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 血の、匂いがする。腕を伝う生温かい感覚は、自分のものではないだろう。
 あの日から随分と経った。今の暮らしは特に不自由なこともなく、彼と居るのはなんとなく落ち着いた。彼は、疑いたくなる程優しく、さらに何処か懐かしさすら感じられた。ただ、いつも頭の片隅には不安があった。こんなに幸せでいいのだろうか、と。私なんかがこんなに大切にされて、幸せで、いいのだろうか。何も無かったことにして、何も知らない振りをして、笑ってもいいのだろうか。ああ、でもきっと、誰が許そうとそのどれも私にはできないのだろう。
 ぼんやりと色の無い毎日を過ごし、なんだか疲れたなあと思い始めた頃に、夢を見た。あの日の、私が全てを失った日の。血塗れの母が横たわり、タバサが死に、父が死に、そして、どうなったんだっけ?

「ポラリス」

 腕を、何かが伝う。鉄の臭いが鼻につき、それが血だという事がわかった。あの日から忘れた事のない、独特の重い臭い。これは誰のものだろうか。私?いいえ、体のどこにも痛みはない。それならば、彼以外のものではあり得ない。

「や、だ、レギュラス、さ、血が」

 私が、傷つけた。きっと魔力が暴走したのだろう。そういえば、昔ペットが死んだ時も起こした事があったなあ。その時はお父さんが対処してくれたっけ。暴走が治まっても泣き止まない私を、お母さんが落ち着くまで傍にいて撫でてくれたんだ。けれどその二人はもういない。今回は彼が対処してくれたのだろう。そして私が彼の体のどこかを傷つけたのだ。

「ごめん、なさ、いや、止まらな、い」

 止まらない、止まらない。噎せ返る血の臭いの中で怖くなる。彼がこのまま死んでしまったらどうしよう。また失ってしまったらどうしよう。私のせいで誰かが死んでしまうのは、もう耐えられない。これ以上、失いたくない。こんな暗くて寂しい所に、ひとりぼっちは、嫌だ。

「いや、死んじゃやだ、置いてかないで」

 繋ぎとめようと手を伸ばせば、不意に、強く抱き締められた。その力は、死からは程遠く感じられて、少しだけ安心する。

「このくらいじゃ、死にませんよ。ポラリスを置いて行ったりしません」

 耳元で告げられたその言葉は微かに震えていたが、決して弱くはなかった。彼の腕の中にいると不思議な安心感があり、いつまでも包まれていたいと思ったが、柔らかく肩を押した。早く治療をしなければ。

「薬、塗らなきゃ」

 この部屋にはよく怪我をする私の為に、応急処置用の救急箱が置いてある。箱を開けて症状を言えば、自動で簡単な手当をしてくれる優れものだ。目の見えない私には、絆創膏を貼るのでさえ一苦労だからと、わざわざ用意してくれたもので、実際とても役に立っている。手探りでその箱を探し当てて彼に渡せば、少し掠れた声でお礼を言われた。ああ、もし目が見えたなら。彼に薬を塗ってあげられる、涙を拭ってあげられる。盲目じゃあ、できないことが多過ぎる。


「ポラリス、どうしたのですか」

 私の目からは、再び涙が溢れていた。きっと彼は、驚いた顔をしているのだろう。この目じゃ、わからないけれど。

「この目じゃ、迷惑をかけるばっかりで、レギュラスさんに、何もしてあげられないから」

 ぽん、と、頭に何かが乗ったのがわかる。その骨ばった感触に、どうやら撫でられているようだとわかる。どうして、と尋ねようとすれば、それより先に彼が声を発した。

「迷惑だと思った事も、何かしてもらおうと思った事もありませんよ」

 ふ、と、息の漏れる音がした。なんだろう、もしかして呆れられたのだろうか。なら、これから何を言われるのかと身構えた。

「ポラリス、私は君を家族だと思っています。迷惑だなんて、思うはずがない。心から、愛しています」

 その言葉の意味は、私にはわからなかった。

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