つとめする身とお庭の灯篭
「あー、こんにちは、白澤さま」
扉を開けて出てきた白澤さまの頬には、綺麗なもみじが散っていた。先ほど女性が出て行くのが見えたが、つまりはそういうことだろう。何と声をかけてよいかわからず、取り敢えず挨拶をすれば、昨日と変わらない柔らかな笑みで返された。
「こんにちは、雲雀ちゃん。中入ってよ」
ここで何か言うのも野暮だろう、とぺこりと頭を下げて足を踏み出した。薬の匂いが鼻をつくが、別段嫌いでもない。それよりも、テレビの前にわらわらと集ってアニメを見ている兎達が気になった。
「あの兎達は従業員だよ、修行中の薬剤師。外にいるのも同じだよ」
じっと見ていたのがバレたのか、くすくすと笑いながら説明してくれた。まさか従業員だったとは。天国らしさの演出かと思った。しかし、確か兎と薬は縁が深かったっけと納得した。いつかモフらせてもらおう、と思いながら視線を外し、白澤さまに向き直る。奥から何やら書類を持ってきたらしい。その手に持った紙をヒラヒラさせている。履歴書らしいそれをボールペンと一緒に手渡して、名前と住所と連絡先だけ書いてくれるかと頼まれた。現世とよく似たそれに、少し緊張してしまう。
「今日は説明だけにするから、あんまり固くならないでよ。とりあえず、雲雀ちゃんには事務仕事をやってもらおうと思ってるんだよね。もし時間が空いたら、仙桃の収穫と手入れもしてくれたら嬉しいな」
「仙桃ですか?」
「うん、来る時に仙桃農園があったでしょ?」
仙桃といえば、中国の仙女西王母の蟠桃園と呼ばれる果樹園にあるとされる不老長寿の実ではなかったろうか。そういえば、その蟠桃園は桃源郷とも呼ばれていたのだっけ。
「はい、とても綺麗でした」
「ね、ここら一帯はあの世絶景百選の一つだからね」
やはり、桃源郷は天国の中でも特に美しい場所なのか。いや、今はそれは置いておいて、だ。私の生まれは都会とは言えないにしろ田舎ではなく、ガーデニングの趣味も無い。植物の知識は人並みで、ましてや天国の果物など扱ったことはない。
「あの、白澤さま、私にできる事ならなんでもしますけど、大丈夫でしょうか? 申し訳ないのですが、桃の栽培と収穫の経験はございません」
「ああ、心配しないでよ。そんなに難しい事じゃないし、時間が空いたらでいいんだ、メインは事務だしね」
にこにこと笑いながら説明する白澤さまに、内心ホッとする。私の植物を育てるスキルは、小学校でやらされる朝顔レベルだ。きっと色々と知識が要るのだろう、失敗したらと思うと少々荷が重い。
アニメが終わったのか、兎達は積み上げていた段ボールから降り散り散りになった。仕事を始めるのだろうか。一所懸命に動く姿は愛らしかった。
「書類は全部ここに纏まってるよ、わからなかったら僕に聞いてね」
「わかりました」
さらりと見た所、顧客情報はかなりきちんと纏まっている。特に女性のものには力が入っているように見える。それに比べ、薬品やその材料についての書類、領収書や請求書の類の処理は割と適当だ。わかりやすい人だなあ、と一つ息をはいた。
「あっ、白澤さま、服を貸していただきありがとうございました。お返ししますね」
洗濯機は今日の夕方届くので、早起きして手洗いした。男性の服を手で洗うのは初めてで少し緊張したが、別にヘマはしていないだろう。
「はい、ありがとう。そうだ、雲雀ちゃん、薬膳食べてく? お昼まで時間あるから、この辺案内するよ」
「お誘いありがとうございます。残念ですが、もうすぐ家具が届くので帰らせていただきますね」
そう言うと、残念そうな顔をしていたが、納得してくれた。まずはさっさと部屋を片付けてしまわねばならない。白澤さまは、手伝おうかと言ってくださったけれど、さすがに申し訳なくて断った。
「しばらくは大変だよね。そうだなぁ、来週からは来れそう?」
「はい、十分です。ありがとうございます」
店を出れば、当たり一面桃の香りが立ち込める。良い職場だ、と思う。綺麗な場所だし、可愛い兎もいる。何より、お客さんに男性が多くないのが良い。元々男の人は得意な方でもなかったが、あの事があってからは、どうも怯えてしまう。それがわかっているのか、白澤さまも、必要以上に近づいてきたりはしないでいてくれる。
やっぱり、ツイてるなあ、と思いながら、慣れない袴を揺らしながら、軽い足取りで帰路についた。
晩にゃ誰が来てとぼすやら
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