【バレンタインデーだよ闇沖田さん!!!】

 2月14日。
 季節や暦などあってなきが如しの夜見島ではあるが、生前の殻の記憶と習慣を引きずる闇人たちは数日前からそわそわと落ち着かずにいる。
 否。
 浮き足立っているのは闇人ばかりではない。
「ひいぃぃぃぃ(あなたのために作ったの、食べてくれる?//////)」
「うぉう!……うぉぉ(揉子の手料理ならなんでも食うさ! しかしこりゃあ……チョコレート鍋か?)」
「ひぃぃぃい……(だって、今日は二月十四日、でしょ?)」v
「うぉお……おお……(……そうか、今日はバレンタイン……お、俺のためって/////)」
「ひいぃ……(あなた……/////)」
「うぉぉぉ……(おまえ……//////)」
「うぅぅあ……(一藤一佐が幸せなら、自分はそれでいいんです……泣きません……)」
 なにやら永井には理解できない、いや、したくない世界を繰り広げている見覚えのある屍人たちはさておき、土鍋で怪しい具とともに煮えているチョコレートもどきの液体では奪取しても意味がない。
「ハズレかよ……」
 甘いにおいに惹かれてやって来たものの、空振りに終わったと、永井は身を潜めた物陰でひっそり嘆息した。
 ここは撤退、バカップルは放置して次のターゲットを探すことにする。
 小目標は『チョコレートの入手』。
 官級品のやたらとボリュームのある板チョコでも、チョコ味のカロリーメイトでもいい。訓練の最中に腹が減るからと、溶けるリスクをいとわず持ち込んだ隊員は絶対にいたはずだ。
 殺してでも奪い取る気概で、フェイスペイントはばっちり、前髪も立ててきた……この気合いのご利益かどうか、今日はまだ『あれ』に遭遇はしていない。
 しかし、刻一刻と迫る夕暮れはタイムリミットの合図でもある。
―― 出くわす前に手に入れないと、絶対、やばい。
 ハロウィンに先手を取り損ねた末に味わった惨劇は決して忘れていない。
 クリスマスも、正月も、節分も、イベント大好きなあの闇人のお陰で思い出そうにも忘れられない目に遭わされてきたのだ。
『今日は○○の日だから、特別に気持ちよくしてやるよ。嬉しいよな』
 不穏な笑顔とセットの死刑宣告、もう全然嬉しくない。死んでほしい。死んでるが。
『はぁ……どうせ逃げ場なんてないんだから、最初からおとなしく好きにされろよ、永井』
 撃っても殴ってもぶった斬っても追ってくる、沖田闇人の『好きにされ』た時のことを考えるだけで体が熱く……ではなく!肝が冷えてくる。
 人間だった時もアブノーマル一歩手前なことをあれこれされはしたが、闇人の沖田は一歩手前どころじゃない完全に向こう側だ。達した直後の×××と×××を弄られ続けて潮吹きまでさせられた日にはもう情けないやら気持ちいいやらわけがわからなくなって沖田にしがみついてわんわん泣い……。
「死にたい……」
 一瞬、変な風に疼いてしまった下半身を引きちぎりたい衝動にかられつつ、がっくりとうなだれた背中に、「あれえ」と明るい声がぶつかった。
「永井じゃん。昼間からうろついてるなんて珍しいね」
「ニヤニヤ……」
 相性通り、にやにやというかにたにたというか、名状しがたい笑顔の闇人が、黒い破れ傘をくるくると回しながら手を振っている。
「うっわなにその顔、なにと戦うの」
「沖田さん」
「……ああ、なるほどね」
 思い切り納得されたのが微妙に悲しい。
「なあ……チョコ持ってたら譲ってくんね? あいつと戦える弾薬が必要なんだよ」
「カブトムシならあるよ」
「いらねーよ。食うのかよ。チョコが欲しいんだよ」
「投げつけたチョコに沖田さんが気をとられてるあいだに、遠くまで逃げる計画か。3個は必要だね」
「三枚のおふだかよ……じゃなくてな、漫才してる余裕はねえんだよ。他の誰かでもいいから、持ってるやつに心当たりあったら教えてくれよ」
「俺はわかんないけど、パンダ先輩に聞いてみれば? みんなの持ち物チェックが趣味だから」
「わかった、ありがとな」
「どういたしまー」
 ……かくして、生前も現在も不健康そうなハンサムをどうにか捕まえて「チョコのありかを知らないか!?」と聞いた結果は。
「スコップなら、持ってるかもしれん」
 簡潔にして、希望に満ちたものだった。
「ほんとか!」
「多分な」
 パンダの『多分』は、他の人間の『確実』だ。
 人間ではなくなった今も、その情報の正確さに賭ける価値はある。
「サンキュ、行ってくる!」
「でも、おすすめはしないぞ」
 パンダの呟きは、駆け出した永井にはもう聞こえていなかった。



