2013.07.21
時折、三沢は酷くうなされる。 たいがいは「やめろ」か「来るな」と酷く追い詰められた風に叫んで目を覚まし、荒い息をしながら汗のびっしり浮かんだ額を片手で覆い、それから、思い出したように永井の様子を窺う。 目があってようやく永井は起き上がり、黙って三沢を抱き締めた……そうでなければ怯えきった三沢がひどく錯乱するのだ。 無理もない。 悪夢に憑かれた三沢の視界を盗めば、彼が憔悴するのも当たり前だと判る。 真っ白な……あの島の化け物と似た、異質な白の肌をした無数の手が津波のように襲いかかり、目から血を流す少女の屍が好き放題に振る舞う、現実より克明なほどくっきりと鮮やかな光景、こんなものを見続けていたら誰だっておかしくなる。
いくらかの犠牲を払って、永井は自分の居る世界の軸をずらした。 そして、異世界の自分が永井に殺されたなど知るよしもない三沢に近付いて、言ってしまえば篭絡した。 自分にそんなことができるとは思わなかったし、なにより三沢が乗ってくるとは微塵も思っていなかったが、始まってしまえば何もかも初めから収まるべき場所にはまっていくように、自然にことは成った。 ずっと胸につかえていた罪悪感は、三沢を抱き締めるたびに薄れていく。 我ながら驚くほど、途方もなく優しい愛情に満ちた気持ちは、三沢に背を抱かれて、優越感に変わった。 このひとが、どれだけ重い苦しみを抱えているか知っているのは自分だけだ。 本当に理解できるのは自分だけだ。 そして、あれはただの夢で、なにも怖くはないんだと慰めてやれるのも、自分だけだ。 「三沢さん」 いたわりに満ちた声は、演技などではない。三沢の背を撫でる手も。 「大丈夫ですよ、俺がいますから」 「……ああ」 永井をつけあがらせていることへの苦渋に満ちた『ああ』に、笑いがこみあげる。 「迷惑そうですね」 「言いがかりだ」 「すっごく嫌そうな声でしたよ、いま」 十七も年下の男に、訳知り顔で慰められるのは、それは、複雑になるだろう。 三沢は案外と繊細だ。 「悪い気はしてないくせに」 「……調子に乗るんじゃねえよ」 「違わないでしょう」 三沢から見れば、永井はどういうわけだか自分が好かれていることに絶大な自身を持っている生意気な若造で、しかも、それが勘違いではないのが腹の立つところだろう。 すっかり息をととのえ、動悸も収まったらしい三沢が離れる。 「寝てろ」 顔色はあまり良くないが、そうひどい表情ではないことに安堵して、永井は「了」と短く応じ、夏掛けをかぶり直した。
寝ていろと命じたくせに、水を飲んできたらしい冷えた指で触れてくるあたり、三沢は案外と無神経だ。 頬を撫で、少し迷ったそぶりをしてから、顔を寄せてきたので、素早く腕を巻き付けて唇を奪ってやった。 一瞬、身を引きかけたのを逃がさずに、体重で引き倒すように抱きつけば、抵抗をやめて軽く合わせるだけの口付けをくれる。 そんなもんじゃ足りないと、腹を空かせた雛よろしく口をあけてねだると、いよいよ諦めたのか深いものに変わった。 が、夏掛けからはみ出した足を腰に絡めたとたん、中断される。 「……おい」 「ん、なんですか」 「もう、やらないからな」 「えー」 「気分じゃない」 「体力の衰えっすか……いてっ」 ぎゅっと耳をつねられて、永井の興奮も収まった……もとより、半分は演技だ。半分は本気だが。 「わかりましたよ。続きはまたあとで。おやすみなさい、岳明さん」 「……おやすみ、永井」 そこは頼人と呼べばいいのに、わざと苗字なのが少しにくらしい。 睨みつけると、鼻で笑われた。 ―― 前言撤回。 三沢から見れば、永井はどういうわけだか自分を熱烈に好いている酔狂な若造に違いなくて、しかも、それが勘違いではないのが腹の立つところだ。 夏掛けを鼻までかぶり、ぷいと向けた背中と、頭を撫でられた。 愛情のこもる仕草に少し泣きたくなる。 背後の気配が横たわり、寝入ったようだと判断してから永井は寝返りを打ち、三沢の表情のない寝顔を見つめて、腕に自分の手を触れさせてから目を閉じた。
