【残念な闇田さんにカウンターアタックしてみる。】


 去年の四月一日はなにをしていたか、いまいち思い出せない。
 二年前なら強烈に覚えてる。
 月初めの朝礼で一藤さんが「日本の心は袴です。そして、袴が変化したものが女子高生が穿いているプリーツスカートですね。そういったわけで、今年から男子制服にスカートを取り入れることになりました。各自、気持ちを引き締めて着用してください」と真顔で言ってのけてそのまま訓示を終えてしまったので、笑っていた皆が顔を見合わせたとか……。
 その後、先輩方に「20歳以下のやつ集まれー」と号令をかけられ、ドンキで売ってそうなセーラーやらナース服やらメイド服やら渡されて「今日は課業後から就寝までこれ着てろ。あと、わかってると思うが営外には出るなよ。買い物は『男』に頼め」……もう全員ヤケになって、オカマ喋りしてたな、あん時……。
 俺はエレベーターガールだったけど、沖田さんが「セーラーのほうが似合うのになあ」って言ってたのは忘れてない。ついでに「どうせなら黒タイツも用意しとけってんだよな」と俺の足を眺めて要らんこと言ってたのも忘れてない。
 いたいけな19歳に向かってなんてこと言うんだといまなら憤ることもできるが、あの頃の俺はとにかく沖田さんの言葉を全部真に受けていたので、がっかりさせてしまったのがちょっと申し訳なかった。
 ……その後、沖田さんちで個人的にセーラー服着させられて、流れでかるーく教師と女生徒ごっこした時には、この人ちょっと危ないんじゃないかと思ったけど。
 あれな。「男の部屋にひとりで来るなんて、永井はいけない子だな」とかなんとかソレっぽい台詞吐かれて「先生なら、いいよ」て上目遣いしたら沖田さんがちょっとそれまで見たことなかったような赤面して「おまっ、それ反則だろ!」って……自分から振っといて盛大に照れてくれてるもんだから俺まですっごい恥ずかしくなってきて、ふたりしてうわあああってなってて、あーバカだったけど幸せだったなあ、あの頃。
 いまとなっては、なにもかもがいい思い出ってやつだ。 


