2013/09/08
【秋の星図/リョ永井くん。】
しろい指先を離れた小さな石ころは、水面に二回の飛沫をあげて沈んだ。 濡れた砂に立つ永井の足元に寄せる波は穏やかで、赤い海はとろりと凪いでいる。引きさらわれる心配はなさそうだ。 もう一度と手頃な石を探す彼は、幾度となく注意しても手袋を外してしまうので、剥き出しの手首が月明かりに眩しく浮かんでみえる。 沖田は砂浜に降りる石段に座り、水切りに興じる永井から目を離さずに、この距離をもう少し縮められぬものかと思案していた。 これでもだいぶ、近寄らせてくれるようになった……永井の殻の記憶が酷いものだったのは、沖田のせいだという自覚は十二分にある。しかし、『永井』を完全に手に入れたという充足は他の何にも換えがたい。 『沖田さん』と沖田ではない沖田に助けを求め泣き叫んでいた彼の悲痛さえ愛しくて、犯して侵してあまさず喰らいたいとすら願った。 結果に悔いはない。永井はもう『沖田さん』を想うことはないし、仲間に囲まれる毎日がたのしくて仕方ないようだ……沖田に対する警戒心が異常に強いのはいただけないが。 おかげであれから永井を抱くどころか、触れることもままならない。 沖田が動かず眠ったふりでもしていれば永井のほうから近付いてくるものの、動いたとたん、飛んで逃げてしまう。 三沢には自業自得だと冷たくあしらわれる現状であろうと、沖田に諦めるという選択肢はない。 ゆっくりと、まるで永井には興味のないようなそぶりで海辺に近づく。 ……気配に気付いた永井が石を握りしめてこちらを注視しているのは視界の端にしっかりと捉えている。 そのまま見ていろ、と念じつつ、小石を拾い上げ、海に投げた。 三回、四回跳ねて石が沈む……永井はまだこちらを気にしている。今度は、石段で拾っておいた平たく滑らかな石を掌に弾ませ、波間を狙って放った。 四、五、六、七回跳ねて見えなくなった石に、まずまずだと自賛する。 永井の評価はどんなものか。 横目で窺うと、布に隠れていない左目をまんまるく見開き、沖田が水切りをした水面と、沖田とを見比べている。尊敬の籠る眼差しが心地好い。 数歩こちらに近付き石を拾って見つめてくる彼に、手本のようにもう一度、水切りをしてみせる。 永井は沖田に倣って投げるがやはり回数は伸びず、口を尖らせて再び石を拾った。 数回、そんなことを繰り返して、五歩も近付けば触れられる距離にきた永井の投げた石が、とうとう、八回の飛沫をあげて水面を滑った。 「……っ!」 「今のは良かったな、永井」 掠れた息だけで快挙を喜ぶ永井を褒めてやると、得意気な笑みを向けられる。 永井がこちら側に来てから、まともに笑いかけられたのはこれが初めてだ。 止まったはずの心臓が、大きく脈打った気がした。 動けずにいると、永井は五歩の距離を小走りに詰めて、沖田に体当たりするように両腕で抱き締めてきた。 声をなくし、心を幼くした彼の感情表現は、おおかたは仕草で表される。純粋な好意と親愛の態度に、沖田の気持ちのほうが追い付かない。 「なが、い」 歓喜とも動揺ともつかぬ痺れを持つ手で抱き返そうとした途端、永井はぱっと身を翻し、石段に向かって駆けていってしまった。 空振りの手を見つめ、震えた息を吐く。 永井は振り向きもせず、石段を上っていくようだ。 「冷たいよな……」 ひとつぼやいて、沖田もゆっくりと後を追った。 たぶん、永井は上がりきったところで、沖田が追い付くのを待っているのだろう。
その予測は、外れていなかった。
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しかし半径五メートル以内には近づかせてくれず、途中で迎えに来た闇沢さんにはぎゅーぎゅー抱きつくわ手をつなぐわでギリィする闇沖さん。
2013/09/11
【オキタさん宅の永井くんの場合。】
