赤子の手を捻る

ごぽり、と口の中に血液が溢れる。気持ち悪くて吐けば、そのどす黒い色に今度は反吐が出そうになった。

「なんで殴るんですか」

きっと睨み付けてみたが、その人の表情は変わらない。その様子から、世間では冷血だとか言われているらしい。まさか表情筋と引き換えにその力を手に入れた訳ではあるまい。

「ほう、覚えはありませんか」

その声のトーンも、普段となんら変わりない。鬼女一人殴っておいて、それはないだろう。未だ痛む腹を抑えつつ、その辺にあった木の棒を支えに立ち上がる。

「ありませんよ。はあ、赤ちゃん産めなくなったらどうしてくれるんですか」

もし今ので子宮が損傷していれば、さすがに上司でも訴えさせてもらう。烏天狗警察に言えば、事件に飢えている彼らの事だから、すぐに動いてくれるだろう。閻魔大王第一補佐官の傷害事件なんて、週刊誌どころか新聞にも出る。
口の端の血を着物の袖で拭い、再び睨みつける。すると今度は、どこか居心地悪そうにぽつりと零した。

「あんな男の赤子を宿す子宮なんて、むしろ無い方が良い」

そのギラリと光る目は真剣さを物語っていて、恐ろしくなった。この男は、いったい何を言っているのだ。
襲い来る寒気に身を震わせ、逃れようとするかのように後ずさる。しかし彼も狙いを定めた鷹のように鋭い目で、開いた距離を縮める。

「赤子が産めなくとも、私が居ればいいでしょう?」

落ちていた石に躓いて、後ろ向きに地面に倒れこむ。殴られたばかりの腹の痛みに加え、腰の痛みにまで苛まれる。
立ち上がろうと木の棒を探せば、その手を踏まれ思わず呻いた。見上げれば相変わらず表情の変わらない鬼灯様が居て、なんだか悔しくて唇を噛んだ。同時に、徐々に力の篭る足に一抹の不安と恐怖が過る。

「何をお話しになっているのか、私にはわかりかねますわ、鬼灯様」

勇気を振り絞って精一杯の虚勢をはる。言いなりになるのは、趣味じゃない。
次の瞬間、その圧力に耐えきれなくなったのか、踏まれた手がばきりと音を立てて崩れた。感じたことのない痛みに悲鳴をあげる。生理的な涙が頬を伝い、屈辱で顔を背ければ、髪を掴まれ無理やり前を向かされた。

「わからないなら、わからせるまでです」

ぶつり、と唇に牙が立てられる。抵抗虚しく割り込んできた舌は口内を犯し、だらだらと唇から流れる血を舐めとった。
気持ち悪い。胃からせり上がるものを抑えきれず吐き出す。
次は何をされるのかと身構えていれば、ふいに、まるで恋人にするかのように抱きしめられた。無事な方の手で突っ張ってみてもびくともせず、ただ優しく頭を撫でられた。

「なんでこんな事するんですか」

自分の声が妙に掠れていて驚いた。
ささやかな抵抗を、と握った拳を肩に当ててみる。勿論彼の体になんの被害も与えられず、その拳すら愛おしむように撫でられた。

「覚えは、ありませんか」

胸に顔を押し付けられて、表情は見えなかったが、その声がなんだか泣き出す前の子供の様で心臓が縮こまった。

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