 そう、いま、俺の前で、端のかけた急須から湯呑みにお茶を淹れている沖田さんの顔をした闇人は、危ないどころの話じゃない。
 ちなみに俺の現状を申告すると、金鉱社宅団地イ棟の一室で、両腕を後ろで縛られた状態で椅子に座らされています。武器は取りあげられて部屋の隅。
 今日はエイプリルフールかー、この状況自体がぜんぶウソってことになんねえかなーなどとぼんやり考え事をしていたのが良くなかった。
 待ち伏せしていた沖田さん(仮)に担ぎ上げられ、連れ込まれた団地の一室は、他とは様子が違っていた。
 全体的に古ぼけてくすんではいても、破れた窓には丁寧に目貼りが施され、玄関からキッチンまで塵ひとつないくらい綺麗に整えられて家事道具一式が揃った……なんというか、若夫婦の新居って感じの部屋だ。
 ダイニングテーブルに向かうように椅子に縛りつけられた俺の目線の先には、もとは襖か障子が嵌まりこんでいたんだろうが、いまは枠だけになってしまった入り口に、すだれ代わりに闇人達が巻きつけているような着物っぽい布がさがっている部屋がある。
 そのカーテンの向こう側には何があるのか、ものすごく嫌な予感しかしねえ。
 どうにか拘束を解こうと腕を擦り合わせている俺を気にせず、沖田さんは湯気のたつ湯呑みを俺の前に置いて、懐から取り出したものをその横に並べる。
「ブラックサンダーか、オールレーズン。どっちがいい?」
「……それ賞味期限大丈夫なんすか」
「昭和83年11月って書いてあるから大丈夫だろ」
「まじかよ」
「今日はエイプリルフールだけど、こんなことで嘘つかないよ。……永井が食当たりで死んで闇人になっても、微妙だしなあ」
「ビミョー言うなよ、死ぬ予定ないし!」
 『元に戻る』作用があるこの島じゃ、時間の感覚が狂っていくから、夜明けごとに暦を数えていまが何月何日って把握してるのは文化的生活を営む人間の習性として、生前の殻の性格に引きずられた闇人が同じことをしてるってどうなんだろう。
「で、どっち?」
 一分の隙もない笑顔が怖い。
 まがりなりにも沖田さんの身体に向かって怖いなんて言いたかないけど、こいつの笑顔は肉食動物のソレだ。決して草食ではないけど、ヤッてる最中以外はギラギラしたとこのなかった温厚で穏和で紳士な沖田さんとは根が違う。
 プレッシャーに負けて、顎でお菓子を選んでやる。
「ブラックサンダーもらいますから、これほどいてくださいよ」
「いいけどさ、逃げるだろ?」
「食い終わったら帰ります。……つーか、普通に誘えないんですか」
 誘いに乗るとは限らないが。
「それじゃつまんないだろ」
 訊かなきゃよかった。
「俺はいつだって、永井をドキドキさせたいんだよ」
「こんなサプライズ欲しくないっす」
 解放された手を振りながら抗議すると、沖田さんは「じゃあ次は普通にデートだな」と微笑んだ。
「どうせそれもエイプリルフールだろ」
「だったら永井は、俺とデートの約束してくれなきゃ」
「しませんから」
 ぴしゃりと断って、お茶をすする……水道とガスが使えるのは偉大だ。あたたかく、甘い緑茶が喉と胃に沁みる。
 ブラックサンダーも、いつものあたりまえのブラックサンダー味だ。うまい。
「全部食っていいからな」
 向かい側に座った沖田さんは、淹れた茶にも菓子にも手を伸ばすことなく、にこにこと俺を見つめている。
 ……沖田さんもよくお菓子くれて、こんな風に見てきたっけ。ビスコとか。たけのことか。俺はきのこ派なんだけど、沖田さんいっつもたけのこ買ってたな。
「沖田さんって、たけのこ派でした?」
「ん? きのこたけのこ戦争? 俺はどっちでもないな」
「なんとなくたけのこチョイスって、いちばん悪質っすよ。男ならビシっときのこでしょう!?」
「永井はきのこ好きだもんなー。俺のきのk」
 拳でテーブルを打って黙らせる。
 ふたつめに手を伸ばし、封を切ってもそもそと咀嚼していると、沖田さんは二杯目の茶を淹れてくれた……こういうソツのなさは人間だった頃と変わらない。
 闇人なのに。
 違うひとだと思おうとしたって、沖田さんはやっぱり沖田さんでしかなくて。
 目が合うと、にこっと笑ってくれるのもおんなじで……こんなに真っ白な顔じゃなかったし瞳孔ひらいてなかったし、ぐるぐる巻きでもなかったし、服の下はなんだかもうエッラいことになってたりもしてなかったけど。
(あ……)
 去年のこの日、沖田さんについた嘘を思い出して、胸が痛くなる。

 あの時の俺は、本当にばかだった。
『俺……デキちゃったみたいなんですよ』
 腹を押さえて、深刻そうな顔を作って。
『沖田さんの……』
 なーんて、あるわけないんですけどねーと笑う前に、俺は、ぽかんと口をひらいて固まった。
 いつも大人の余裕たっぷりの沖田さんが、頬を赤くして口許を手で覆っている。忙しなくまたたく目は、ちょっと涙ぐんでいるようだ。
『沖田さん?』
『……あ、悪い。ごめん、永井』
『嘘ついたの俺なのに、なんで謝るんですか』
 沖田さんは口から手を外し、すこし困ったように笑った顔で、俺を抱きしめてきた。
『うん。嘘だってわかってんのに、いま、すごく……嬉しくてさ』
 声も、俺の髪を撫でる手も、とても優しい。
『永井との子、うんと可愛がってやれるなって、思ったんだ。ごめんな……俺は、お前に家族をつくってやれないのにな』
 もう一度、ごめんなと苦しそうに囁いて、それでも俺を離したくないようにぎゅうっと抱きしめてくる沖田さんを、とても傷つけてしまったんだと、その時にやっと思った。
 俺は、そんなのいらないのに。
 沖田さんといられるなら、それだけでいいのに。
『お、俺だって……沖田さんに、家族あげらんなくて……すみません』
『俺はいいんだよ。一生、ひとりでいる覚悟もしてたんだから。でも、永井は違う。まっとうな所帯もって、可愛いこどもを作って、幸せに生きていけるんだ』
 いままで一回だって、沖田さんはこんなことを言わなかった。
 だけど、きっと、ずっと考えていたんだろう。沖田さんの震える息が、ばかな俺にも悟らせる。
 喉に詰まるあつい塊をのみこんで、俺は首を横に振った。
 聴きたいのはそんな言葉じゃない。
『……沖田さんじゃなきゃ、しあわせになんか、なれないです。沖田さんと、いたいです』
 ぎゅうっと抱き付いて、つっかえながら気持ちを伝える。
『俺もだよ。永井がいてくれるだけで、幸せだ』
『沖田さん……』
 ごめんなさいと大好きですの両方を言って、俺はやっぱり、泣いてしまった。