ひどくうなされて、泣き声で沖田や三沢を呼ぶ永井の視界を盗むと、凄惨な血と泥に彩られた景色、我ながら呆れる有り様になったばけものが嗤い、しまいにはもっと醜くいびつな怪物に呑まれていくのが見える。……どこまで行こうと孤独と死と恐怖の記憶だ。 三沢は息を吐き、永井の熱い瞼の上に掌を置いた。 「士長、こっちに戻れ」 ぴくりと、瞼の下の眼球が震えるのがわかる。探している、三沢を。 「俺はここだ。そっちがわじゃない」 「りょう……」 弱い声で応じた永井の、冷えた指先が震えるのを空いている手でしっかりと掴み、握ってやる。 きゅ、と握り返してきた手は、そのうち、汗ばむほどにあたたまるだろう。 寝息が落ち着いてきたのを見計らって、瞼に置いた手を退け、眠り直した。
(方角を見失った思いつきメモ) (どっちも平行世界の記憶がある三永)
2013.07.24
【擬似親子三永@上官部下ver. ハタチになるよ。】
月日が流れるのは遅いようで早いもので、三沢が三尉から三佐に昇任するまでの十一年で頼人は高校を卒業し、進学を薦める三沢を固辞して就職してしまった。 自衛隊に、だ。 正直、大学くらいは出してやりたいというのが親心だったし、甘えたな頼人に自衛官が務まるかと気を揉んだが、二年を経て士長になった彼は親の贔屓目抜きでも優秀で、先が楽しみな部下になっている。 ……そう、永井頼人陸士長は、三沢が指揮する中隊の一員だ。 ゆえに、離れて暮らしているといっても、駐屯地で顔を合わせることは珍しくもない。 「永井、ちょっといいか」 「はい」 職場では家族ではなく上官と部下として振る舞う、という約束を今のところ九割は遵守している永井は、呼べば真面目くさった顔つきで駆け寄ってくる。 「明日の話なんだけどな」 「外泊届けなら提出済みです」 「知ってるよ。俺が受理した」 得意気に言われて苦笑する。外泊先もよく承知だ。永井の実家、つまり三沢の部屋である。 「食べたいもんはあるか」 「肉ならなんでも構いません」 まだ真顔を維持している頼人のうなじは汗と土埃がまだらを描いている。 「誕生日だろう、遠慮するな」 「……じゃあ、あの……ひさしぶりに、岳明さんのケーキ食べたいです」 まだ小さかった頼人に誕生日には手作りのケーキがいいと言われて、悪戦苦闘して作った最初の年はぺしゃんこのスポンジが出来上がり、お世辞にも上出来とは言えなかったが、頼人は大喜びしてくれた。 それから、高校に上がるぐらいまでは毎年作っていたが、その頃には三沢の転属やそれまで以上に忙しい業務が重なって店で買ってくるようになっていた。 明日明後日はスケジュールを完全に空白にしてある。さて、道具はどこにしまったかと考えながら頷く。 「それだけでいいのか」 ぱちりと瞬き、頼人ははにかんだ笑みを浮かべた。 「岳明さんと、お酒が飲みたいな」 「……シャンパンでも冷やしておいてやるよ」 「いつも日本酒だろ。あれがいい」 「馬鹿、あんなもん飲んだらひっくり返るぞ」 「飲まなきゃわかんねぇじゃん」 九割遵守の残り一割、子供の顔で口を尖らせる頼人の頬を軽く摘まんで「まずは酒を愉しむってことを覚えろ」と人生の先輩らしく言ってやると、「了」少し不満そうな、それでも笑った顔で応答が来た。 「話はそれだけだ。早く行かねえと、風呂にあぶれるぞ」 「それじゃあ三佐、また明日。失礼します!」 敬礼をして走り去って行く頼人を見送り、顎を撫でる……後ろで、笑う声がした。 「いやぁ、三沢さんが永井のお父さんしてるのって面白いですね」 「うるせえよ」 永井頼人の現バディである沖田が、愉快そうに口元を押さえている。 「三沢さんの息子だっていうから、どんなゴッツいのが来るかと思ったらあれですもん。可愛くて外に出したくないでしょう」 それはお前の気持ちだろうと呆れながら、首を振る。 