20

 自室の鏡を覗き込み、自分の瞳を穴のあくほど見つめる。恐らく変わっていない、見えなくなる以前のままだ。レギュラスは閉心術が得意なようで何もわからないけれど、大きな感情の波が流れてくるのを感じるのはどうしようもない事実だった。目が見えなくなった時に治っていたら、いやもういっそ見えないままでも、なんて考えてしまう。小さく溜め息を吐いて、部屋を出る。レギュラスに話しておかなければならない、私は生まれついての病気なのだと。
 私の目は、人とは少し違う。見た目にはなんら変わりはないが、実際にこの目を通して見る世界は普通よりも複雑だ。簡単に言えば、私の目は私の意思とは関係なく、目の合った対象に開心術を行うのだ。お癒者さんが言うには、魔力の流れや回路が通常とは異なっているのが原因らしいけれど、私には難しくてよくわからない。
 うだうだと考えながら歩いている内に、レギュラスのいる書斎の前まで来てしまった。話す覚悟なんてまだできていない。拒絶されてしまったらと思うと手が震える。それでも黙っている訳にはいかない、病院にもまた通わねばならないだろうし。意を決して、ノックしようと握りこぶしを振り上げた瞬間に、入りなさいと中から声が聞こえて拍子抜けしてしまった。そっとドアを開けて中を窺えば、なにやら難しい顔で紙に羽ペンを走らせるレギュラスが居た。

「どうしたの、入っておいで」

 羽ペンを置いて、少し疲れたような笑顔でこちらを見遣る彼に、少し申し訳なくなってしまう。今話しても良いのだろうか。私の目が治るまで仕事を休んでいたから、その分働かなければならないことは知っている。私には何も言わないけれど、きっととても忙しいのだろう。

「ちょうど終わったところだから、気にすることはない」

 そう言いながら席を立って机の上を軽く片付ける。そして彼が緩やかに杖を振れば、紅茶の入ったカップと、上品な皿に盛られたスコーンが現れた。香ばしい匂いが鼻をくすぐる。諦めて適当な椅子を見つけて、机の近くに座った。

「あのね、レギュラス。私、話しておかないといけないことがあるんだ」

 軽く深呼吸をして言い切ってしまう。緊張でじんわりと手に汗が滲む。別に、病気だからといって私を放り出すような人ではないとわかっている。それでも何故だか鼓動は速まり、口の中はカラカラになった。

「私の目、病気なんだ。昔からずっと聖マンゴに通ってるけど、治るかどうかわからないって」

 前例がなく治療法がわからない、とお癒者さんが眉間に皺を寄せて言っていたのを覚えている。お父さんも同じ様な顔で、強く拳を握っていた。
 ちらりとレギュラスの顔を窺えば、どこか申し訳なさそうにこちらを見ていて、背筋が寒くなった。やはり、病気持ちの子供は迷惑だったろうか。私の考えが伝わったのか、レギュラスは慌てたように口を開いた。

「すまない、ポラリス。君の病気の事は知っていたんだ」

 驚きで、ひゅう、と口の端から息が漏れた。その様子をどうとらえたのか、彼の眉は下がって、益々申し訳なさげな表情になった。それにしても、病気であるとは話した覚えがないし、どうして知っているのだろう。人の目を見ると開心術のようなものが発動することは、あの花畑で会った時に知ったとしても、病気だとは言っていないはずだ。不思議に思っていると、レギュラスは少し罰が悪そうに説明してくれた。

「君が失明した時、まさか私が何もしなかったと思っているのか? すぐに聖マンゴの癒師に相談した、その時に君の担当癒に色々聞いたよ。勝手に聞いて、その上黙っていてすまなかった」

 まるで叱られた子犬のようにしょんぼりと俯く姿を見ながら、私の身体は血の気が失せて冷え切っていた。どうして黙っていたのだろう、どうして謝るのだろうか。何か言いにくい事でもあったのか、気持ち悪いと思ったからか。何を言えば良いのかと考えている内に、目の前がちかちかと光り、やがて暗闇に消えた。

 オレンジ色に染まった小さな砂場で、夕暮れの空とは対象的に私は顔を真っ青にしていた。

「ポラリスちゃん、きもちわるい」

 なんで、どうして、と言おうとしたけれど、喉が渇いて声が出ない。持っていたスコップを取り落とし、ただひたすらに小さな唇を見つめていた。

「だって、いってないこともしってるんだもん。先生も、ぶきみだっていってたよ」

 背中を汗が伝う感覚が気持ち悪い。頭に流れ込んでくるものは全て私にとって都合の悪いもので、吐き気がした。そんな風に思ってたんだ、見えていたから薄々気付いていたけれど、こんな風に剥き出しにされると頭が痛くなる。
 私は何も言えず、その場から逃げ出した。誰もいない所へ行きたくて、広場の隅っこの影へと小さな足で必死になって走った。