 かけずり回っているうちに、日は完全に傾いた。小学校前で闇霊の集団につかまり、だっこやおんぶをせがんできたのを相手してやっていたのが主な敗因だが、奴らを手懐けておけば対沖田緊急障壁(薄い)になってくれるため必要な措置だ。決して、ほだされてはいない、可愛いとは思っていないし、最近では個体を見分けられるようになってますます愛着が増してなんかないんだからね/////と、余裕をかましていられない。
 一秒の差が男心の生死を分けるのだ。
 そんなわけで、ウサギ小屋の前をうろうろしている目隠れ迷彩服に突撃し、肩をがしりと掴んで
「俺にチョコくれよ!」
 叫んだ永井の形相は、鬼気迫るものだった。
 しかし、スコップは五秒ほど硬直し。
「永井……今日は何の日か、知ってんの」
 なぜか上擦った声で悠長な質問を返してきた。
「バレンタインデーだろ!」
「俺のでいいの」
「いいから、持ってるんならくれって! お前がくれないと、俺は……」
 妖しいピンク色で凄惨な未来予想図が脳裏をよぎり、熱いものが瞼の裏にこみあげる。
「なぁ、頼むよ……お前からくれないんなら……」
 武力にものを言わせるだけだ、と、銃に伸ばしかけた永井の手は、スコップの手にそっと包まれた。
「あ、あげるよ。チョコレート」
「まじで!?」
「うん。……永井に、もらってほしい」
 やはり遠くのカーチャンより近くの友人、持つべきものは友である。
 変わり果てた姿になろうとも、二人はズッ友だょ……!
 熱い友情に感動している永井の手を、スコップはさらに強く握る。永井も、しっかりと握り返した。
「ありがとう、スコップ。この恩は忘れないからな」
 あと二週間くらいは。
「お、俺のほうこそ……まさか永井から欲しがるなんて思ってなくて……すごい、嬉しい」
「おおげさだろ」
「ずっと無理だと思ってたんだ。でも……永井は沖田さんより俺がいいんだよな?」
「え? ……あ、ああ、うん……お前は俺に変なことしないし?」
「……したくないわけじゃ、ないから。したい、から」
 なにか、おかしい。
 会話が噛み合っていない。
 布の影になったスコップの眼差しが、やけに熱く突き刺さっている気がする。
 あれ?と首を傾げた永井の視界が、さらに傾いた……というか、反転した。
「うぁ!?」
 背中と後ろ頭に衝撃が来て、軽く目を回す。
 それでも、スコップに押し倒され、やけに鼻息荒くのしかかられている状況は把握できた。抵抗する間もなく、かっと口を開いた白い顔が近付いてくる。
―― コイツもやっぱり闇人ってことかよ!
 噛まれるのを覚悟した永井の唇に、柔らかいものが触れた。
「…………っ!?」
 噛まれている。噛まれてはいるが、なにか違う。
 永井の下唇、上唇を交互に軽く吸って、薄く開いた口にすかさず柔らかく湿ったものをねじこんで、濡れた粘膜をこするコレは。
―― いやいやいや、なんでベロチューですか!?
 衝撃のあまり脳内言語が敬語になる。永井の両手、指をしっかり絡めて地面に縫いつけたのをきゅっと握ったスコップは、ディープキスをかましながら身体全体を密着させてくる……といっても着膨れているので密着感より圧迫感のほうが強いが。
「んっ、んん!」
 やめろ離せと言いたくても、発言どころか息継ぎさえ危うい。酸欠でくらくらしはじめた脳は、スコップの勢い任せのキスからもじわりと快感を拾い始め、永井の身動きは抵抗から別種の何かに姿を変えようとしていた。
―― やばい、これ。
 荒い呼吸の合間、スコップが冷たい頬を擦り寄せてくる。
「永井……これからは、俺が守ってやるからな」
 いやまず今のあなたが脅威です。なぜに上着の前を開きますかTシャツの裾から手を突っ込んできますか闇人のくせに生唾飲み込んでますか。
 言いたいもろもろは再びの口付けに飲み込まれ、永井は世の中の理不尽さを呪った。
―― 俺は、チョコが欲しかっただけなのに!
 嘆く永井の上で、ごつっ、と鈍い音が響き、覆い被さる身体から力が抜ける。
 涙に霞んだ視野で、きれいに気絶したスコップが文字通りに浮き上がり、ぽいと脇に放り出された。
 誰が助けてくれたかなんて――――――知りたくなかった。
 壮絶な笑顔の沖田が、こちらを見下ろしている。
「バレンタインデーに浮気かあ……チョコ探すのに手間取ってたらこれだもんなぁ、永井も冷たいよな」
「う、浮気じゃないっす」
 そもそもお前と付き合ってねーよなんて言葉は、目が全く笑っていない氷点下スマイルに封じられる。
「じゃあなんだ? こいつが本命で俺が遊び?」
「違います」
「……そっか。だったら、永井は俺のもので間違いないな」
 なぜそうなる。
 動けない永井を両手両足で囲う四つん這い体勢で、沖田は、にたぁ、と闇色の笑いを深くした。
「永井は俺のものだって、ちゃあんと教えてやんないとな……そいつと、永井のカラダに、さぁ」
「それが言いたかっただけですよね!」
 ようやく突っ込めたが、時すでに遅し。
「今日はバレンタインデーだろ? いいもん見つけたから、永井にたーっぷり、食わせてやるよ」
 沖田の右手に握られているのは、どこにあったんすかそんなもんと問いたい、昔なつかしパラソル型の棒つきチョコである。……やけにサイズが大きいが。
「ちょ、そこは口じゃないですっ!!」
 これも闇人の力というものなのか、抵抗する間もなくひん剥かれた下半身、その、
「んー? いっつも俺のを美味しそうにくわえてる可愛いお口だろー?」
「へ、変態! えろおやじ! サイテーっす!!」
「恨むんなら自分の迂闊さを恨めよ」
 ドスの効いた低音と笑顔のギャップがやっぱり怖い。
「大丈夫大丈夫、すぐに気持ちよくなるからなー」
「やめ……アッー!」


