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「あの、また少しお聞きしても宜しいでしょうか」

 今度は先程よりもしっかりした声でほっとした。うるさい心臓を抑えつけて返答を待てば、ゆるい笑顔と共に返ってきた。

「うん、いいよ。電話番号でも何でも聞いてよ」

 最後のは冗談だろうか。すう、と軽く息を吸い込み質問を口に出す。

「私は、死んだのですか、白澤さま」

 それこそ冗談のような言葉だが、私はいたって真剣だった。少し驚いた様に切れ長の目を見開き、また驚いた様な声で彼は告げた。

「アレ、このタイミングで冗談?」

 一体どういう事だ、と無意識に眉間に皺を寄せる。それを見たのか、彼は慌てて言葉を続けた。

「だって、君、不死鳥だろ? 生きてる・死んでるって概念は……。ていうか、白澤って、お香ちゃんから聞いたんだね」

 この方は、何を言っているのだろうか。
 私の耳がおかしくなければ、不死鳥という単語が聞こえた。しかも、この私自身が不死鳥だと仰ったような気がする。あとさりげなく自分が白澤だという事も肯定していた。
 不死鳥とは、エジプトの霊鳥ベンヌ、または古代フェニキアの護国の鳥フェニキアクスが発祥であると言われる伝説上の鳥だ。ちなみに私は歴とした人間である。家族もごく普通の人間で、親戚に妖怪やら神獣がいるとかいう話は聞いた事がない。今まで人間として平凡に暮らしてきたし、何か支障をきたしたことも、違和感を感じた事さえない。変な力も無いし、誰かに「あんた不死鳥っぽい」などと言われたこともない。人でなしと呼ばれるような修羅場に陥った事もない、ごく普通の人間だ。

「そもそも、普通の人間だったらあんだけぶっさされて意識は保てないよ。ほら、傷ももう殆ど消えてるし?」

 ちら、と腕を見ると、あれだけ何度も刺されたのに、傷はほぼ残っていなかった。怖くなって自身の体を抱きしめる。おかしい、もう痛みは殆ど無い。なんなら今すぐにでも歩き出せそうだ。自然治癒力すげえ、というレベルではない。

「何ですかこれ……意味わからん……」

 やっと出てきた言葉はそれだけだった。私の今までの生活は何だったというのか。しかも不死鳥ってなんだ、今時中学生でもそんな設定使わないだろう。
ああでも言われてみれば心当たりが無くはない、どころか、有り過ぎるのが悲しい。傷が癒えるのは人一倍早かったし、一度トラックにぶつかった事があるが、歩いて家まで帰った気がする。他にも色々あるが、キリがないのでそこで考えるのをやめた。
まさか、本当なのだろうか。私が不死鳥だというのは。少なくとも、人間でないことはきっと確かなのだろう。むしろどうして今まで気付かなかったのか。
 手のひらで顔を覆う。いや、まさか、そう易易と納得できない。死んだから、魂だけになって、傷がなくっているのかもしれないじゃないか。

「そっか、本当に、わからないのか。まァ、急に言われてすぐ受け入れられないよね。証拠見たい?」

 その言葉に手を退け顔をあげる。証拠があるのか。

「見たい、です」

「じゃあ、涙を少しくれる? この容器に入れてよ」

 つい、と渡された小さな試験官のような容器を見つめる。そういえば、聞いた事がある。不死鳥の涙には癒しの力があり、さらにその血を飲めば不老不死の効果があるとか。
 急に泣けと言われても困るものだが、私も女だ。いざという時に泣けなくてどうする。昔から、涙は女の武器と言われているではないか。

