【オキ永をいちゃいちゃさせたいだけ!】130508



 外は春の雨。
 なにをする気にもなれない。


 黒く濡れた鼻を蠢かして手のひらに押し付けてくる仔犬の、むくむくと膨れた毛玉のような体をめちゃくちゃに撫でてやっているナガイは、幸せそうな笑顔でいる。
 子犬が二匹でじゃれあっているとしか見えない光景を眺めていると、オキタまでなにやらあたたかい気分になってくるのだから、貰ってきた甲斐があったというものだ。
 ……あったが、オキタの存在など忘れたかのごとく夢中になっているのはいただけない。
 昨夜など、布団のなかでことに及ぼうとした矢先に、犬がくんくんと夜鳴きしているのを聞きつけたナガイはオキタを放り出して構いに行ってしまったのだ。いくらなんでも甘やかしすぎだと文句をつけても、庇うように子犬を抱き締めたナガイに、批難がましい上目遣いで睨まれてしまった。
 親兄弟から引き離されて寂しがる仔犬を自分の境遇に重ねているのか、それともただの犬好きか……溺愛といっても過言でない愛情を注いでいるのは、微笑ましさと同時に、嫉妬を誘う。
 オキタとて、犬は好きだ。可愛いと思う。頼れる相棒であり、信頼できる存在で、家族ともいえる。
 だが、それはそれ、これはこれ。
 恋人同士の時間にまで侵食してくるとなれば、うらめしくもなるというものだ。
 ひとしきり構いつけてお互いに満足したのか、地面にころんと転がって眠そうな仔犬の腹をひとなで、ナガイはようやく土間からこちらに戻ってきた。
 床に転がり、頬杖でだらけているオキタと目が合うと、小さく吹き出す。
 オキタの横にしゃがみこみ、仔犬にそうしていたように頭を撫でてくるのは、オキタがよほどつまらなさそうな顔をしていたのか。
 髪をすく指の感触が案外と心地よくて、おいてけぼりを食らった気分が帳消しになる。
 手を掴み、顔の前に持ってくる。拾った頃には割れて欠けてひどい有り様だったナガイの爪は、いまはすっかり綺麗にそろって、引っ掛かることもない。
 それだけの時間を共有していることにも満足がわいて、指先に口づけると、ナガイはうろたえた風に手を引いた。
 それは追わず、起き上がって、いつものようにナガイを背中から包むように抱き締める。
 こうすると、ナガイはすっかり力を抜いてオキタに体を預けてくる……今も、そうなった。
 腕を撫で、啄むようにこめかみに口付けて、あたたかな肌に頬を寄せる。
 ナガイは腕を伸ばしてまたオキタの髪を撫で――自分から、唇をかるくあわせてきた。
 ことの最中はともかく、普段は恥ずかしがってしてくれなかった行動に、嬉しさより先に驚きが来る。目を見開いたオキタに面映ゆそうに微笑みかけてから、ナガイは膝の上に顔を伏せてしまった。
 ……やはり、恥ずかしくなったらしい。
「ナガイ、もう一度してくれよ」
 オキタの頼みにも、ますます縮こまるだけだ。
 結果として無防備にさらされたうなじに唇を落とし、犬のように歯を立てると、ナガイの背中がびくりと波打った。
 なかなかいい反応に、昨夜お預けをくらってくすぶっていた欲が息を吹き返す。
 袷に手をさしいれ、どれだけ触れても飽き足りない熱くなめらかな肌の感触を楽しみながら、うつむいた目元、色づく頬を唇で幾度も辿り、もう一度、と促す。
 とうとう観念したナガイがくれた口付けは、折り重なってもつれあう身体の狭間で、もう、どちらからだったか区別がつかなくなった。


 外は春の雨。
 恋しいひとに寄り添う以外、なにをする気にもなれない。




【オキタさんじゃないけど、オキタさん(仮)。】130607
【運命定理の導火線】


 うす青い電光が灰色の天を照らした。数えて八つの間に、空を揺らす轟音が響く。
 雷はどんどん近付いてきている。
 ここに落ちるだろうか。
 足早に山腹の猟小屋に向かいながら、オキタは近頃、街を騒がせている噂を思った。
 かつて、邪悪な人間たちをこの世界から追い落とす反攻がはじまった聖地――女神のおわす島に、人間が現れたと。
 人間は民を殺戮して船を奪い、島を出たようだと、警戒を促すニュースはラジオで聴いた。馬鹿馬鹿しい作り話だと笑い飛ばすにはあまりに真に迫り強張った声音、次々と舞い込む惨劇の物語に、闇人たちはすっかり萎縮している。
 それにも関わらず、オキタの心には、奇妙に浮き立つ予感が根を下ろしていた。生まれてからずっと持っていた違和感が、初めから何かが欠け落ちている喪失感が、身の奥に巣食う空虚を満たす何かを待ちわびている感覚が、求めるものはすぐそこにあるのだと叫んでいる。
 それがなんなのかは知らない。
 だが、渇望しているものだ。


