【いつかの朝】

『元気ですか。
 父さんも、タローも、畑も、変わりはないでしょうか。
 家に帰る夢を見るたび、苦しくなります。もっと話したいことがありました、もっと聞きたいことがありました、どうしているか、考えなかった日はありません。
 きっと、俺は死んだりしていない、どこかで生きていると、信じてくれていると思います。
 あの島でなにがあったのか、俺には今でもわからない。
 これから先、帰れるかどうかもわかりません。
 だけど、俺は生きてます。最後まで諦めないで、生きていきます。
 心配かけてごめんなさい。
 俺は大丈夫です。
 お母さんも体に気をつけて、元気でいてください。
 
 ここにいるオキタさんは沖田さんじゃないけど、俺の大事なひとです。いつか、会わせたいです。』


 ……会えたら、どうするんだろう。
 自分で書いた内容に疑問が湧いて、苦笑する。いつの間にか目尻に浮いた涙を手の甲でぬぐい、永井はふうっと息を吐いた。
 お世辞にも上手くかけたとはいいがたい筆文字の、書きかけの手紙を振って乾かし、四つに折りたたむ。
 そして火鉢の灰を掻き分け、黒い炭のなかで赤く輝く熾火に封筒を近づけた。十分に火がついたところで、手を放す。オキタに貰った手習い用の紙を浪費することに罪悪感はあるが、この世界の文字ではないことばで書いたものを残しておくわけにもいかない。ただ一通、悪夢の島でもこの世界に堕ちてからも肌身離さず身につけていたために擦り切れ、汚れ、たとえ文字を知っていたところで永井の他には読み取ることは困難だろう手紙を覗いては。
―― どこにも、届くはずもない言葉だ。
 すっかり焼けた灰を火箸で突いていると、板戸が開き、家主が姿を現した。
 いつもの藍色の着流しの上に厚地の丹前を羽織り、寒そうに背を縮めていたが、永井を見つけると白い顔には優し気な笑みが浮かんだ。
「おはよう、ナガイ」
「おはようございます」
 白い素足が床板を踏みしめ、永井の隣に膝を崩した少々行儀悪い姿勢で腰を下ろす。剥き出しの足の甲に触れると氷のように冷たい――永井は眉を寄せ、薄青い血管の浮いた膚を擦った。
「家の中だからって、足袋履いてくださいよ。見てるほうが寒い」
「ナガイの手は熱くて気持ちいいなあ」
 かみ合わないことを言ってのほほんと笑う男の顔は、永井に心配されるのを楽しんでいる節がある。
―― 前は、逆だったのにな。
 永井が弱っていた時は、オキタは過剰なほどに世話を焼いてくれた。今は、自分自身のことに関しては案外おおざっぱなオキタの世話を永井が焼いている。
「わ」
 足袋を取ってきてやろうと立ち上がりかけた腕を引かれ、何を、と問う間もなく長い腕の中に抱き込まれる。最近ようやく体重が戻ってきた永井の体を苦もなく受け止めて、首筋に顔を埋めてくるオキタの頬は、足よりも暖かい。
「オキタさん、足袋とってきてあげますから、離してください」
 抱きついてくる腕を平手でたたくと、オキタは「うーん」と唸って永井の首筋に高い鼻先をこすりつけるようになついてきた。
「ナガイを抱っこしてるほうが温まるんだよな」
「俺はカイロじゃないっす」
「いいなあ、ナガイの懐炉。ナガイを懐に入れて歩きたい……」
「なに言ってんですか、もう」
 丹前の上からぺちぺちと叩いたところで、オキタに一向に堪える様子はない。永井も本気で抵抗はしていないのだから、当然だ。
 密着した背中がじわりと熱を持ち、永井はふと湧いた悪戯心のまま、自分の足袋を脱いでオキタの足の甲に裸足の足裏を乗せた。冷えた膚を、揉むように足指を動かす。
「あったかいですか?」
「くすぐったいな」
 笑い含みに答えたオキタの目が、火鉢に向かう。
「なにか燃やしたのか?」
「反故にした紙ですよ」
 炭を燃した灰と混ざり合ってすっかりわからなくなったと思っていたが、狩人であるオキタの目はなかなかに鋭い。嘘偽りのない事実だけを伝えてから、永井はオキタの胸に寄りかかり、頬を刷りよせた。
「オキタさん。俺の故郷の話、聞いてくれますか」
「……聞きたいな」
 少しの間をあけて、優しいいらえがあったことにほっとする。
 今まで意図的に避けてきた話題だ。オキタから水を向けられても、あまり詳しい話はしてこなかった。
 オキタと共にいるここが、自分の居場所だと思えるいまなら、わだかまりなく話せる気がした。


「いつか、ナガイを育てた人たちに会ってみたいな」
 穏やかな声音に、ただ頷く。
 そうできたら、どんなに良いだろう。
 自分はこの人と居て幸せだと、何の心配もないと、そう伝えられたら、どんなにか。
「俺も、会わせたいです。……ちょっとびっくりされるかもしれないけど。……一緒に生きていきたいって、ちゃんと紹介します」
「うん。楽しみだな」
 きっと叶わない夢だと、心のどこかではわかっている。それでも、諦めなくて良いのだとオキタは言ってくれる。
 だから好きなんだと言うのは照れ臭くて、温くなった膚をそっと撫でた。


<半端に終わる>

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オキタさんの懐炉は、ベンジンを入れてマッチやライターで着火する金属製タイプ。
懐に入れてあったまります。
アマゾンとかホームセンターとかで売ってるよ!

タロー=柴犬系雑種なイメージ。おじいちゃん犬。

2017/01/30 18:58
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