肌寒さに目が覚めた。 いつの間にか腹を覆うだけになっていた夏掛けを肩まで引き上げても、身体の芯から震えが来るような寒さは治まらない。 朝晩の冷え込みにいよいよ秋が来たのだと実感しながら、永井は隣の布団で眠る家主を見やった。 通気窓からほんの僅かに差し込む月明かりでは黒々とわだかまる影としか見えず、輪郭すら曖昧な彼の体温は、人間のそれよりもだいぶ低いが、身を添わせていればゆるやかな熱が沁みてくる。 躊躇いは短く、決断は素早く。永井は膝でオキタに這い寄り、手探りで彼の夏掛けをめくり中に潜り込んだ。 どうやら仰臥の姿勢で眠っているオキタの左腕にぴたりと胸をつけ、脚を絡ませて体勢を落ち着ける。彼は寝苦しかろうが、起きる気配はない。 そのままじっと動かずにいると、期待していた穏やかな熱が伝わってきた。 深い寝息と同じ、オキタが生きている証だ。 何とはなしに嬉しくなって微笑した頭を、くしゃくしゃと撫でられる。 「――?」 寒いのか、と問われたのだろう。寝起きの茫とした声に頷くと、体をこちらに向けたオキタに抱き寄せられた。 子供を寝かしつけるように背を叩かれ、逆らわずに目を閉じる。 やさしい眠気は、すぐに訪れた。
(しかし2時間後、今度は暑くなってもがもがする永井くん。) (オキタさんは暑さ寒さにわりあい強いので、永井くんの体温も平気。)
2013/09/19
【曽根崎心中】
闇人と人間が共存する世界。 原罪を持つ人間は、冥府の門が開く日、母胎に贄を捧げなくてはならない。 闇と光の交わりの禁忌を犯し愛し合うオキタとナガイだが、その年、贄に選ばれたのはナガイだった。
闇人ひとり、人間ひとりを乗せた小舟は赤い川をひっそりと進み、海に向かう。 「オキタさん」 舵をとる闇人に呼び掛ける青年は憂いた表情で、それでもひとときも目を離すまいとばかりにオキタを見つめていた。 オキタも、また。 「こんなふうに、ふたりで遠くに行きたいって、ずっと思ってました」 嬉しいです。微笑む青年に、オキタの目が歪む。 「……俺も、だよ。ナガイ」 棹をさし、ナガイの肩を抱き寄せたオキタは、体温の違う頬を寄せ、指を絡めて手を繋ぎあう。 行き着くさきで、自分も共に沈もうと心に決めていた。
2013/09/20
【夏休みはもう終わり】
喉がひどく渇く。 さんざん啼かされたおかげで、粘膜が熱を持っているようだ。 ひんやりと心地の良い頬を撫でられ茫と瞬いた視界に、白い顔が近付いた。唇を塞がれ、水を流し込まれる。 おとなしく咽下し、ぬるい温度が喉の奥を伝い落ちるのをやけに強く感じていると、良く出来ましたと頭を撫でられた。もう一口、口移しに含まされる水が渇きを癒す。 「……もっと」 物足りなさを覚えて、足りないとねだる。 しかし彼は「これくらいにしておかないとな」永井の望まない答えをかえして微笑んだ。 その代わりに、また唇を押し付けられる。自分から舌を伸ばし、口内に水が残っていないかと探る永井に好きにさせておいて、彼の手指は永井の汗に冷えた肌を蛇のように這った。
粘膜がこすれあい、液体と空気の撹拌するあさましい音に羞恥よりも興奮を煽られ、丸めた爪先を宙で震わせる。 ひどく苦しい体勢で沖田のものを受け入れながら、永井は恍惚と眩む意識を継ぎ合わせる努力を放棄した。 「あ、ぃっあ」 擦りあげられて高く喘ぎ、腕に爪を立てると沖田は愉快そうにわらう。 「なぁ、永井。なにも変わらないだろ」 問われて首を横に振る。肯定とも否定ともつかない仕草は、犯され、侵される快感に耐えかねた媚態にも見えた。 「お前の好きな沖田さんはここにいる」 「おきっ……さ、んぁ!」 喘ぎ交じりの呼び掛けは、奥深く穿たれて嬌声に変わる。 箍はとっくに壊れてしまった。沖田のかたちをした化け物に与えられる、精神と肉体の汚辱を愛だと錯覚し悦んでしまうほどに。 「違う、ちが、ぅ、あ」 「違わないよ」 やさしく、あまく、言い聞かせる声が胸に痛い。 「俺は俺だよ、永井……」 永井の目尻から零れた涙を吸う唇は湿っていたけれど、心の罅割れを癒やしはしなかった。
(ああ、そうじゃない。) (だって沖田さんは俺を抱きはしなかった。大事だと、好きだといってくれたけれどそれだけだった。) (誕生日の夜にキスをして、訓練から帰ってきたら続きをしようと、はにかみながら言った人はここにはいない。) (だからもう、俺には『あなた』しかいないのに。)