「訓練の手は抜いてない」 「スパルタですよねー」 人のことは全く言えない癖にのほほんと笑い、沖田は何か思いついたように「あ」と言った。 「明日は三沢さんに譲りますけど、来週は俺に貸してくださいね! いままで一滴も飲ませらんなくてつまんなかったんです」 「飲ませてどうする気だ」 「変な事はしませんよ」 「俺も行く」 「父兄同伴!!」 腹を抱えて笑う男には遠慮のえの字もない。 頼人は、年下に対して兄貴風を吹かせる沖田にすっかり心酔している。三沢の前でも、かっこいいだの優しいだの大人だのと憧れを籠めて褒めそやすが、全て『さすが岳明さんのバディをしてた人』というところに帰結するので、今のところ、三沢が把握している沖田の過去の悪行や失敗談を洗いざらいぶちまけて少年の夢を壊してやりたい衝動は押さえることができている。 もっとも、沖田に言わせると『三沢さんのお子さんの前でかっこ悪いところ見せられない』であって……それは、三沢のバディとして高校生の頼人に相対して以来の態度である。 三沢のしてみても、頼人の見習うべき規範となってくれるならそれに越したことはない。悪い遊びの類を教えたら、ただではおかないと言い渡してある…………沖田は、その過保護ぶりがおかしくて仕方ないらしい。 「いやー、親子仲良くて羨ましいですよ」 「羨ましいならさっさと嫁でも貰って落ちつけ、お前は」 「えー、頼人くんが欲しいなぁ。家事できるし頑張り屋さんだし、根性あるし」 「やらん。あれはうちの子だ」 「うちの子!!!」 またしても笑い転げる沖田はもう、処置なしだ。 背中を向けて歩きだすと、待ってくださいよーと追ってくるのを速足で引き離す。 ……ので「駄目って言われるとよけい欲しくなるんですけどねぇ」という沖田の呟きは、聞き逃した。
2013.05.31
【問題提起。/三佐と強攻型襲い受け士長】 【神風士長の意識が混線してちょっとおかしい平行士長】
青天の霹靂ってこんな感覚なのか。 三沢三佐が気になって気になって、その一挙一動から目が離せなくて、三沢三佐が三沢三佐として存在してるだけで安心するというか切ないような苦しいような、もう思いっきり飛び付いてむしゃぶりつきたい衝動に駆られる現象に名前をつけあぐねていた俺に、沖田さんがぽろっと言ってくれた。 「恋でもしてるみたいだなぁ」 なるほど恋! これが恋! 三佐が他のやつと話してて声あげて笑ってるの聞くとむかついて仕方ないのも、背中を見てると撃ちたくなるのも、それなのに三佐に身に覚えはないがひどいことをしたような、妙な罪悪感がわくのも恋! さすが沖田さんだ。 たった一言で、俺のもやもやを吹き飛ばしてくれた。今年もモロヘイヤをたくさんお裾分けしたい。
さて、俺の気持ちの正体がわかったところで、どうするか。 決まってる。特攻して、高まる一方のこの思いをぶつけるしかない。
でも、俺達のあいだにはちょっとした問題がある。 まず、男同士……俺は三沢さんを好きなので問題にならない。ネットでいろいろ調べて、知識も身につけた。 下世話な話、俺はもう三沢さんで抜ける。あの逞しい身体を触って舐めてかじって無茶苦茶にしたい。三沢さんが望むなら尻を差し出したっていい。 次に、年齢差……今どきよくある話だろ?物足りないって思われないように押して押して押しまくっていこう。 それと、階級差……こればっかりは俺にはどうもできない。でも、三沢さんは仕事とプライベートはきちんと分けるタイプみたいだし、したっぱに掘られるのはプライドが許さないっていうなら俺がネコでもいいってこれ言うの二回目だな。 つまり、それくらい、本気だってことをわかってほしい。 ……ので、課業ではなかなか関わるチャンスがない三沢さんに近付き意識してもらうために、俺は、『とにかく三沢さんの視界に入る』作戦を展開した。 具体的には三沢さんの出勤退勤を狙って挨拶しにいくとか、休日はひたすら後をつけ、偶然を装って目の前に現れるとか。 ストーカー? それは変な手紙を送ったり郵便受けやゴミを漁ってプライバシー侵害したり、害があるやつだろ? 