三千世界の鴉を殺し

 整理させてほしい。
 私はいつも通り、駅から家に向かって歩いていた。いや、いつもの時間より少し遅かったかもしれない。辺りは暗く、無意識に早足になっていた。大きな公園にさしかかり、私はぴたりと足を止めた。この公園を突っ切って行けば近道だ、しかし先日不審者が出たという噂を聞いた。それによると、どうやら通り魔らしい。女性が襲われ、なんとか逃げおおせたが、未だ犯人は捕まっていないという。公衆トイレだけがやけに明るく、どこか不気味な公園に背を向け再び足を動かし始める。遠回りでも、安全な道の方が良いに決まっている。怖い事になる前に早く帰ろう。
 しかし、ちょうど公園の横を過ぎて少し明るい道に出ようとしたその時、後ろから腕をぐいと引っ張られ、何もわからない内に倒れこんだ。強かに腰を打ち付け、驚いて目を見開く。どうやら公園内の茂みに引っ張り込まれたらしい。そして今私の前でナイフをギラつかせているのは、きっと噂の通り魔だろう。何やらブツブツと呟いていて不気味だ。深くフードを被っていて顔は見えないが、低い声とがっしりとした体格を見るに男だろう。対する私は、恐怖で足が竦んで動けない。困った、あいにく防犯ブザーは持っていないし、大きな声も出せそうにない。死にかけの金魚の様にぱくぱくと開いたり閉じたりするだけで、私の口からは何の音も出てこなかった。
 ぬるり、と気持ちの悪い感触が腹の辺りを貫く。痛い、と感じる前にそれは抜かれ、再び別の場所に突き立てられた。
 自分の耳に届く、このぐちゃりという音はなんだろうか。腸でも引き摺り出しているのだろうか、それとも骨から肉が剥がれ落ちる音か。こんな風に冷静にしているのは、私の頭の一部分だけで、実際は汚らしく涎を垂らし、空気の漏れる音に似た叫び声をあげている。ナイフで刺されるのがこんなにも苦しいものだとは。肉にみちみちと入り込む異物に、苦しい、と息を吐く。ずるりと引き抜かれる瞬間、解放感と共に熱さにも似た痛みが訪れる。その様子を見て楽しむかの様に、次の場所は何処にしようかと体の上にナイフを滑らせる。そのナイフが止まるのに怯えて、身を震わせれば、また楽しげに腕を振り上げる。もういっそ殺してほしいと思える程の苦痛に、意識が飛びそうになる。
 疲れきって、それこそ死体の様に動けずにいると、カチャカチャという金属同士がぶつかるような音が聞こえた。まさかと思いながら、目だけを動かしそちらを見ると、予想通り、ズボンを降ろした男がそこにいた。いくら涙で視界がぼやけているとはいえ、見間違うはずがない。屍姦、と言っていいのだろうか。いや、瀕死とはいえまだ生きているのだから、屍姦には含まれないのか。どちらにせよ悪趣味だ。
 のそり、と男が近づいてくる。そんな事をするのなら、正直さっさと殺してほしい。まるで地獄に居るのかと錯覚する程に体は悲鳴をあげ、おびただしい量の血を流したからか、頭も割れるように痛むのだ。それに助かったところで、この体じゃあ社会復帰は望み薄だ。これだけあちこち刺されたのでは、きっと神経やら何やらが傷ついているのだろう。私は医者ではないからわからないが、相当まずい事になっているという事くらいは常識でわかる。結婚して働かずに暮らせれば良いかもしれないが、こんな体ではきっと嫁の貰い手もないだろう。
そんな事を考えている内に、血に塗れボロボロになってしまった服はとうとう破り捨てられ、男のそれは私のそこにあてがわれる。
 こんなになっても、やはり行為に及ぶのだけは嫌なのか、私は無意識に最後の力を振り絞りなんとか逃れる事を試みた。しかし手が茂みに当たってがさりと音を立てたのみで、状況は全く変わらなかった。
なんてついてないんだろう、思えば昔からこういった目に遭うことは多かったような気がする。夜道で変な人に追いかけられた事もあるし、痴漢にあいそうになった事、誘拐されそうになった事、鉄パイプを持った男に襲い掛かられた事も、犯されそうになった事もある。だから男の人は苦手なのだ、今回なんてとうとう未遂では済まないではないか。
 家族の顔が浮かんでは消える。これが走馬灯というものか。私はきっとこれから死ぬのだろう。
 ああ、神様。私は何か悪い事をしましたでしょうか。こんなの、あんまりではないですか。薄れゆく意識の中で、私は男の叫び声を聞いた気がした。

主と朝寝がしてみたい


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