 そんなことを、闇人になった沖田さんも覚えてるんだろうか。
 わからない。
 わからないが……。
『永井、わかるか? ナカから溢れてきちまってるよ。……こんなに出してたら、妊娠しちゃうよなぁ。早く孕んでくれよな、俺の子供』
 これ言われたの正月だったか、どういう状況だったかはお察しくださいってやつだが、身体だけじゃなくて頭ん中までぐちゃぐちゃになってひいひい喘ぎながらも、俺は内心で「うわキモッ」と怖気を振るったものだ。
 やっぱコレ沖田さんじゃないわ。
 似て非なるものだわ。
 どうせエイプリルフールだし、ブラックサンダーもお茶も美味かったし……あのカーテンの向こう側にあるものが俺の想像通りなら(申告しておくと、二組の布団がぴっちり並べて敷いてあって枕元にはティッシュボックスとかそういうアレだ)、五分後、俺のケツ穴は貞操の危機に直面するわけなんだが、ここは虚をついて逃げるしかないだろう。
「沖田さん……言っておきたいことがあるんです」
 深刻ぶって、沖田さんをじっと見つめる。
「俺……今度はほんとうに、デキちゃったみたいなんです」
 沖田さんが目を見開く。
 よし、効いてる効いてる!!
「だから、当分はえっちとかできないっす。沖田さんのこども、大事にしたいから……」
 うおお、我ながら気持ち悪い。
 だがこれで今日の安眠が得られるならば安いもの。
「そうか……」
 沖田さんは、ふっと眼を細め、とても嬉しげに笑った。
「俺から話そうと思ってたけど、永井に自覚があるなら良かった。ちょっとでも栄養つけなきゃと思って食糧集めてるから、お菓子はそのオマケだったんだけどな……」
「へ?」
「お前あっちこっち動き回るけど、そろそろじっとしててくれないと気が気じゃないんだよ。この部屋だって、永井が居心地がいいようにみんなを強制労……手伝ってもらって作ったからさ。どうやって引き留めるか悩んでたんだ」
「は?」
「ちょっと気が早いかもしれないけど……子供部屋も作ったんだよ。そこに」
 はにかんだように笑って、沖田さんがカーテンの奥を指す。
―― いやいや、ちょっと待て。
「あのー沖田さん。さっきから何の話してるんすか」
「俺とお前の子供の話に決まってるだろ」
「……エイプリルフールですよね」
「嘘じゃないって。ほら、見てくれよ」
 立ち上がってカーテンを引いた沖田さんの腕の向こうに、ぬいぐるみとベビーベッドが見える。
 いやいやいやいや。
 ねーよ。
「えーと……なんか寒気してきたんで、帰りますね」
「熱っぽいのか? こっちに夫婦の寝室あるから、休むならこっちで寝ろよ」
 駄目だ、本当に眩暈がしてきた。
 よろけた身体を、沖田さんが抱え込むように支えてくる。
 慈愛の瞳で俺の腹のあたりを見つめるのやめてくれませんか。そしてそっと撫でるのもやめてくれませんか。
「きっと、ママに似た子だぞ」
「ねえから」
 思わず突っ込むと、沖田さんはくすっと笑った。
「そうだな。生まれてみないとわからないよな。どっちに似ても可愛がるよ」
「……はあ」
 今日はもう、そういう設定で行くんだなコレ……精神的にどっかり疲れた。
 やらしいことはされないみたいだし、もういいや。布団があるならそこで寝ていこう……。



 そして、翌日以降になっても俺が妊娠してる設定で気持ち悪い態度を続行していた沖田さんが、やたらとメシやら菓子やらを喰わせてくるせいで、俺の腹回りはちょっと太ったんじゃないかなぁと思う。
 しかし、優しくされるのは嫌じゃないし、菓子は美味いしで許容して、いたのだが。
「……動いた……?」
「えっ、本当か永井! 触らせてくれよ」
「ちょっと待ってくださいよなんすかこれ!!!」
 腹回りを巡る俺のあれこれについては、機会があればまた語りたい。



(結局どっちなの?)






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