 そんなわけで。
 永井の下のお口は、上のお口ではとてもじゃないが言えないようなとんでもないことをされるに至った。
 具体的に申告すると、後ろに棒つきチョコを後ろに突っ込まれて、異物の感触に慄く間もなく前を弄りながら散々責め立てられて、腸内の熱で溶けてきたチョコを啜り出される事案発生。
 絵面を考えると最悪の一幕であり、殺意を抱くには十分、沖田闇人をぶっ殺してなかったことにしたかった。
 しかし、実際に口をついて出てきた言葉といえば、
「おきたさっ……ああっやだぁっ、吸いだしちゃやぁっ……ひっ、ああ!」
 だとかなんとかで。
 ……そのあと、どこに入ってたかはよぉく知っているが考えたくはない、どろどろの甘い何かを口移しで飲まされながら沖田のモノを突っ込まれ、さんざん揺さぶられるに至っては、死にたくなった。
 これまた、実際に口をついて出て来た言葉はといえば、
「きもちいぃよぉ、あっ、んあっ、これすきっ……」
 だとかで。
――  そりゃね、男子ですからね、気持ちいいことには弱いですよ。しかもあの野郎、沖田さんの記憶を持ってるおかげで弱点を熟知してる。ついでに、沖田さんが言ってたこととか言いそうなこととか囁くんですよ。
――  だから俺の脳ミソがわいちゃってもしょうがないですよね?
 自分で自分に言い訳すればするほど、ドツボだ。
 なにせ、アレだ。
「ん、永井、俺のこと好き? もっと欲しい?」
 調子こいた沖田が、こんな時ばかりやけに優しく抱き締めて。あの非常に腹の立つにやにや笑いすら引っ込めて、耳元に甘い声を響かせつつ、自分からは動くのをやめて焦らすもんだから。しかも、なんとか達しようと己の下腹部に伸ばした永井の手を戒めるおまけつきなもんだから。
 もどかしさに、腰を動かしながら、
「おきたさんすき、すきぃっ……もっとぉ……ください……っ」
 そんなことを口走ってしまっても、いたしかたないというものだ。
「ふふ、よく言えました。それじゃ、ご褒美やろうなぁ」
「ふぁっ、おく、おくだめぇ」
「何が駄目なんだ?」
「きもちよすぎて……あ、あ、むりっ……もぉむり、しんじゃうからぁ」
「死んだら永井も仲間だなぁ。なってみるか?」
「や、だぁ……しちゃ、やぁ、あん!」
 などという痴態、否、醜態を思い出すだけで目の前が暗くなる。
――  あん!じゃねえよなんだよ死ねよ俺、まじ死にたくねえけど。
 そんなこんなでもう身も世もなく泣かされて、記憶からすっぱり消したいような言葉をさんざん口走りまくった。
 それも、永井としてはちゃんと口に出していたつもりだったが実際はろくに舌が回らず『らめぇぇ』になっていた、ように思う。
 途中で目を覚ましたスコップが泣きながら何処かにいってしまったことも、もはや責める気力はない。
 その代わり、永井の醜態についてはノーコメントでお願いしたい。


 こうして、永井の夜見島生活にまたひとつ黒歴史イベントが誕生した。
 しかし、過去に嘆く暇はない。
 ホワイトデーはすぐそこに迫っているのだ!


ニヤ「もうさ、諦めてらぶらぶしたらいーじゃん?」
永井「それはやだ……」


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【そしてホワイトデー時空】

<いままでのお話>
赤い津波にさらわれそびれて島に残留した永井くん(苦労性な非処女)は、闇沖田さん(フリーダムに変態)に貞操を狙われながら今日も元気です。
生前の沖田さんに操立てしていますが、なぜだかよく奪われます。

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 ホワイトデーの定番といえばキャンディ、クッキー、最近ではチョコレートのお返しもあるという。
 ものによって意味が異なるとも聞くが、永井には詳細がわからない。わかるのは、自分が危機が迫っているということだけだ。
 バレンタインデーに永井にチョコを押し付けてきた沖田(闇)が、ホワイトデーに何も要求しないわけがない。
 甘い恋の駆け引き、この島じゃむしろ恋の黙示録と呼びたい丁々発止の戦いが、今日も幕を開ける……。