「はい、どうぞ」

ぽたり、と頬を伝う涙を容器で受け止める。神妙な顔でそれを受け取った白澤さまは、徐に部屋から出ると、一匹の虫を連れて来た。

「薬の材料にしようと思って入荷させたんだよ。よく見ててね」

 白澤さまは、その虫の羽を、無残にもぶちりと毟り取った。気持ち悪くなり、そっと口元を押さえる。苦しげにばたばたと動く虫が昨晩の自分と重なって逃げたくなった。
 ぽたり、と容器に入っていた液体がその虫の患部に落ちる。苦しげだった虫は段々と大人しくなり、穴が開いて妙な緑っぽい液体が出ていたそこは、完全に塞がってしまった。よく見ると、ゆっくりだが、徐々に羽が再生しているのがわかる。
 これは、納得せざるを得なくなってしまた。常識では到底有り得ない、それこそ理解不能な光景を前に、受け入れられない、受け入れたくないという気持ちがぐるぐると頭の中を巡る。何これ、信じられない、と私の唇は否定の言葉を紡ぐ。種も仕掛けもないよ、と困ったように白澤さまは笑った。なんとなく居心地が悪くて目線を下に落とすと、机に乗った果物ナイフが目に入り、咄嗟にそれを掴んだ。驚いた顔で制止しようとする白澤さまを無視して自身の首に突き立てる。奥まで差し込んで引き抜けば、血が吹き出して目の前が真っ赤になった。衝撃と痛み、ぐわんと鳴る頭を押さえる。真っ赤に染まるシーツに申し訳なくなった。しかし、なるほど、頭を押さえる手をそっと首に当ててみれば、既に傷は治りかかっていた。
私は死なない、いや、死ねないのかもしれない。
 ぼんやりする視界の曇りを晴らそうとするかのように瞬きをすれば、何とも言えない顔をした白澤さまが目に入った。大丈夫だと口にしようとしたが、さすがに体が疲弊しているのか、声を出すことも動くことも叶わなかった。ゆっくりとその手が近づいてきて、そっと私の頭を撫でた。そして白澤さまは持ってきてくれていたタオルで私の首回りを拭いてくれた。一瞬何をされるのだろうか、と逃げたくなった自分に気付いて自己嫌悪に陥りそうになる。
 一度目を瞑ってみる。思考をやめて息を吸い込む。覚悟を決めてしまった方が良いに決まっているのだ。不死鳥かどうかは知らないが、私は普通の人間ではない。

「白澤さま、私は死んだのですね」

 働きたがらない頭を無理に使って、はっきりと告げた。白澤さまはきょとんとした顔でこちらを見ている。

「いや、だからね」

「人間の私は、昨日の晩に死んだのです」

 そうだ、私は死んだのだ。
 もうあの場所には戻れない。自身が非人間であると証明されたのだ、人間と一緒に居るべきではないだろう。大切な人程、ずっと離れた所に置いておいた方がいい。傷つけるのも、傷つくのもできれば避けたい。きっと私は昨日の事件で死んだ事になるだろうし、急に居なくなっても特に不都合なことはない。私の言葉を聞いて、白澤さまは成る程という様に頷いていた。
 少し気になる事があり、白澤さまの瞳を見れば、促すように首を傾げられた。

「でも、どうして私が不死鳥だとお思いになるのですか?」

 私でさえ知らない事を、どうして知っているのだろう。中国では妖怪の長と言われているらしいし、なにか見抜く術でもあるのだろうか。白澤さまは、へらり、と笑いながら答えた。

「どんなに上手でも、隠しきれないもんだよ。化けるのが専門の妖怪ならまだしもね。あ、信じてないでしょ、じゃあ見せたげる」

 白澤さまはそれだけ言うと部屋を出て、なにやら妙な道具を持ってきて並べ始めた。蝋燭やら、妙な円やら、それはまさに魔術といった風貌だ。怖くなって話し掛けようとしたけれど、証拠見たさに飲み込んでしまった。なにをするつもりなのか、大きく深呼吸をすると、普通はしないような動きで足を動かして、なにやら小さく唱え始めた。途端、体が急に燃えるように熱くなり、目の前が真っ赤に染まった。それはまるで炎のようで、何故か懐かしさを覚えて妙な心地がした。

「もう大丈夫、目を開けて」

いつのまにか目を瞑っていたらしい、恐る恐る目を開ける。おかしい、私はこんなに背が低かったっけ?