俺はそういうことしないから。あくまでさりげなくそれとなく三沢さんを見守ってるだけだから。 ただの恋する二十一才だから。 この行動のおかげで三沢さんに彼女も彼氏もいないのは確信できたし、彼がかなり規則正しい生活をしてるのも、近所の猫になつかれてるのもわかった。 ……とはいえ、三沢さんが暮らすマンションの窓明かりを電柱の影から見つめる金曜深夜そろそろ零時、半袖Tシャツの上にパーカーだとちょっと寒くなってきたな……明かりが消えたら、駅前の喫茶店で五時まで寝てそれから再度張り込みして、休日の三沢さんとの接触〜あれっ三沢さんも買い物っすか偶然ですね、自分よく三沢さんに会う気がするんですけどこれって気が合う証拠ですよね〜作戦に備えるか。 おかげで吸いもしない煙草やら特に意味はないケチャップやらを持って帰ることになるが、適当に配れば欲しがるやつはいるので問題ない。 この風の冷たさ、もう秋だなぁなんて思ってたら、マンションのエントランスから誰か出てきた。 威圧感たっぷりの長身、ちょっとヨレたTシャツの上からもわかる見事な筋肉、きれいに反り上げたスキンヘッド……三沢さんだ。こんな時間に、部屋の電気をつけたままどこ行くんだ? ついていくだけだけど。
と、思ってたら、三沢さんは左右を見渡し、こっちに来た。 えっ、なに。俺に気付いてくれたのか? そんなことってあるのかな、期待していいのかな……ドキドキしてる間に三沢さんはずんずんと俺に近付き、電柱を回り込んで……なんと、間抜けに突っ立ったままの俺を、向かいのマンションのフェンスの間に閉じ込めるみたいに片手を電柱についた。 眉間に皺を寄せた男らしい顔がいまだかつてないほど近い。 「三沢三佐、こんばんは」 そうだ、まずは挨拶。これからの展開に期待と不安と緊張を抱きつつ頭を下げると、眉間の皺が深くなった。 「永井陸士長」 「はい」 ああ、三沢さんも緊張してるのか声が低い。そんなに顔をこわばらせなくたって、告白なら二十四時間受付中です! 「どういうつもりだ」 うん? どういう意味だろ? 「何が目的で、俺をつけ回す」 「やっぱり、気付いてくれてたんですね!」 嬉しくて笑うと、三沢さんはちょっと身体を引いた。やだな照れないでくださいよ。それにしても何が目的だなんて、三沢さんでも確証持てなくて不安になるんだな、大丈夫、すぐに安心させてあげます。 「目的なんて、決まってるじゃないですか。三沢さんと恋人になりたいんです」 目を見開いた三沢さん。ちょっと可愛い。 「……ふざけてんのか」 「真剣です!」 「ここで俺を監視する理由がそれで通ると思ってるのか」 「う……すみません。やっぱり、普通に声かけて誘うべきですよね。でも俺、三沢さんみたいな大人のひとが好きな店わからなくてがっかりさせたくなかったし、観察してればいろいろわかるかな、それと少しでも三沢さんのそばにいられるならいいかなって思ったらじっとしてらんなくて……だけど三沢さん料理できるんですねいつもスーパーで買い物してますもんねすごいです、俺もいつか三沢さんの手料理食べたいです、あっ俺もチャーハンなら作れますからね、良かったら食べてください! 自信あります! えっとそれから……」 しまった。 いままで、三沢さんに心のなかで語りかけてた分、一気に喋りすぎた。 三沢さんが引いちゃってるよ……バカか俺は。 「永井……」 なにか言おうとして、三沢さんは口をひらき、閉じ、それから、口の端をちょっとひきつらせて(もしかして愛想笑いしようとしてる?)、俺の肩を叩いた。 「営舎に戻って寝ろ。それから……カウンセラーを紹介してやるから、きちんと診てもらえ。大丈夫だ、お前はまだ若い。取り返しはつく」 「三沢さんが寝たら俺も寝るつもりでしたけど……やっぱ、俺が年下なのが気になりますか? 俺、三沢さんから見たらガキっぽいかもしれませんけど、これから成長しますから、将来性を買ってもらえないでしょうか」 三沢さんはもう、困った顔を隠そうとしない。