 ブライトウィン号の乗客の荷を漁り、手に入れたのはキャラメル一箱。永井にとっては上等な弾薬だ。
―― あれ、ホワイトデーなのに何もないのか?仕方ないなァ、俺が永井を白くデコレーションしてやるよ♪
 ……それ最低の下ネタだからな!!
 生前の沖田とはかけはなれた、永井に対するセクハラが生き甲斐としか思えないアレのやりそうなことを大体想像できてしまうのが悲しい。
 というか、バレンタインデーに散々やられた。
 沖田の上に乗っかって自分から腰を振っていたことなど、思い出すたびに転げ回りたくなってくる。
 生憎とこんな時ばかりは勤勉に働いてくれやがる理性が、脳味噌からしっかりと『正直言うと、気持ち良かったんですけどね』としか言えない記憶を容赦なく引きずり出してくれたおかげで、永井はがくりと膝を崩し、片手で顔を覆った。
「沖田さん……俺……くじけねえっすよ……根性出しますよ……」
 折れそうな心は、生前の沖田を思い出して補修する。
 優しくて聡明で、いつだって永井を思っていてくれた沖田。彼の為にも、心を強く保って生きなければならない。
 変わり果ててしまった沖田を前にしようとも、懐かしい面影を心の中に宿していれば、負けたりしないのだ。パンダとニヤニヤいわくの「元からあんなもんだったろ」は、かつての沖田に対してあまりに失礼だ。それはもちろん沖田と永井は、世間一般の恋人同士がやるようなことはひととおりやっていた。時にはきわどいいたずらもされたし、羞恥にいたたまれなくなるようなこともあったが、いくらなんでもあそこまで酷くなかった。
 第一、アレは闇人であって沖田ではない。中身はたらこだ。
「お前らは、かわいげあんのにな」
 いつ沖田が来ても対応できるよう、砲台跡の見晴らしの良い場所であぐらをかく永井に、何匹かの闇霊が構ってもらおうと寄ってくる。
 団子になって取っ組み合ったり、永井の背中によじのぼってきたり、膝の上に頭を乗せたりと、見た目の不気味さに反する幼児か犬猫じみたしぐさは荒んだ心を癒してくれる。大きさのわりに軽いので、持ち上げて高いたかーいするのも苦ではない。
 まとわりついてくるのをうりゃうりゃと撫でてやり、つつき転がして遊んでいるうちに、一匹が「!」の記号そっくりのポーズを取った。
 転げ回っていたのが、慌てて永井の後ろに隠れる。
「来やがったか……」
 薄闇の中をゆらゆらと、何かを探すようにうろつき歩く黒いシルエット。
「永井、どこだー?」
 声だけはむやみやたらに爽やかなのが腹が立つ。
「俺はここっすよ、沖田さん」
 仁王立ちの体勢で、腹に力を籠めて応じる。
 沖田はびくっと立ち竦み、しかるのち、恐る恐るといった風情で白い顔をこちらに向けてきた。
「永井?」
 まさかこんなオープンな場所にいると思わずにいたのか。だったらいちいち呼ばないでほしい。
「他の誰なら良かったんですか」
 意表をついて先制が取れただけでも、幸先の良いスタートである。
 永井は大股に沖田に近付き、キャラメルの箱を差し出した。
「これ、ホワイトデーのお返しです」
 暫しの沈黙の後、沖田も手を伸ばす。
「ありがとう」
 ニタリでもニヤリでもない、穏やかな微笑みで受け取られてしまった。
 どさくさ紛れにセクハラをしてくるだろうと身構えていたのに、嬉しそうにキャラメルをしまいこむのも期待はずれ……では断じてなく、拍子抜けである。いや、これも永井を油断させて襲いかかる前振りかもしれない。
―― 騙されんなよ、俺。
 いつでも応戦できるよう、緊張と警戒を解かずに挙動を見守る永井に向かい、沖田は手を差しのべて
「デートしよう、永井」
 当たり前のように、直球の誘い文句を投げてよこした。