 音と光はもう幾らも離れておらず、山のどこかに雷が落ちた気配であった。
 小屋の扉を肩で押し明けるようにして入り、錠を下ろす。
 水を含んで重くなった日除けが張り付くのにうんざりしながら手早く解いて、壁に打ち付けた杭に引っ掛ける。ついでに上衣も脱いでしまって、単衣に下穿きというなんともしまらない格好になったが、誰も見ていないのだから構わない。
「何をしてるんだろうな、俺は」
 思わず、ひとりごちる。
 絶滅したはずの怪物の再来に怯える世間から解離して、危機感もなく、ふわふわと曖昧な熱に浮かされてこんな場所に来ている。
 正体もわからず、希求し続けていたなにかが自分を引き寄せる。そんな感覚は、どう言葉を尽くし、誰に説明したって理解されないだろう。
―― 少なくとも、怪物ではないはず。
 体を拭きもせず、丸木の椅子を引いて腰を下ろし、床に点々と落ちている水滴を見やって……奇妙なことに気付いた。
 扉から、オキタが動き回った跡とは違う方向に、泥だらけの足跡が……乾ききらないまま、続いている。
 狭い猟小屋だ。先客がいたならすぐわかるはずなのに、いくら雷に気をとられていたからといって何故、見落としたのだろう。背後でなにかが動いた気配に、なにを思うこともなくオキタは振り向き。
 小屋の壁を揺らす轟音と、換気の小窓から射し込む眩しい雷光のなかで『それ』を見た。
 かたちは闇人とかわらない。
 ずぶ濡れの日除けを纏い、泥に汚れて判然としない容貌のなかで目だけをぎらつかせて鉈を振り上げているその生き物が、人間だと一瞬で理解した。自分は殺されるのだということも。
―― あ、死んだ。
 思うと同時、死と視線が交わる刹那に胸の奥を貫いたなにかが、欠落を完全に充たしていく。
 足りなかったもの、探していたもの、欲しかったものは、これだ。
「ながい」
 思い出せなかった、知らなかった名前が、無意識に唇をついた。
 怪物が身を震わせ、軋るような呻き声をあげる。ぞっとする、おぞましいばかりの響きは、なぜか悲しげに聴こえた。
 鉈は降り下ろされず、ごとりと床に落ちる――彼に当たらなくてよかったとだけ、思った。



 結論から言うと、オキタは今でも生きている。小屋に住み着いた人間はおとなしく、オキタが「ながい」と呼ぶと目を閉じて頭を撫でさせる。
 泥を洗い落とす時には多少抵抗されたが、噂に語られるような怪物じみた力ではなく、痩せこけて傷だらけの体は、いくらもたたずに息をあげてぐったりとしてしまった。違和感しかなかった、髪と同じ色の髭を落としてしまうと、まだほんの少年のような幼い顔立ちをしているのもわかった。
 知恵はあり、身振り手振りで意思の疎通もできるし、自惚れでなければオキタに気を許しているらしい。不思議とは思えない、オキタ自身が「ながい」は傍にいて当然の存在だと感じているのだ。
 ただ、彼は声を出さない。
 出会った時に聴いた呻き声、それと。
「ふ……あ、……っう」
 臥し床に組み敷いた熱いからだを抱いている時に、堪えきれず溢す泣くような息と、短い喘ぎ、それだけだ。
 声は出せるのだから、喋れないわけではないだろう。一言でも意味のあることばを発したら、誰かに見つかると思いこんで怯えているように思えたが、確かめようもない。
「ながい、ながい」
 オキタの雄をきつく締め付ける熱く濡れた後孔は、躰がそこから溶け崩れてしまわないのが不思議なくらい、痛いほどの快感を与えてくる。
 客観的にみれば狂気の沙汰としかいえない、胸のうちから尽きず込み上げる衝動をぶつける交わりは、重ねるごとに欲求を減らすどころか膨れ上がらせる。いっそ抱き殺してしまいたいほど凶暴で、傷ひとつも作りたくない臆病な愛情に支配されながら、この奇妙な恋人を飽かず求め、あまさず応える身体に耽溺しきっている。
「なあ、呼んでくれよ。俺の名前、知ってる、だろ?」
 汗にはりつく髪をかきあげてやり、口付けの合間に囁いても「ながい」は答えない。不思議な色の目に苦しげな光を浮かべ、オキタを抱き締めるだけだ。
 殺戮者の、縋りつく腕に助けを求められていると感じながら、オキタは彼になにをしてやればいいのかわからず、先を急かす本能に唆されて、せめてと甘い啼き声をあげさせた。


 遠く、雷が響いている。夏の間は猟小屋に篭っていても誰もオキタを怪しまない。
 そこから先の算段はなにもたてていない。ラジオから流れる音声は、人間の姿は見られなくなったが、死体が見つかるまでは警戒を解かないようにと告げている。
 ……閉じ込めておかないと。
 誰の目にも触れさせず、誰の手にも奪わせない。
 ようやく取り戻せた。そんな充足を与える怪物の、穏やかな寝息に動く背を撫でて、オキタも目を閉じた。


 青い空と光に満ちた奇怪な世界の夢には、音がない。
 先を駆けては振り向き、ほがらかに笑い、自分を呼ぶ永井の声がきこえない。
 たった一度でも、永井が呼んでくれさえしたら、なにもかもがわかるはずなのに。




2013/07/16 18:51
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