※ツイッターお題でいただきました!
時の狭間に遺棄され、うつつと幻の間を漂泊する島にも、四季は廻るらしい。 色づいた木々を揺らす風は冷たく、砂場に屈みこんでなにやら山を作っている幼子の曲線だけで構成された身体は寒そうに縮められている。 もっとも、闇人である三沢は寒暖の差に疎い。温もりを忘れた黒い血潮は、夏よりは動き辛さを感じる、という現象で冬の訪れを予感する。 そういえば、青い帯を巻いた同輩がぼやいていたのを思い出す。 ―― こう冷え込むと、身体が軋んでいけねえや。 当人いわく、かじかんで強張るのだという指をゆっくりと動かしながら、彼は目を眇めてつぶやいた。 ―― 俺たち、真冬になったら冬眠するのかもしれませんね。 それは、母胎と同一であった頃、彼女が避難場所として定めた冥府で眠っていたのと何が違うのだろう。いっそそのまま、あるかも判らぬ母胎の帰還を待つのも良いのではないか。 そんな三沢の考えを呼んだか、青を纏う彼は何時も嗤っているような顔をわずかに歪めた。 ―― 俺が眠っちまったら……頼人をお願いします。三沢さん、俺より動けるみたいだし。 頼人。 母胎を喪い、道標を失くした島に取り残されたのは、自分達だけではなかった。 まるでサイズのあわない赤いTシャツを被り、脱げた迷彩服の中で泣き疲れた様子で眠っていた幼子も、そうだ。 彼が誰であるのか、自分たちの殻はなんと呼んでいたかはすぐに想起されたが、目覚めた幼子の頑是ない、何も知らぬ様相を見れば、「かつて呼んでいた名前では呼ばない」というのは暗黙の了解となった。 敵ではない、と、認識するために。 深く傷付いた母胎がこの場を去る時に起きた時空の津波に呑まれ、体も心も、巻き戻ってしまったのだろうと……推測でしかないが、そういうものだと皆が納得している。 青の男、沖田はことのほかこの幼子を可愛がっていたが、夕暮れの残照すら痛くて堪えるのだといって隠れ家から出てこなかった。本当に、眠ってしまうのかもしれない。 ともあれ今日は、肌を隠していれば薄暮程度は耐えられる三沢が、幼子の面倒を見ている。 「頼人」 名を呼ばれ、くりくりと愛嬌たっぷりの目がこちらを向いた。 「トンネルはできたか」 「鉄道はね、山の上を通るんだよ」 「そうか」 トンネルではなく、登山鉄道を開通させるつもりらしい。頼人のかたわらには、塗装が剥げ、錆びの浮いた電車の玩具が転がっている。 「できたら、みさーさんも乗せてあげる」 「どこに行くんだ?」 「うーんとね……やまがた」 突拍子もない地名はどこから出てきたものか。 もともと夜見島があった場所からは、ずいぶんと遠い、と、殻の知識が頭の中で泡を吐く。 「みさーさん、やまがたに行ってたって、言ってた」 「……“俺”から聞いたか?」 巻き戻ったのは、身体と心。 頼人がこうなる前の、『彼』の記憶は、時折こうして顔を出す。そのわりに、闇人を恐れることもなければ、沖田や三沢に懐いてくるのだから、どこまではっきりした記憶なのかまるでわからない。 元々の『彼』なら、三沢に見張られて砂遊びなどしなかったとだけは、断言できる。 三沢の問いに、頼人は「んーん」と肯定とも否定ともつかぬ返事をした。 「おったさん、が、みさーさんにきいたって」 「ああ……」 たしかに、『三沢』は山形の駐屯地にいたことがある。雪の多い地域で育ち、競技スキーも得意だった三沢は、冬季訓練ではずいぶんと頼りにされた。 「いろんな場所に行ったんでしょ。どこが好きだった?」 「好きも嫌いもねえよ。仕事だ」 殻の記憶を呼び起こしたせいで、そんな答えが自然に口をついて出る。 「えぇー、そんなのつまんない」 むくれる頼人に「つまらなくもない。仕事ってのは、そういうもんだ」言い返すと、頼人はつんとした唇をとがらせて、むう、と唸った。 幹部は長くて三年、短くて二年未満で全国の駐屯地を転々とする。何処に行こうとも三沢は三沢でしかなく、目の前にある職務に生真面目に取り組んできた。 ……だが、最後に行き着いたのはここだ。 闇那其の眷属、人間風に表現するならば、母なる者に連なる存在とかかわりがあったらしいことは、漠然とした記憶の中で知った。 だからどうということはない。人間のほうが自分たちの後から地上に現れたのだ。先に在るものと関わり、その力の大きさに精神の平衡を欠いたとて、なんだというのか。地上を我が物顔でのし歩いていた以上、自業自得というものだ。 