 気付けば鬱蒼と茂る森の中。永井は沖田と仲良く並んで歩いていた。
 とっさにはたき落とした沖田の手は、からっぽのまま二人のあいだにある。
 なぜついてきてしまったか。
 A.魔が差した。
 B.生前の沖田を思い出して懐かしくなったから。
 C.実は嬉しかった。
―― Aだ、A。
 沖田の魂のかたちを見たことはないが、白たらこでなかったことだけは確かだ。
 だからいま、永井の左隣をゆっくりと歩く闇人が楽しげな様子でいるのに切なくなってるなんてことも、ない。
「思い出すなぁ、永井と初めてデートした時のこと。それまで何度も二人で遊んでたのに、変に緊張しちまってさ。近道をしようって路地に入ったらラブホがあって……あん時の永井、ロボットみたいになってたよな」
「……沖田さんはニヤニヤしてましたよね」
 いまみたいに。
「永井の反応が可愛くてなぁ」
 それはお前じゃなくて人間の沖田の感想だろうと突っ込むのも馬鹿らしい。
「俺はこういうとこ歩いてると、演習場思い出しますよ」
 実際、この島では輸送訓練に参加する予定だった……始まりもしないうちから、永遠に終わらない訓練になってしまった。
 何事もなければ、連隊長の一藤、中隊長の三沢がいるとなれば現場の緊張はそれこそ初デート以上、帰りのヘリでは皆が疲労困憊で、永井は沖田に「着いたぞ」と起こされるまで寝ていたかもしれない。
 それも、仮定のまま、ありえない光景として過去に埋もれてしまった。
「永井」
 呼ばれて、俯いていた視線をあげると、沖田の気遣わしげな瞳とかちあう。
「大丈夫か?」
「別に……あんたに心配されるようなこと、ないから」
「そうか。良かった」
 突き放す答えにも、沖田は優しい笑みを見せる。まるで、永井が傍にいるだけで幸せだとでもいうような。まるで……生きていた頃の、沖田のような顔だ。
―― 違うのに。
 やけに甘ったるい空気に胸が苦しくなる。永井は震えそうな唇を奥歯を噛んでこらえ、ことさらぶっきらぼうに訊ねた。
「まだ、着かないんすか」
「そろそろかな」
 おかしな場所に連れ込む気なら、右手に持ったままの拳銃が火を吹くだけだ。
 永井の警戒に気付いていないわけもないだろうに、沖田は楽しそうな気色のまま、「こっちだ」と木々の中を通り抜けていく。
 獣道ですらない、夜の森の悪路を、明るいハイキングコースのように進む沖田に着いていくのは骨だが……懐中電灯は腰に提げたまま、点ける気にはなれない。
 電池の節約だ。闇人の体質を慮ったわけではない。決して。
「うわっ!」
 自分に言い訳をするのに忙しく、集中が切れたのが駄目だった。木の根に躓き、永井の体は前のめりに宙を泳ぐ。
 とっさに突き出した手が沖田の腰帯を掠め、掴みそこねた指先に衣擦れだけを残して、永井は無様に地面に倒れてしまった。下は柔らかい森の土であり、ダメージはない。手を前に出したために顔面を打つことも免れたが、間抜けさに嫌になってくる。
「くそ……」
 悪態をついて、膝立ちの体勢から立ち上がろうとした目の前に、革手袋の手が差し出された。
 戸惑ったのは僅かな時間。……黙ったまま、永井はその手を掴み、引き起こされるのに逆らわず立ち上がった。
 永井を立たせた沖田は、息だけで笑い、当たり前のように手を握ったまま歩きだす。
 沖田と外出した時、人目のない場所でこっそりと手をつなぐたびに、初々しい中学生のようにどきどきと胸を高鳴らせていたのを思い出す……恋人と逃亡生活を送る賞金首はこんな気分だったろうか、と、その日に見た映画の主人公の気持ちを推し量ったりもした。
 闇人の沖田は恋人ではないし、いまやこの島にいる最後の人間になった永井には、賞金首だなんて洒落にもならないフレーズだが。
「……これ、逆に歩きにくいです」
 抗議のために強く握った手が、同じだけの力で握り返してくる。
「転びそうになったら、引っ張っていいからな」
「子供じゃないんすから……」
 愉快そうな返事には、ため息しか出ない。そうして、五分も歩かないところで、沖田の手がほどけて離れていった。
「ほら、着いたぞ」
 木立の切れ目の先に、広い空が見える。涼しくなった指先に感じた寂しさも忘れ、永井は沖田の横をすり抜けて森の外に出た。