眉が下がってて可愛い!なんて思ってる場合でもなく……そういえば俺、まだ肝心なことを言ってなかった。 いつのまにか下げられていた三沢さんの手をそっと握る。ビクッとされたが、振り払われないんだから脈ありだ!よし! 「好きです、三沢岳明さん。俺と付き合ってください」 五秒。まばたきもせず俺を凝視する三沢さんからは返事がない。 「まずはデートからで構いません。よろしくお願いします。好きです」 念押しと駄目押し。 大きな手をぎゅっと握りしめると、またビクッとされた。 「永井、俺は…………無理だ」 「無理じゃないですよ! まだ全然いけてます!」 にゅにゅにゅ、と三沢さんの口がへのじになる。ああなんて可愛いんだろう。 「今すぐが駄目でも、俺は絶対諦めません、三沢さんがいいって言ってくれるまで口説きます!」 「……永井、近所迷惑だ。叫ぶな」 「りっ……了」 叫びかけてあわてて音量を絞る。 「とりあえず、部屋にあがれ」 「い……入れてくれるんですか!」 嬉しすぎる。 ちょっと涙ぐんだ俺を、三沢さんはなんともいえない顔で見た。
かくして、まんざらでもなさそうなのになかなか素直に俺の愛を受け入れてくれない三沢さんと、とにかく押してみる俺の攻防戦がここに開始した。
×→まんざらでもない。 ○→どう対応したらいいかわからない。
2013.09.02
【お題:三永ピロートーク】
仰向けの姿勢で息を整えるうち、壊れそうだった動悸は次第に穏やかになっていった。 さんざん穿たれ揺れて鳴いて極めて吐き出した永井の身体のなかでは、ぬるい疲労と気怠い満足がイコールでつながっている。 筋肉質の男ふたりがもつれあうには不適切なシングルベッドは掛け値なしに窮屈だが、ちょっと身動きをすれば情人に触れることができるので、居心地は悪くない。 肌身の奥に籠る熱に新しく湧いた汗が流れ落ちていく擽ゆさに吐息して、永井は隣で同じように落ち着いていた三沢に手をのばした。 無防備な腹に手をおいて、指先でゆるりとさする。固い筋肉の畝が見事に隆起した腹筋がひくりと蠢いたのが、大きな動物を構っているようでなにやらたのしい。 みぞおちまで這わせた掌をその場に留め、皮膚と肉と骨のしたに、とくりとくりと力強い心音が打っているのを確かめていると、三沢が「暑い」と低く唸った。 不快げに眉間に皺を寄せて、それでも永井の手を払いのけたりはしないのが彼らしい。 「窓あけますね」 永井はベッドの上に半身を起こして、カーテンの内側を手探りしてサッシ窓を引いた。 晩夏の宵らしい、涼を含んだ風が火照った肌を撫でる心地好さに目を細め、視線を感じて振り向くと三沢が先ほどと変わらない渋い表情でこちらを見ていた。閉め切っていた窓を承諾を得ずに開けたことがさらに不興を買ったのか。しかし、暑さを訴えたのは三沢なのだし、情交の名残りが籠もる空気も入れ換えが必要だったはずだ。 彼の胸中を探るように見つめ返しても、三沢はなにも言わない。 「なんですか」 「なにか着ろ」 膝立ちになった永井は一糸纏わぬ裸形のまま、窓から差し込む薄明かりにぼんやりと照らされている。 さっきまでこの身体を好き放題に犯していた癖に、堅物ぶりやがってと腹の底にぬるい苛立ちが湧いた。 「三沢さんもマッパじゃないっすか」 「俺はいいんだ」 「なんで俺は駄目なんっすか」 意味わかんねえ。口の中で悪態を吐き、四つん這いに顔を近付けると、三沢はふう、と吐息した。 「……着たくねえなら、こっちに来い」 腕を引かれて崩れた体勢を立て直す暇もなく、タオルケットに巻かれた身体を三沢の腕の中に閉じ込められた。 三沢の体温は永井よりも低いとはいえ、四肢を絡めるようにぎゅうぎゅうと抱かれるとさすがに暑い。 ―― いやじゃないけど。 むしろ、情事の後は……否、常と変わらず素っ気ない三沢を、なまぬるい余韻の中であれこれと弄るのはいつも永井のほうだ。 