2014/01/27
【オキタさんじゃないほうの平行オキタさんから続いてたぼんやりポエム。】 【いばらの冠】
重いおもい棒切れを抱えて赤い空のしたを歩む彼の目はひらいているが意味のあるものはなにも映さない。 何処に向かっているのかなにをさがしているのか、彼も知らない。 罪の重荷から逃げ出したいのか深みにはまっていくだけなのか、それさえ。 ―― □□□さん、□□□さん 贖罪を乞い願うように動くひびわれた唇が音を発することはない。
呼んでしまったら、もう歩けなくなる。 呼んでしまったら、絶望に潰れてしまう。 決してとりもどせないのだと、かえれないのだと、思い知るだけだ。
彼は、呼吸を続け、鼓動を続け、行く当てのない足を動かす努力をした。 ―― □□□さんがたすけてくれた命だから。 □□□が生きた証が自分なのだとしたら、それを消してしまうことはできない。 呼べない名前を胸の中に押し込めて、血の底に沈めて、欠けてしまったものを見ないふりで、何処かに行くだけだ。
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見つけた日から、『ながい』はオキタの元でおとなしく飼われている。 相変わらず言葉を発することはないが、頭を撫でると、ほんのすこしだが目を細め、口元を緩ませるようになった。 その返礼のように、いまはオキタの頭を膝に乗せて、指で髪を梳いている。ゆるゆると慈しむ指先の心地よさに目を閉じたオキタの耳に、微かな、吐息めいた囁きが届いた。 ……ような、気がした。 「ながい?」 瞬いたオキタの目は、乾いた手のひらに塞がれる。 それを退かさずに、オキタは声だけで訊ねた。 「いま、呼んだ……よな」 答えはなく、柔らかな感触が口の横に触れて、すぐに離れる。 ざわりと、オキタの肌の下で喜びと昂りの衝動がうねった。 ながいは無防備なくせに、自分からはなかなかオキタを誘惑しようとしない。くちづけどころか、それ以上のことをとうにしているのに。 いまのは、はじめてのそれらしい行動だ。 ―― やっぱり、ながいは俺に欠けていたものだ。 こんなささいなことで、オキタの胸のなかをすっかり充たしてしまう。充たすどころか、気持ちが溢れそうで……それを圧し込める気などさらさら無い。 息だけで笑い、オキタは瞼の上に置かれたながいの熱い手を上から握った。 抵抗のない手のひらに唇を寄せ、かるくついばむ。目をあけると、ながいは少し困ったような顔をしていたが、唇の端はやわらかに持ち上がっていた。
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欠けてしまったものが満たされて行く、それが哀しくて嬉しい。
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彼がその名前を口にして、崩れてしまったとしても、自分が腕に抱き止めるだけだ。
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(呼んだのはどちらの名前だったのか。)
2014.02.02 【にんげんのいきのこり】
嫌な、とても嫌な夢を見た。 自分が、生きながら怪物に変わって行く夢。 悪夢の名残で騒がしい心臓をなだめながら検分した体は、手は2本、足も2本、変哲のない姿をした俺だ。 甲式でもないし、無論のことながら乙式でもない。 しかし何かがおかしい。 「うーん……?」 漠然とした違和感を抱えながら自分の手のひらを見つめていると、破れた襖の向こうから沖田さんが顔を出した。 「永井、どうした」 「あ、いえ……俺、何かおかしくないですか?」 訊ねた俺を、沖田さんは不思議そうに眺める。膝をついて手を伸ばし、頬を撫でてきたので、むずむずして目を閉じたら鼻をつままれた。 「おきたさん!」 