「好きだ。好きだ、永井……」 触れあう温度も、息遣いも、心地よい重みを備えた弾むような肉体も、今だけは自分の腕の中。いっそこのまま死んでもいいなんて女々しいことを思いながら力任せに抱き締め、思いの丈を単純な言葉に籠める。おずおずと抱き返してきた両手が、沖田の背をそっと撫でた。 「沖田さん、俺……あの、俺も……」 か細い囁きが、沖田の耳元に確かに響いた。 頭の中の、すごくすべすべして(略)な光輝く神様が『この状況で示される同調、それすなわち予兆、緊張は意味深長、どうぞ拝聴!』と、ファンキーに皿を回している。 その背後の電光掲示板には『キタ―――(・∀・)―――!!!!』の文字が流れ、派手な花火と紙吹雪が沖田を祝福していた。 時はきたれり、もろびとこぞりて万歳三唱! ……いや、しかし。 しかしである。 勝利を揺るがぬものとするために、この一年数ヶ月の想いを報いるために、耐えることも必要なのだ。 一瞬にして舞い戻ってきた賢者モードもとい冷静な判断力が、沖田の脳内のエレクトリカルパレードを停止させた。 「永井、俺と同じこと言おうとしてるんだとしたら……」 一呼吸、できるかぎり穏やかに問いかける。 「それは、俺と同じ気持ちなのか?」 「……わかりません。さっきまで……全然、考えたことなかったから」 「俺が上官だから、我慢して合わせてるんだったら、そんな気は遣わなくていいんだぞ」 「それは違います」 戸惑いながらも、きっぱりと否定してくれた永井に、目頭が熱くなる。 「全然いやじゃなかったですし……沖田さんが俺のこと、す、好きでこんな風になってるんだって思ったらすげえ嬉しくて……頭へんになりそうなくらい、気持ちよくなって……だから、俺……」 潤んだ眼差しが揺れ、ぎこちなく伏せられる。沖田のシャツを掴んだままの指に、僅かに力が籠められたのは気付かないふりをした。 むしろ自分が嬉しすぎて頭がおかしくなりそうな、いやもうとっくにおかしくなっているのがさらにどうにかなりそうなのだが、必死で堪える。 ついでに、永井の言葉に反応しかけている下半身のヒロシさんもダウン!そしてステイ! ここでスタンダップしたらもろもろ台無しだからね!!! ほらほら、供に向かって「永井ほんと可愛いよ俺もうあいついない生活考えらんねえわ、むしろ今までどうやって生きてきてたのか謎だわ」等と口走っている最中に三沢さんが後ろに立ってた時のことを思いだせ! あの時の三沢さんのゴキブリを見るような目と「俺にお前を島流しさせるなよ、沖田」軽蔑と呆れと脱力の凝縮された冷ややかな声を!! ……よし、萎えた。 10秒ほどの己との死闘を微塵も感じさせない、しごく真面目で誠実そうな表情のまま、沖田は軽く頷いた。 「永井が、そういう風に思ってくれるのはすごく嬉しいよ。でも、雰囲気に流されたわけでもなくて、気持ち良いのを錯覚したわけでもないって言い切れないなら……永井は、それを言ったら駄目だ」 ―― 嘘です駄目じゃないです言われたいです今すぐに。 心の叫びは、厳しい訓練で鍛え上げた鋼の意志で捩じ伏せる。 そうして、沖田は、指の背で永井の頬を掠めるように優しく撫でた。むにむにつついてやりたいのを我慢するぐらい、先刻のリビドーとの死合いに比べれば大したことはない。 「我慢でも勘違いでもなくて……永井が本当に俺を好きで、欲しいって思ってくれたなら、俺も遠慮はしないよ」 ぱちりと瞬いた永井の目を、しっかりと見つめて告げる。 「その時は、永井の全部をもらう」 セルフお預けが解かれたら、そこまでしないと気がすまないだろう。実際。 「どうするか、どうしたいか、答えが出たら教えてくれ。ゆっくりでいいから、永井の答えを出してほしい。……いいか?」 「……了」 神妙に頷いた永井の頭を撫でて、にこりと笑いかける。 「それじゃあ……後始末、しようか」 きょとんとする永井の、密着したままの下半身を軽く擦り合わせると、剥き出しのままだったと意識していなかったらしい永井はひどく狼狽し、口をぱくぱくと開閉した。 「ぅあ……ちょっと、笑わないでくださいよ、沖田さん……!」 照れ隠しに結構な力で鎖骨の下を殴られたが、あまり痛くなかったのは浮かれていたからだ、きっと。 身支度を終えて、汚れたバスタオルを畳んで床に落とす沖田に、「……用意、良かったですね」低く呟く永井の半目は、眠たげにしょぼついている。 「永井がしてくれるって思ったら興奮しすぎて汚しそうだったからさ。……ちょっと調子に乗りすぎたよな、ごめんな」 「ちっともやじゃなかったって、言ったじゃないですか……謝んなくていいです、から」 謝罪を却下しながら、恥ずかしげに布団に隠れてしまう永井がやっぱり可愛い。 沖田が隣に滑り込むと、壁際にくっつくように場所を空けてくれたが……先ほどまでの密着具合に比べると寂しい。 「永井。なんにもしないからさ、もう少しだけ……近くにいてくれるか」 きっともう真面目に考えはじめているんだろう、黙って頷いた永井を抱き寄せる。 しばらくもぞついて、顎の下に落ち着いたふわふわした髪に、可愛くて好きでたまらないんだと頬擦りをすると、永井は少し笑ってくれたようだった。 