 海へと突き出した岬になっているそこは、展望台のようにきれいに開けた広場になっていた。眼下にうねる海原の沖に、灰色の雲のほんの僅かな切れ目からさす星明かりを映しているのか光のかけらがちかちかと波の間に瞬いている。
 綺麗だと、素直に思った。
木々のざわめきと波音を聴きながら、どれほど見つめていたか。沖田が、ぽつりと呟く。
「海の中に、空があるみたいだろ」
 左手の甲に沖田の右手が触れて、離れていく前に、永井は自分から指を絡めてしっかりと握った。
 立ち尽くして、静かに打ち寄せる波音を聴いていると、心も澄んでくる。
―― このひとは、沖田さんの“続き”なんだろうか。
―― 代わり、じゃなくて。
 風が動き、森がざわめく。
 わけもなく泣きたくなって、永井は細く息を吐いた。
「帰るか?」
 沖田の問いに、首を左右に振る。
 だいたい、どこに帰るというんだろう。ねぐらはその時々で変えている。
 ……主に、沖田と市子とその他の襲撃を避けるためだった、そういえば。狙われるのが命ではないあたりが泣ける。
「俺も、まだ帰りたくないよ」
 永井の眉間に力が籠ったのを知ってか知らずか、沖田の呟きはしみじみと響いた。
「ここは無人島でさ。俺と永井は、二人で不時着した、ってことになればいいのにな」
「なりませんし」
「夢を持てよ、永井。……最初から二人だけなら、ややこしくならなかったろ」
 その場合、沖田が生きていなければ話にならないが。
 案外たのしかったかもしれない、と思ってしまう。
「二人だけなら、簡単、だったんですかね」
「俺は永井と二人なら、どこだって良かったんだよ。他の何でも捨てられた」
「自分の命捨てたら、なんにもなんないですよ」
「……ごめんな」
 謝罪には首を横に振る。
 鼓動のない胸に抱き寄せられ、零れ落ちた涙は黒い布地に吸いとられた。無性に悲しくて、それでいて、背中を撫でる手のひらに切ない喜びを感じた。
「好きだよ、永井。……今の俺も、今のお前を愛してる」
「……俺は……」
 声が続かず、永井は唇を噛み締めた。
―― 記憶のなかの沖田だけを愛しているのに、こんなふうにほだされてしまっていいのか。
 躊躇いが、どうしても消せない。
 どうしたって、かつての沖田と今の沖田は違う生き物だ。
―― ああ、だけど。
―― この闇人が持っているのは沖田の記憶、沖田の感情だ。
 わかっているというように、永井を撫で続けてくれる優しさも変わらない。
 少しばかり、いや、だいぶスケベさが増して、変態が入ってきたとしても……。
「……嫌いじゃ、ない」
「了解。いまは、それでいいよ」
 沖田は穏やかに笑い、永井の背中を子供にするようにとんとんと叩いた。
 引いていく涙の名残りに吐息したところで、永井は腰から脊髄に走る戦慄にびくっと震えた。
「沖田さん……」
「ん?」
「ケツ揉むのやめてください」
 背をあやすのと逆の手が、永井の尻たぶを無遠慮に揉みしだき捏ね回している。
「なんだか右手が気持ちいいと思ったらいつの間に! 無意識って怖いな?」
「明らかに意識した動きだろうがふざけんな!」
 喋りながらも匠の技を発揮する指先にぞわぞわと込み上げる妖しい感覚を振り払い、永井は電光石火、沖田のこめかみに銃口を押し付けた。揉むのはやめても手を離さない沖田が、困り顔で笑う。
「やっぱり、今の俺じゃあ駄目か? ……俺はさ、お前を好きで好きで、仕方ないんだよ。だから……永井がどうしても嫌っていうなら、我慢する」
「なんだよ、それ」
「恋する男は馬鹿な生き物なんだよ。知ってるだろ」
 おどける沖田の、白い笑顔が滲む。
「ずるいだろ、そんなの」
「俺がずるいのも、知ってるよな?」
「……なくて、いい」
「え?」
「我慢、しなくていい……嫌いじゃないし。やじゃ、ないから」
 鼻をすすり、見上げた沖田は――闇人になってからはついぞ見ない、恐ろしく真剣な表情になっていた。
「落ち着け俺これは孔明の罠だ突然のデレ期から俺を奈落に突き落とす運命の悪魔が潜んでいるんだ」
「よくわかんないっすけど……文字数が尽きました」
「嘘!?」