「うーん、随分小さくなったね。大丈夫? 」

 いったい何が起きたのか尋ねようとしたけれど、聞こえるのは澄んだ鳥の鳴き声だけだった。驚いて口元を抑えようとしてはたと気付く、これは口ではなくて嘴だ。手も翼に変わっている。どうやら私は、体長10センチ程の小さな赤色の鳥になってしまったらしい。驚きのあまり、目眩がしそうになった。いったい何が起こったのだ、今の魔術のようなもので私の身になにかが起きたのだろうか。パニックになり騒ぐ私に、白澤さまは穏やかな声で何度も話しかけ、落ち着かせようと試みていた。混乱で目を回しつつも、なんとかその声に耳を傾ける。

「落ち着いた? それが君の本来の姿だよ。僕は君にかかってたその姿に戻れなくなる呪いを解いただけ。人間の姿にはいつでもなれるから安心して」

 そう言って、白澤さまは人間の姿をとる方法を説明し始めた。難解な言葉のはずなのに、理解できてしまう自分に違和感を覚えたが、今はどうでもいい。とにかく人間の姿にならなければ不便極まりない。
 さっそく教えてもらったばかりの術を試せば、不思議なことに、私の翼は手に変わっていた。硬い嘴も柔らかい唇へと変わり、安心してベッドに沈み込んだ。

「どう? さすがにこれで自分が不死鳥だって信じたでしょ?」

 どこか不安げに笑う白澤さまを見ると、何も言えなくなってしまった。この際恩人であることも偉い妖怪であることも関係ない、文句の一つでも言ってやろう、と思っていたのに。別に怒っているわけではないけれど、事前にきちんと話してほしかった。本当に焦ったし、驚いたのだから。ただでさえ色々なことが重なって気分が悪いのに、なんだかそれも吹き飛んでしまった。

「でも驚いたな、まさかこんなに小さいなんてね」

 私だって驚いた。目を瞑って開けたらさっきまで見下ろしていた物全てを見上げていたのだから。確かに私が読んだことのある文献には明確な大きさは書かれていなかったけれど、まさか不死鳥がこんなに小さいとは思わないだろう。
 ふっと息を吐き、幾分か落ち着いた頭で考える。不死鳥は、鳳凰と混同されることが多いが、中国の霊鳥である彼らとは別物である。そこで生まれるのが、どうして私が日本に居たのかという疑問だ。鳳凰ならばさほど違和感はないが、不死鳥となると、エジプトやフェニキアなどと遠いところからわざわざ来たということになる。証明されたはいいが、結果として自身の出生の謎が深まってしまった。それに白澤さまは、私に本来の姿をとれないようにする呪いが掛かっていたと言っていたが、それは何を意味しているのだろうか。いつ、何処で、誰に掛けられたかがわかれば、もしかしたら、自身の出生の謎が解けるかもしれない。
 黙りこんで考えていると、白澤さまの咳ばらいが聞こえはっとした。彼は心配そうな顔でこちらを見ていた。

「ところで、雲雀ちゃんは現世で暮らしていたんだよね。じゃあ、こっちのことはあんまり知らないの?」

 はて、雲雀ちゃんとは誰の事だろうか、と目を瞬かせる。不思議そうな顔をした白澤さまと目が合い、首を傾げた。

「気に入らなかった? 新しい名前が要るかと思ったんだけどな」

 名前、と聞いてふと考える。確かに、人間として暮らしていた頃の名前を使うのは気が進まない。色々と都合が悪そうだし、なんだか思い出して辛くなりそうだ。

「いえ、ありがとうございます」

 そう答えると、柔らかな笑みを返してくださった。なんだかんだで優しい人なんだな、と思い、無意識にこちらも笑顔になった。これからは、雲雀として生きよう。そう思いながら、布団をぎゅっと握りしめた。

夢と知ったら泣かぬのに


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