不要物である彼らは、地上を奪還するための足がかりとして利用する以外に価値などない。 ゆえに、頼人のような存在は手元に置いていても、無意味だ。 こんな弱い生き物は、殻としての役に立ちそうもない。 闇人としての三沢はそう思い、しかし、殻に染み着いた記憶は、それを否定する。 ―― 傍についていなければ、簡単に命を落としてしまいそうなほど、脆いのに。 風化し、崩れかけた建物が多いこの島に、頼人をひとり放り出すことなど、沖田でなくともできるものか。 手を砂まみれにした頼人が、くしゅん、と小さなくしゃみを立て続けに放った。いつのまにかすっかり日が落ち、灯りだした街灯の白い光が眩しく網膜を灼く。 鼻をすすりながら、砂山の天辺に乗せた玩具の具合をためつすがめつしている頼人のそばに歩み寄るごとに、布越しだというのに、街灯の光が不快なひりつきを与えてくる。壊してしまわないのは、闇に弱い頼人のためだ。 「寒いんだろう。そろそろ、帰るぞ」 「ん。出発しんこう、しまーす」 促しにぐずることもなく、頼人は電車を手に取って、宙を走らせた。彼の世界のなかで、登山鉄道は、空を走ることもできるらしい。 「ほら」 手を差し出すと、頼人は玩具を持つのと逆の手を素直に預けてきた。 「みさーさん」 ぎゅ、と握り、嬉しくてたまらないような無邪気な笑顔を向けられて、胸の奥が揺れる。 かつて、理不尽への怒りと、それ以上の悲嘆を漲らせて叫んだ彼は、波に洗われて遠く流され、ここにはいない。頼人は彼でありながら、決して、彼のすべてではない。……それが辛いと、殻が呟く。 ―― あいつは、あいつのままであるべきだった。 それは、殻の望みだ。 今の三沢は、違う。 強く、手を握り返すと、頼人はきゃっきゃと声をあげて笑った。 「なあ。お前の電車は、次はどこに行くんだ」 「みさーさん駅!」 元気よく応じて、三沢の脇腹に電車を走らせる頼人の屈託のなさに、口の端が緩む。 「じゃあ、しっかり掴まってろ」 「りょ!」 掴んだ手に体重を乗せてぴょんぴょんと跳ねる子に、そうじゃねえと注意するには、気分が上を向きすぎている。手袋越しに伝わる高い体温で、冷え切った心臓まで暖まりそうだ。 「ご機嫌だな」 「だって、みさーさんが……」 言いさして、頼人は照れくさそうにきしし、と笑い「ないしょ!」繋いだ手を大きく振った。 「俺がなんだ」 「なーいしょー」 三沢に並んで歩きながら、足に抱きついてくるのは、やたらと絡みついて歩行を阻害する猫に似ている。釣り好きな闇人が餌を与えているせいで、社宅の周りにやたらと増えた猫も、頼人の良い遊び相手だ。 「こら、危ないだろ」 猫よりもだいぶ大きい子供を叱ると、ますます意固地になってしがみついてくるのはどうしたものか。 ひとつため息を吐いて、脇に手を入れて持ち上げると、頼人は歓声をあげて喜んだ。支える片腕に、信頼しきって細い体を預けてくる子は、次第に暗くなる夜の中で彼自体が眩い燐光を放っているように思える。 無論、それは錯覚だ。肌を焼くことはなく、それでも、三沢のうちがわにあるなにがしかに焦がれを与える光は、目には見えない。 「みさーさん」 甘くやわらかな呼びかけに、聞いている、と頷く。 「俺ね……みさーさんが俺のこと見てるの、嬉しいよ。一人でいなくなったりしないで、俺と一緒にいてくれるの、嬉しい」 ぎし、と、殻のどこかが軋んだ。 脳裏で、不安に揺れる目をした青年の姿が、記憶の水底に沈んだ硝子のように鈍く光る。 壊れかけた殻は、『彼』の重さを抱えきれなかった。守ってやりたいと思い、救われたいと思いながら、手を差し伸べることも、救いを求めることもできず。 「……ながい」 冷たい夜風に紛れて消えてしまう微かな囁きを、頼人は受け取っただろうか。 こみ上げたものを言葉にする代わり、三沢はあたたかな体を抱き締めた。 たとえこれが、殻に侵食された偽りの感情でも構わない。仲間と融けあいまどろんでいた時も、力を得た母胎に再び産み落とされた時も――殻の記憶の中にさえ、これほどまでに己を満たすものは知らなかった。 「みさーさん、くるしい」 抗議の拳で胸を叩かれるまで、三沢は、頼人を抱きしめ続けた。 空虚を抱え続けた殻の内側まで、優しく照らす光を。
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