※注:私の携帯から編集できるのは10000Byte(=5000文字)が限界なのでした。


↓↓↓↓

【ここだけホワイトデー時空・弐】

<いままでのお話>
 闇沖さんも残念だった。

↓↓↓↓


「我慢、なんか、しなくていい。嫌いじゃないし……やじゃ、ないから」
 好きかどうかはわからない、なんて、沖田の狡さをなじっておきながら自分も不実だと思う。それでも、寄り添う幸せを知っている心と身体は、永井に素直な告白を促した。
 銃を持っていた手はだらりと下げて、鼻をすすり、涙にぼやけた目で沖田を見上げる。
 沖田は瞬きもせずに永井を見つめていた。革手袋の指が、そっと永井の頬を拭った。
「俺に触られるのが、嫌じゃないのか?」
 小さく頷くと、白い唇がぎこちない微笑のかたちをつくる。頬を辿る手指の優しさにまた胸の奥が切なく軋んだ。
 暗くなる視界に、口付けられると思ったが、額に柔らかな布の感触があたり、沖田の顔は、鼻がくっつきそうな場所で止まった。額同士を触れ合わせた闇人が、温度のない、それでいて熱の籠もった吐息を通わせる。
「どうしたもんかな」
 ややあって、沖田がぽつりと零した呟きは、どことなく照れた響きを持っていた。
「なにが、ですか」
「嬉しすぎて、変になりそうだ」
「……いつも変っすよ、あんたは」
 投げやりに呟いて、厚い布を纏った背中に腕を回す。
 厚い布を纏った肩に頬を預けると、微かにあたたかいような気がした。
「だから、俺まで変になるんだ」
 そんなわけはないのに、この闇人を恋い慕っている気分になってしまう。
「永井」
 呼ばれ、顎をすくい取られて目を閉じる。
 軽く触れた唇はやはり冷たいが、触れあううちに自分の熱がうつることを、永井はよく知っていた。



 衣服をすっかり取り去られた素肌に、夜の潮風が少し冷たい。
 肌に当たる風に自分の姿を意識して、永井は背中の下に広げられた布を掌に握りしめた。いまは、永井の下に敷かれている黒い布……やけに肌触りの良い日除けの着物を取り去ってしまったせいで、こちらを見下ろす沖田の嬉しげな表情があからさまになっている。おまけに、腰の下に差し込まれた帯の塊が、上手い具合に体を持ち上げていて、まだ何もしていないのに誘っているような姿態を晒す永井は、相手からはとてもよく見えているはずだ。
 光が苦手なくせに星明かりは平気だなんて、狡い。
 手袋をはずして体を這う白い手のひらはもう、永井の体温に馴染み出して、それでも異質な温度を持つ。
 落ちつかないのは自分だけが脱がされているせいだと決めて、永井は沖田の腕を掴んだ。見慣れた迷彩のそこここに広がる乾いた血の染みは努めて意識せず、袖を引く。
「沖田さん、は、脱がないんすか」
 今まであれこれされてきたが、手首から先と、首から上以外で沖田の肌を見たことがない。問いに、沖田は苦笑めいた歪みを口の端に浮かべた。
 人間の目では夜の暗さを見通せないせいもあるが、眉が無いせいでいまひとつ表情がわかりにくい。
「構わないけど、永井は引くぞ」
 印象は正しかったようで、優しく諭す口振りはどこか苦さを含んでいる。
 永井を庇った時の致命傷は酷いものだったし、その後も傷をつけた覚えは、十二分にある。
「今さら、引きませんよ」
 襟の合わせめに伸ばした手は、そっと、しかし有無を言わせない力で押さえられた。
「んー……積極的な永井は嬉しいけど、それはまた今度な」
 覆い被さる沖田に瞼を舐められ、反射的に閉じた隙間をぬるりとした感触が這う。湿った舌に眼球を舐められる異様な感覚に竦んで手の力が抜ける。思ったよりも冷たくないのは永井の口腔の熱が移ったのだろうかと、要らないことを考えてまた体温を上がった。
 鼓動を速くする胸を撫であげられ、薄く開いた口を塞がれる。すっかり大人しくなってしまった永井の様子が可笑しいのか、喉奥で笑う男をなじってやりたかったが、手の届く限り、永井の体をくまなく触れて感じる場所を執拗に責めたかと思えば、わざと外して焦らす沖田のせいで叶わない。
 顔を離した男は、やはり笑っていた。
「いい顔」
 陶然と囁かれて、荒れた息を通わせる口元を精一杯引き締める。どんなだらしない顔をしているか、想像するのも嫌だ。
「怒るなよ、永井」
「怒ってません」
「こんなことしても?」
 再び覆い被さってきた沖田が、強く脈を打つ頸動脈に浅く歯を立てる。痛みともいえない程度の刺激だが、闇人の力なら簡単に噛み破れる……幾度か、噛まれそうになった時のことを思い出すと身の裡に戦慄が走る。しかし、傷つけようとしているのではなく、睦んでいると知らしめるように、軽く噛んでは舌で撫でる沖田の動きに、勝手に体が反応してしまう。
「ん……ぁ、……っふ」
 零れそうな声を片手で口を押さえて堪え、吐息に紛らせると、「こら」とたしなめられた。
「ちゃんと声出せ」
「って、外っすよ、ここ」
「それこそ、今さらだろ」
 とうに脚の間で頭を擡げていた鎌首を指先に捉えられて、反駁の言葉を失う。
 さっきからこれだ。怒って当たり前だと思うが、静かに笑う沖田が額を擦り合わせ、目の下に、鼻先に口付けを落として永井の機嫌を取るので……それが、生きていた頃の沖田とまるきり同じ手管だと気付いて、甘ったるい感傷が胸の奥を満たしてしまう。
 両腕を沖田の腕に、背に絡ませ、自ら唇を押しあてて薄い唇を舌で辿ると、沖田の体の奥が震えるのが伝わってきた。
「永井、好きだよ」
 祈るような、熱を含んだ囁きにまだ応えられないことが哀しくて、いっそう強く縋りつく。ごわついた布地越しの、冷え切った肌でもいい。沖田に自分の体温をすっかり与えてしまいたかった。
「沖田さん」
「ここに、いるよ」
 涙交じりの呼びかけに静かに応じた彼に、その瞬間感じたのは、たしかに、いとおしさだった。