「ポラリス、どうしたの? 幼稚園で何かあった?」

 迎えに来たお母さんが心配そうに私の顔を覗き込んだ。無意識に目を逸らしてしまう、これ以上見たくないのだ。気持ち悪い、なんて自分が1番よくわかっていた。少し前から突然、頭に色々な気持ちや言葉や場面が流れ込んでくるのだ。最初はほんの少しだから勘違いだと思った。けれど段々と回数が増えて、こわくて、誰にも言えなかった。どれが本当かわからない、どれを直接聞いたのかわからない、どれが自分の気持ちかわからない。普通にしているつもりでも変な事を言ってしまう。私はどうしてしまったの。

「やだ、もういきたくない」

 幼稚園なんて、行きたくない。心配して私に話しかけてくれるお母さんの目が見れない、こわい。怒られるかな、と思って俯けば、不意に柔らかな体温に包まれて驚いた。

「ほら、ぎゅーってして。たくさん泣いていいから、ね」

 ぼろぼろと溢れる涙は止まらない。屈んでくれているお母さんの胸に顔を押し付けて、思い切り泣いた。
 家に帰って、お母さんと一緒にお父さんの帰りを待った。お母さんはマグルだから、魔法についての相談はお父さんが必要だ。私は、真っ赤になった目を閉じてリビングのソファーに座っていた。がちゃ、とドアの開く音が聞こえる。いつもなら2人で玄関まで迎えに行くけれど、私は立ち上がる事ができなかった。

「ただいま、ポラリス、ターニャ」

 いつもと同じ優しい声に、少しだけ気持ちが落ち着いた。私が呼びかけたその声でなんとなく察したのか、お父さんは真剣な声で答えてくれた。安心して、何が起こったのか、拙い言葉で話す。隣に座るお母さんは、ずっと私の頭を撫でてくれていた。話し終えると、お父さんはなにやらぶつぶつと呟きながら、調べる為に書斎へ行くと言い部屋を出た。気持ち悪いと言われなかったことに安堵して息を吐く。お母さんお手製のビスケットを食べながら、お父さんが戻ってくるのを待った。ばたばたと足音を響かせて帰ってきたかと思うと、今すぐ病院へ行くから準備しろと言い放った。病院へ、ということは私は病気なのだろうか、私はおかしいのだろうか。ゆっくり閉じた目の先には暗闇ばかりが広がっているはずなのに、なぜか明滅を繰り返し、やがて真っ白に染まった。

 薄く、目を開ける。白い天井と閉め切られたカーテンが見える。どうやら私は自室のベッドで横になっているらしい。混乱する頭を抑えて首を動かせば、心配そうな顔のレギュラスがベッド脇に椅子を運んできたらしく腰かけているのが見えた。私が起きた事に気付いたのか、少し安堵したように眉間の皺を緩めた。

「大丈夫か? 酷くうなされていたが」

タオルで私の額を拭いながら、そう尋ねた。寝ている間に汗をかいたらしく、なんとなく気持ちが悪い。タオルを受け取って、首のあたりも軽く拭いた。
どうやら夢を見ていたらしい。どうせならもっと楽しい夢がよかった、せっかく両親が出てきたのに、まともに顔も見られなかった。レギュラスに聞いたところ、私は突然倒れたらしい。また迷惑を掛けてしまったな、とシーツの端を握りしめた。

「ごめんなさい。迷惑だし、気持ち悪いよね」

そう言うと、きょとんとした顔でこちらを見返すので、何も言えなくなってしまった。図星をつかれたというよりは、訳がわからないような、驚いたような顔だ。どうして、と問うより前に、レギュラスが口を開いた。

「迷惑ではないよ、心配ではあるけれど。気持ち悪いとも思わないし」

 真実を知るのが怖くて、俯いてしまう。もし目が合って私を否定する言葉が聞こえてきたら、きっともう二度と立ち直れないだろう。
 しばらくそうしていると、顎を掴まれ無理やりに上を向かされ、レギュラスの目が私の瞳を覗き込んだ。

「大事な話をする時は相手の目をみなさい。言いたいことがあるなら恐れず言葉にしなさい。それと、もしその目を気持ち悪いなんて言う奴がいるなら、すぐ私に言いなさい、二度と口がきけないようにしてやろう」

 曇りのない目でそれだけ告げると、顎を掴んでいた手を離し、私の頭を軽く撫でた。ああ、お父さんも同じ事を言っていたっけ。叱られているにも関わらず、ふっと笑いが漏れてしまった。
 この人は、嘘なんてついていない。迷惑だなんて考えていない、本当に私を大切に思ってくれている。でなければ本気で叱ったりしないはずだ。本気で叱るのはとてもしんどいのだと、何処かで聞いた事がある。
 何故かぐっと胸が締め付けられるような感覚がして、恐ろしくなった。嬉しいのか辛いのか、それとも両方だろうか。ぽろぽろと溢れる涙を、ベッド脇のタオルで拭う。レギュラスは余程驚いたのか、目をまん丸にしていて思わずまた吹き出した。それでも許してくれることを、私は知ってしまっていた。

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