「なんなんすか、もう」 抗議の声ももごもごと尻つぼみに、タオルケット越しの体温と三沢のみっしりと重い筋肉の詰まった体のいかつい存在感を味わっていると、関節が潰れたように太い手に髪を撫でられた。 「三沢さん?」 本当に、今日はどうしたのだろう。またぞろ騒ぎだした心臓を意識しながら、無理に首をひねって三沢の表情を確かめる。先ほどとは違って、眉の下がった、少し困ったような顔だ。 「ねえ、なんなんすか、さっきから」 「お前が剥き出しになってるのは……」 ゆっくりと吐き出される言葉を、咀嚼して脳に刻む。 「落ち着かない」 「えーと……俺が素っ裸でいると、むらむらするんすか?」 「違う」 きゅっと耳たぶを捻られて「ってぇ」上げた悲鳴は「阿呆なことを言うからだ」白い眼差しに切り捨てられた。 「じゃあ、なんで」 「……守られてる感じがするだろう。包んであると」 「はあ」 バラキューダで覆って偽装した戦車を思い浮かべてあいまいに頷くと、永井を抱く腕に力が籠もった。 「無防備なまま、攫われても困る」 つまり、永井があまりに無防備な様子でいると、消えて失せそうで不安だと。そういう話らしい、と見当をつけて、皮膚がむずむずと痒くなるような、じりじり痺れるような妙な感覚に襲われた。 ありていにいえば、照れ臭い。 「……困るって、俺がいなくなったら、っすか」 「さっきから、その話をしてんだろうが」 ぶっきらぼうに吐き捨てた三沢の顎が額に触れて、ちくりと刺さる感触がする。 「三沢さん、ヒゲ伸びてきてますよ、って、ちょ、擦りつけないでくださいよ!」 ひとしきり暴れて、押し離した三沢の目は笑みの形に歪んでいた。 理由なんて、知れている。なにしろ、もう、暑くて仕方ないのだ。 恥ずかしい発言をしたのは三沢のほうなのに、永井が照れて赤くなってしまうのは非常に理不尽だ。ぽかりと三沢にぶつけた拳をほどいて、肩を掴む。 「三沢さん」 「なんだ」 「……腹隠さないと、風邪ひきますよ」 「そうか」 「そうです」 タオルケットを引っ張り、二人の肌を隔てる物をなくしてから、あらためて身を擦り寄せる。 背を撫でおろした三沢の手が怪しい動きをするのに、永井は思い切り眉を顰めた。 「窓開いてんすけど」 「お前が開けたんだろう」 「っすけど……みさぁさん、ねえ、ほんと……閉めさせてくださいよ」 永井の抗議など素知らぬ振りで蠢く手に、甘えた吐息しか出ないのでは説得力は皆無だ。 声を堪えきる自信は乏しい。近所迷惑にならないことを祈って、三沢の背に腕を絡める。 ―― こんな風に繋ぎ留められてたんじゃ、何処の誰も俺を持ってけないだろうな。 ひそりと笑った永井の上で、夜風が小さな渦を巻いた。
▼ついろぐ。 ▼闇沢×屍永 7/31 きっと生き延びているだろうと根拠もなく思い込んでいたのは、買い被りだったらしい。 大事な大事な部下は、何処で下手を打ったのか白く裏返った目の縁から赤い血を流し、濁った呻き声をあげては笑っている。 「もうちょっと根性あると思ってたよ」 突き刺した銃剣を回し、肩を抉ると永井は不快げに唸り小銃の筒を掴んだ。 「みさわぁ」 「はいはい、俺だよ」 どうやら認識はできているようだ。実に結構。 「上官とかぁ関係ねー、よ」 軋んで濁った声でも、生意気さはかわらない。 いかにも永井の言いそうな台詞に、笑ってしまった。 「そうだな。今は敵同士ってやつだ」 どうすればいいかは知っている。 こいつに止めを刺して屍霊を追い出し、適当な闇霊に殻をくれてやれば、永井はもう少し賢くなるだろう。 ―― しかし、それは彼の幸せだろうか? 肩から銃剣を引き抜き、靴底で腹を踏む。覗きこんだ顔は怒りと屈辱を露わにしている。 まったく幸せそうではないが……すくなくとも、怯えても、哀しんでもいない。
//というところからエロに持っていく超展開も可能。そう、ラリ沢さんならね。
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