 十分に育ちきった永井の性器と、用心深くそれだけ取り出された沖田の性器とが手の平の中で擦れ合い、透明な蜜を混ぜ合わせて卑猥な音を立てる。沖田が悪戯に腰を揺らし、敏感な括れと先端の粘膜が刺激されるたびに、永井はひぅ、と息を飲んで喘いだ。
「だから、声、聴かせろって」
 吐息交じりの命令に、首を横に振る。
 わざと堪えているわけではない。もう、そんな余裕などない。ただ、出せないだけだ。
「出、ない、です」
 はじめて沖田に抱かれた時もそうだった。
 緊張のあまり、反射でこぼれる呻きに近い喘ぎ声以外は、短くせわしない呼吸を激しくしていただけだ。
 自然と声を出せるようになったのは数回後で、体が沖田に馴染みだしたようだと思うと気恥かしくもあったが嬉しかった。
「……怖いか」
 ふ、と沖田の声のトーンが落ちる。同時に、後ろにさしいれられた指が泣き所を押して、膝が跳ねた。体が末端から溶け崩れていく錯覚に見舞われる。手の中の雄が滑りを増したのは、気のせいではないだろう。
「こ、わい……に、決まってるでしょ」
 目が眩む絶頂感をやり過ごして、切れ切れの息の下で応じる。
「おれ……自分、から、こんなこと、して」
 今までは、闇人になってしまった沖田には、無理やりに抱かれているという大義名分があった。
 ほんとうは、それこそ死にもの狂いで抵抗すれば、退けられないことはなかったろう。ただ、沖田と同じかおかたちで、沖田の声で喋り、沖田の記憶を持っているいきもの……そうだ、永井はもう、これを生き物として認識している……を、拒みきれなかった。
 それを今は、自ら体を開いて求めている。
 沖田に想いを伝えた時も、初めて抱かれた時も、恐ろしかった。恋情の熱に浮かされながら、決定的な何かが変わってしまうのではないかと、それまでの関係を失うことに心のどこかで怯えていた。
 結果として変わったことといえば沖田への愛情が増したぐらいで……男に抱かれて感じる自分の体には割り切れない気持ちを抱いたが、それも、沖田の手で導かれたと思えば嬉しかったのだ、結局は。
 今の沖田に対しても、そうなってしまいそうなのが怖い。
 体の相性が良いのは散々思い知らされている。気持ちの問題だ。
 どれだけ言葉を尽くされようと、まじりけなしの恐怖心を呼び起こされるほど執着されようと、沖田はやはり闇人で、自分とは違う。
―― いつまた、殺しあうかわかりゃしないんだ。
 それなのに……そうなっても、今の沖田でも、自分を愛し続けているのではないかと期待してしまっている、今この瞬間も。
 言葉を途切れさせた永井の想いをどこまで汲み取ったのか、「そうだな」と淡く笑い、沖田は再び指を動かし出した。
 息が整うのを待っていてくれたのだと、理解する。
「永井が、してほしがってるんだよな」
 いつものように一方的に上りつめさせて滅茶苦茶にするのではなく、互いの望みで交わっているのだと殊更に知らしめるやり口に、体熱がまた上がった。このままだと発火してしまうのではないかと馬鹿なことを想って身を捩らせ、止まっていた手を動かし出した。後ろを探られながらだと刺激が強すぎるので、もう自分のものには触れず、沖田のかたい屹立を緩慢に撫でるだけだ。
 元より彼に抱かれ慣れている後孔は、複数の指を飲みこんで柔らかく収縮を繰り返している。
「もう、いいか」
 あまり余裕のなさそうな声音の確認は肯定を誘うもので、永井はすこし考えてから、「お願いします」と応じた。
 沖田の腹筋が、快楽ではなく笑いの動きで動く。
「お前。お願いしますって、なぁ……」
「悪いですか」
「かわいい」
 蕩けた囁きに、きゅんと切なくなるのが本当にどうかしている。
 片脚を持ち上げられ、猛ったものを押し当てられて、喉が震えた。ゆっくりと潜り込んでくる物に苦しさを感じるのはいつものこと、狭隘をこじあける太い雁首さえやり過ごしてしまえば後は力の抜き加減も心得たものだ。
 ……それも、苦痛を与えられるほうがマシだと思っていた時とは違い、沖田を深く咥え込むことにはっきりと興奮している自分を全くもって調子が良いと罵ろうとも、心に湧きあがるのは切なさを含んだ喜びでしかない。
「う、く……あ、ぁ……あ」
 苦痛より、甘さの方が多い声がわななく唇を割って転がり出る。沖田の屹立は、もどかしいほどじわじわと、しかし停滞することなく永井の熱い粘膜のなかに入り込んでくる。狭い場所を抜けてしまうと、途端にぎゅうと締め付ける肉襞にほんの少し苦しげな顔を見せたのは、闇人も弱点は変わらないということか。
 余裕のない頭で、少しの優越と憐れみを持って、永井は沖田のうなじを――脈を持たない首筋を辿り、後頭部を撫でた。沖田がすこし、笑った気がする。
 とうとう根元までいれてしまうと、沖田は永井のもう片方の脚も持ち上げ、繋がっている場所をしげしげと眺めた……苦しい体勢のおかげで、視界を盗むまでもなく永井にも良く見える。
 濃い桜色に染まり露出した先をひくつかせながら涎を垂らしている自分自身の勃起も、その先の、沖田のものをいっぱいに咥え込んでいる孔も。思えばこの島に来てから、この沖田に犯されている時にここまで冷静に繋がっている部分を見てしまったことなど一度もない。
 ……つながっている、のだと実感が湧いたとたん、内部が大きく収縮するのが自分でもわかった。沖田のかたちを、はっきりと感じ取ってしまって、眉を寄せる。
「そんなに、見てないで……くださいよ」
 苦情を申し立てる声は上擦り、掠れて、いかにも色ごとの最中らしいものだ。
 羞恥を深める間も置かず、沖田が籠った笑い声を立てる。
「だってさ、永井が俺を受け入れてくれたって思ったら……感動、するだろ?」
 押し込まれて、息が引きつる。とぷっと音を立てそうな勢いで垂れ落ちたのは、先走りなのか精液なのか、眩む視界ではわからないが、興奮は収まっていない。
「ばか、じゃない、ですか」
「永井馬鹿なら、それでいいよ」
 よくねえよ、ばか。
 罵倒は胸中に飲みこみ、永井は宙に浮かされた両脚を無理やり動かして沖田の腰を挟んだ。お、と嬉しそうに相好を崩す馬鹿をしっかり掴まえて、崩れそうな腰を軽く揺さぶる。
「ばか言ってないで、動い……いっ!」
 情緒も何もない誘いだが効果は十分にあったようで、突然始まった抜き差しに、強請ったこととはいえ目を瞠る。
「はは、ほんっと、積極的」
「んっ、ぅ、…あぁっ」
 とうとう、緊張を振りほどいて吹きこぼれた甘い声に、ますます眩暈がする。律動のたびに反り返った雁首に良い場所を圧迫される快楽を拾い、自分でも当たるように腰が動いてしまうのは、いつもなら、完全に理性を飛ばしきった後だ。
 いまは、違う。
「おきた、さ、……あっ、ぅ、あ、あ」
 動きに合わせて喘ぎながら、彼を求めて乱れているのは間違いなく永井の意志だ。
「はな、さないで……おれ、を、もってい、って」
「大丈夫だよ、永井。俺はお前を全部、さらっていくから」
 舌足らずの訴えに、途方もなく甘やかな囁きが返ってくるのがどうしようもなくやるせなくて、幸せな気持ちが錯覚かどうか、理解しようとする試みは端から溶けていく。
 永井にできるのは、自分のうちがわを穿ち、掻きまわす男のものに、有り得べからざる熱を感じては四肢を震わせ、濡れた悦楽に眉根を歪めることだけだ。
 丸めた爪先で宙を掻き、ひときわ深くはいりこんできた沖田を体ごと抱えこむようにして極めた体内で、脈打つ熱を感じる。
 全力疾走した後もかくやの喘鳴を響かせながら、頬を撫で、額に張りついた髪を掻きあげる沖田の指の温度が完全に肌に馴染んでいるのを感じて永井は無意識に笑んだ。



 力の抜け切った永井を背負った沖田は、のんびりと歩を進める。例の羽織りは永井の背に掛けられているため、すこし頭を傾ければ、簡単に沖田の皮膚に接触する。顔はもう、冷たい。
 ずっと冷たいままなのは、知っている。
「おきたさん」
「ん?」
「……好きかも、しれないです」
 少しの沈黙のあと、真っ白な肌に、ほんの少しだけ赤みが差した気がした。もちろん、錯覚だけれど。
「俺は、愛してるよ」
 優しい答えに、目を閉じる。

 同じ気持ちなんだと、そのうち、弾みで言ってしまいそうだ。
 それも、悪くないと思えた。







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