「ああ、悪い悪い」 少しも悪いと思ってない口振りで言い、沖田さんは離した手で俺の頭をぽんぽんと撫でた。 「変なところなんかないぞ。寝ぼけたんだろ」 「そう……っすかね」 まだ違和感はつきまとっていて、それでも沖田さんが変じゃないと言うならそうなんだろうと、自分を無理矢理に納得させることにする。 「それとも、寝たりないか?」 沖田さんの口元が性質の悪い笑みに歪む。あっと思った時には、せっかく起き上がった体を布団に組み敷かれていた。 「ちょっと、沖田さん!」 「んー?」 寝間着代わりの浴衣の下に手を入れてくる沖田さんは、とても楽しそうだ。びくっと体が跳ねてしまったのは手袋を外した沖田さんの手が冷たかったからで、感じたわけじゃない。 それより、起きて支度しないと遅刻する。 「遊んでる場合じゃ……」 「いいだろ、休みなんだから」 そうだっけ? 考えこんだ一瞬、首筋をぞろりと這う湿りに鳥肌が立った。体から力が抜ける。 「ぅあ……っ」 甘えた鼻声が出て、気をよくした沖田さんのいたずらがますますエスカレートする。片手で器用に帯を解いて、さらけだされた肩先や鎖骨に口付けられて、腿の内側をいやらしく触ってくる手に、俺のなけなしの根性は朝っぱらからの不埒に対する抵抗を叫ぶ。 「休みの日ぐらい、俺との時間を優先しろよ、な? 永井」 愛情と優しさと、欲が滴る声音で呼ばれて、あっさり白旗を掲げた。 「っんまり、目立つとこに、痕つけないでください、ね」 言った先からわざとらしく吸い上げる音がしてつきんと首筋が痛む。 抗議のために、きっちり着込んだままの沖田さんの背中を叩くと、耳元で笑われた。ああ、もう。 「……沖田さん」 そんなことして遊んでないで、ちゃんとキスしてほしい。襟を引っ張って目が合うと、沖田さんの愉快そうに目を細めた顔が近付く。薄暗い天井を背景に浮き上がってみえる顔は真っ白で、血を流し固めたような黒い斑紋と微細な蒼暗い血管が浮き上がっていて、それはいつもの沖田さんでありながらなんだか違うひとのようにも思える。 だけどゼロ距離の視界が暗くなり優しく降りてきた唇と、するりと入り込んできた冷たい舌はやはり沖田さんのもので、微かに苦い鉄錆の味を不思議と懐かしく感じながら沖田さんの背に腕を回して抱き締めた。 これが当たり前の沖田さんだ。なにひとつ、間違ってない。 うすぼんやりした不安、違和感、なにか大事なことを忘れている、そんな嫌な感情に蓋をして目をそらして、唾液を混ぜあいながら腰に足を絡めて、こわいものなんかないと思わせてほしくて先をねだる。
沖田さんの胸はしずかなのに、俺の鼓動ばかりがうるさくて、あぁこれが変な感じなのかなと頭の隅を思考がよぎったけど、腹のなかを掻き回されて喘ぎながらじゃまともに考えられるわけもない。 「永井、ながい、おまえは俺といればいい、それだけで、いいからな」 沖田さんの手が俺の指をしっかりと絡めとり逃がすまいと押さえつけている。痛いくらいの力がいまは安心で、俺は胸を満たす幸福に笑う。 まやかしでもごまかしでも、なんだってかまわない。 「俺は、おきたさんが、ほしいだけ、です」 たったひとつ、それだけ叶えばほかのことなんて。 一瞬だけ、どうしてだか、沖田さんはどこか痛むような目をしたけど、激しくなる律動に眩んでなにもわからなくなった。
気を失うように眠って、目が覚めたら、俺は、俺といてくれる沖田さんが好きですってつたえよう。
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自分が人間だってことを忘れて闇沖さんと暮らしてる永井くん。 そんなんだから永井くんが人間と闇人の違いとかもろもろ思い出して発狂しないように、一切お外に出さずに、側から絶対に離さない闇沖さん。 「あの殼はやく殺さないと劣化するだろ」的なこと言われたらそいつ〆る、むしろ滅す勢いの闇沖さんが可哀想な話?
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