、吐く糸がポフィンケースを受け止め、そっと地面に下ろしたのだ。

私のポフィンケースの鮮やかな赤が糸の薄い白を重ねて淡くなる。その景色に、重なるものがあった。


 「……っ!」


 いつの間にかイトマルの背景にあった花たちは消え失せ、代わりに真っ白な粘着性のある糸で出来た巣が合成された。花畑だったそこは一瞬で鬱蒼とした森の奥に変わる。イトマルだったものは、赤い身体に黄色と紫の脚を持つ巨体に変わって、そして。


 「―――っやめて、来ないで!」


 あろうことか、私はイトマルに一番向けてはならない感情を、拒絶の態度を投げつけてしまったのだ。怒鳴った後すぐにハッとしてイトマルを見れば、そこにいるのはあの日のアリアドスではない、ちいさな愛らしいイトマルの姿で。その姿を認めた瞬間、自分の中に生まれるどろどろとした罪悪感を感じた。
怒鳴り付けられたイトマルは一瞬だけ動きを止め、すぐに悲しそうにしゅんとする。私はもうそれが見ていられなくて、いたたまれなくて、何も言わずにモンスターボールをイトマルに向けた。


 「…も、やだ……」

調子に乗りすぎてしまったのだ。イトマルは何も悪くない。リョウくんが帰って来て、イトマルとも少しずつ仲良くなれて、怖いものなしな気持ちになっていた。実際はこんなに、そのまま、だったのに。


 「リョウくん…」


私、変われないのかな。

また彼を頼りにしてしまいそうになる私が堪らなくいやで、私はイトマルを戻したボールをカバンにそっとしまって泣きそうになった。




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