「沖田さん」 「ん」 永井の喋る呼気が、首もとをくすぐる。 「俺……ちゃんと考えて言いますから……」 それだけ言って、寝息を立てはじめた心地よい体温に眠気を誘われて、沖田も目を閉じた。 幸せなまどろみは、四時半過ぎに終了した。 「……痛って!?」 頭を襲った強烈な衝撃と打撃音は微妙に懐かしい感覚。 目を開けると、不機嫌そうな供が仁王立ちになっている。 「おはよー供くん……早すぎない?」 「起床ラッパまで永井にくっついてる気か、貴様は」 話し声に目を覚ました永井がぼんやりしていたのは僅か五秒。 「供二曹……おはようございます!」 沖田を押し退けて慌てて起き上がった素早さときたら、健康優良日本男児の名に恥じない寝起きの良さだ……ちょっと残念なことに。 「“話”は済んだんだろ? そろそろ部屋に戻れ」 「はいっ、失礼しましたっ」 未練もなにもなく、布団を抜け出して飛び出していきそうな背を呼び止める。 「永井」 身体ごと振り向いた可愛い後輩に、最上級の笑顔を向ける。 「答え、待ってるからな」 見る間に赤くなり、「り……了」いつもよりだいぶ抑えた返事をして、廊下を走って去っていく足音が扉の向こうに消えて十秒。 「ふ、ふふ……」 爽やかな笑みを不気味な含み笑いに変えて、沖田は拳を強く握った。 「見たか供くん。永井の初々しい恥じらいを……! 今まででいちばん確かな手応えを感じるよ!」 「お前の永井病はわかってるから、くねくねするな。気色悪い」 悦に入る沖田に絶対零度の声を浴びせ、供は皺ひとつない整然を保った自分のベッドに座り込み、深い溜息をついた。 「俺は一晩中、あいつらを励ましてたんだぞ……沖田は本当にいい男だし尊敬できる先輩なのに、なんでホモなんだ、どうして永井に目をつけたって泣かれてな……」 「わーい、慕われてるなあ俺ー」 「言ってろ」 億劫そうに手を振り、供は顔をあげ、窓を全開に開け放った。 「この部屋で何かするのは、これっきりにしろよ。臭う」 「あっ、永井エキスを追いだすなよ!」 晩秋の冷えた風が、行為の名残りを吹き散らしていく。 「本気で気持ち悪い、なにもかも気持ち悪いな沖田!」 「窓全開で二度も言わなくていいって。じゃあ、永井とうまく行ったらここ出てくから」 永井と一つ屋根の下で過ごせる時間が相対的に減るのは惜しいが、外泊とまではいかないまでも二人きりで食事したりいろいろしたりする機会が増える夢のおうち。 悪くない。 「本当だろうな……いや待て。うまくいったら、ってヤったんじゃないのか」 「いれてない」 事実を簡潔に告げると、供は顔を歪め、うわあ、と抑揚のない低声で呟いた。 「お前を尊敬すべきか軽蔑すべきか、判断に迷う」 「尊敬してくれよ。人生で一番辛い据え膳だったわ」 「自分で調理盛り付けした据え膳か」 「最後は永井も」 「言うな。言わなくていい。聞きたくない。……永井が正気になってお断り入れてきたらどうするんだ」 その可能性はもう無いものと決めてかかっていたが、完全にゼロではない。 沖田は数秒考え込み、がっくりとうなだれた。 それは、葬式と説教部屋が一度に来るようなものだ。幸せと期待に胸を膨らませたあとだけにいっそう辛い。 「……やけ酒、付き合ってくれ」 「いいけどな。……その機会はないだろ、どうせ」 「やっぱり? やっぱりそう思うよな!?」 「知るか。同意を求めるな。あと、永井を泣かせたら三沢三佐に言いつけるからな」 「やめてくれよ、本気で島流しにされるわ」 それも、口にするのも憚るような制裁を加えられた上で、だ。 青ざめた沖田に、供は呆れ顔で「せいぜい腹くくってろ」と眉を上げた。 「永井を巻き込む以上は、幸せにしてやるのがお前の義務だろ」 「むしろ権利を主張したい。永井を幸せにできる権…………生涯賃金積んで残りの人生乗っけても買うぞ、俺は」 「沖田の本気は気持ち悪いんだよ」 心底いやそうに顔を歪めて肩を震わせる供に、少しばかり反撃したくなる。 「んなこと言って、供だって一藤一佐を幸せにできる権利があったら買うだろ」 「イチさんは関係な……い、だろ」 怒鳴りかけてから、全開の窓を思い出して声を潜める供を応援したくなるのも、片想いいち抜けの余裕がなせる技。 「頑張れよ、フラれたらやけ酒おごるからさ」 「だから、イチさんとはそういうんじゃない……くそ、起床時間まで寝るから、もう黙ってろ」 赤面した顔を隠すように、広い肩をきゅっと縮めて布団に潜り込んでしまった供にならって、沖田も永井の匂いが残るベッドに沈む。 ―― 全身全霊で幸せにする権利、俺にくれよ、永井。 頭のなかの神様ではなく、永井に願う。 期待八割、不安二割の新しい日は、すぐそこまで来ていた。 さほど間をあけない後日。 安らぎのマイルームの扉を開けた供が目にしたのは、永井と額を寄せあって住宅情報誌を広げている沖田の姿。 部屋探しを始めた!と誇らしげに高らかに宣言してきた沖田に無言の蹴りを一発、邪魔しないからここで変なことするなよと念押しして永井を真っ赤にしたのは、長らく(一方的な)相談相手になってくれた供なりの祝福であると、沖田は解釈したのだった。 PREV |